1 僕たち三人と、ずっと一緒に幸せで暮らそうね?
「アレンさまっ! 先日の魔物退治ほんとうに素敵でした! 聖剣であっという間にやっつけちゃうんですもの、さすがは勇者様です!」
「アレン様、どこかお怪我はございませんか……? 痛むところがございましたら、私がいつでも治してさしあげますからね」
――フィオレンシア王国、王都の迎賓館で開かれている、魔王討伐を祝す凱旋パーティー。
光を乱反射し煌めくシャンデリアの下、魔王を討伐せし勇者一行が周囲の注目を一身に集めている。
二人の美しい少女が甘えた声を出しながら、勇者アレンの両腕にそれぞれ絡みつく。
ひとりは、女騎士レナ・グレン。鮮やかな赤髪をポニーテールにまとめ上げている、はつらつとした美少女だ。勇者パーティーのサブアタッカー担当である。
もうひとりは、聖女アリシア・フローレス侯爵令嬢。金髪碧眼のロングヘアで、白い聖衣を纏うおっとりとした美少女。パーティーの回復担当だ。
彼女たちは勇者アレンの両腕にぴったりとくっつき、わざとらしいほど彼へ胸元を寄せ頬を染めている。
そんな仲睦まじそうな三人の傍で、切羽詰まった表情を浮かべている少女がひとり。
(……私も、早くアレン様のお傍に行かなければ!)
そう内心で独り言ちながら、ティアナ・エーデルワイス子爵令嬢はぎゅっとドレスを握りしめた。
新雪のごとき白い肌。目を引くピンクブロンドの長い髪は緩く波を打っている。瞳の色は爽やかな青空を思わせるパステルブルー。勇者に侍っている二人の少女にも見劣りしない美しい少女だ。
――まるで絵物語に登場するヒロインかのような容貌。
けれど、ティアナの足は石のようになって動かない。最近、婚約者である勇者に近づこうとするといつもこうなるのだ。
(どうして? なんで、体が言うことを聞かないの?)
ティアナが呆然と自らの足元を眺めていると、ふいに甘い声が頭上から降りかかってきた。
「ティアナ。僕の可愛いティアナ」
その声に、彼女は弾かれるよう顔を上げる。
(あぁ……! 私の愛しいアレン様!)
アレンの姿を見るだけで、ティアナの暗い気持ちはどこかへと吹き飛んでいく。いつも頭の芯がふわふわと痺れるような感覚に襲われて、『何もかもがすべてどうでもよくなる』のだ。
彼を一言で言い表すならば、太陽の化身。
蜂蜜色の、襟足が少し伸びた短い髪に金の瞳。優し気な目元に高い鼻梁。唇は薄く、その先にある顎はスッと細い。誰もが思わず目を奪われる絶世の美丈夫。だがこれだけの美貌を持ちながらも、誰に対しても分け隔てなく優しい。
それが勇者アレン・ミズーレ侯爵令息という男であった。
ティアナの幼い頃からの婚約者で、聖剣を引き抜いたことで勇者と呼ばれるようになる以前より、共に日々を重ねてきた――。
(私はこの方のためなら何だってできる! いつも徹夜で回復ポーションを煎じ続けることも、すべては彼のため……!)
「愛しい婚約者である君に紹介したい人たちがいるんだ」
アレンはティアナの腰を抱き寄せると、レナとアリシアを紹介するように手を差し向けた。
「彼女たちは、僕の『真実の愛』の相手だ」
(…………えっ?)
一瞬、ティアナは頭が真っ白になった。
そして頭から冷水を浴びせかけられたように体が冷えていく。だがアレンは彼女の表情の変化など気にも留めず、甘く爽やかに微笑んだ。
「旅の間、僕は彼女たちの献身的な愛にとても救われた。だから決めたんだよ。僕は彼女たち二人と人生を共にしようと」
ティアナはアレンの言うことが理解できない。人生を共にする? 二人と結婚するということだろうか? この国では重婚は認められていないが――。
「そ、それでは……お二人のうちどちらかと結婚されるということですか? 私との婚約は……」
「ああ、もちろんティアナとの婚約は解消するつもりなんてないよ。君の実家の援助と、君が作るポーションはこれからも必要だからね。つまり二人には籍は入れずに、内縁の妻として一緒の屋敷で暮らしてもらおうと思っているんだ」
アレンは悪びれもせず、猫を愛でるよう彼女の頬を撫でて言う。
「だからティアナ。君のことは『第三夫人』として可愛がってあげるね。正妻はこの聖女アリシア、第二夫人は騎士のレナ。君は三番目だ。第三夫人っていうのはちょっと不満かもしれないけど……。アリシアとレナは君と違って戦ったり、回復魔法で傷を治したりして僕にたくさん貢献してくれた。だからどうしても優先順位ってのがあるんだよ。でも、いいよね? ティアナは優しいから俺の全部を受け入れてくれるでしょ?」
「は……えっ、と……」
「僕たちは、魔物の討伐依頼で外出が多くなると思う。だからティアナは僕たちが暮らす屋敷を管理してほしいんだ。それくらいならできるでしょう? 非力で何もできない君でも、大丈夫。笑顔でおかえりなさいって言ってくれたら、僕たちはホッと安心できるからそれでいいんだよ」
――だからティアナ、僕たち三人とずっと一緒に幸せで暮らそうね?
そう言って、勇者アレンはゾッとするほどに、とろけるような優しい笑みを浮かべた。
――パリンッ。
その瞬間ティアナの頭の奥で、何かが粉々に砕け散るような乾いた音がした。
同時に彼女の胸を先ほどまで激しく焦がしていた恋心が、潮が引くようにスーッと消え失せていくのがわかった。
(……あ、れ?)
瞬きを一度、二度。
靄が消えクリアになった視界で、ティアナは目の前の男を凝視する。
なぜだろう。
今の今まで、この男のことが世界の全てだと思っていたのに。
(なんで私、こんな人をずっと好きだったんだっけ……?)
――千年の恋が冷めていく。
今はただ、目の前にいる彼が『幼い頃からの婚約者に不誠実なことを平然と告げる、ただの身勝手で最低な男』にしか見えない。これは愛が冷めただとか、そんな生温いものではない。まるで彼への興味関心が急速にゼロになったのだ。
そのショックで彼女が言葉を失い立ち尽くしていると、アレンが不審そうに眉をひそめた。
「……なに、ティアナ。不満そうな顔して」
当たり前でしょう、とティアナは言おうとしたが、口の中がカラカラに乾いて声が出せない。
「勇者である僕の妻になれるんだよ? たとえ三番目でも、誰もが羨む地位じゃないか。それとも何、僕に対する愛はそんなものだったっていうわけ?」
彼女が黙っていることに苛立ったのか、アレンはあからさまに不機嫌そうなため息をつき、肩をすくめた。
「はぁ。そんなに不満なら、今ここで君との婚約を破棄したっていいんだよ……?」
周囲の空気がピリリと張り詰める。彼はニヤリと口角を上げ、試すような視線をティアナへ向けた。『どうせ嫌だと泣きついてくるに決まっている。私を捨てないでとすぐに縋りてくるだろう』と。
そう確信している目だ。
「僕との婚約が破棄されれば、君は哀れな『勇者に捨てられた女』となる。そんな汚名がついたら、もうまともな縁談なんて来ないと思うけどね?」
脅し文句のつもりなのだろう。アレンは自信満々に口の端を吊り上げている。だがティアナにとって、彼の言葉は天啓のように思えた。
(――婚約、破棄)
彼女はぐっと自らの拳を握りしめた。
(第三夫人なんで絶対にお断りよ。婚約破棄は願ってもない申し出だわ)
ティアナはゆっくりと顔を上げ、アレンの目を真っ直ぐに見つめ返す。すると一瞬だけ彼はたじろいだ。だがすぐに余裕そうな笑みが浮かべる。ひどく下卑た笑みを。
彼女はアレンへ向かい、これまででいっとう優雅で丁寧なお辞儀を披露してみせた。
「かしこまりました、勇者様がそうおっしゃるのでしたら、謹んで婚約破棄を受け入れます」
会場に、ティアナの凛とした静かな声がやけに響く。
談笑を交わしていた貴族たちが会話を止めティアナたちの方へ目を向けた。あたりは、水が打ったようにしんと静まり返る。
「えっ?」
アレンの余裕の笑みが凍り付く。
「すべてアレン様のおっしゃる通りに。私ごときのワガママで、勇者様のお望みを阻むわけには参りませんもの」
「は……? い、いや、ティアナ? 何を言って……」
「第三夫人などという大役は、私ごときでは荷が勝ちすぎます。聖女様と騎士様、どうぞお二人でアレン様を支えて差し上げてくださいませ」
ティアナは流れるように言葉を紡ぎ目を伏せた。アレンは言葉が出ないようで、パクパクと口を開閉させている。想定外の展開に脳の処理が追いついていないようだ。
「ち……違う、待って! 僕は本気で言ったわけじゃなくて……! 婚約破棄なんてしたら、君の実家からの支援が……! ポーションだって、また作ってもらわないと困るし」
「勇者様ほどのお方でしたら、私の実家に頼らずとも問題ございませんでしょう? ポーションにつきましては、どうぞ正規の価格で、ギルドを通してお買い求めくださいませ」
そう彼女が微笑むと、アレンの顔色はサッと青ざめた。ようやく事の重大さに気づいたようだが、もう遅い。婚約破棄の話を切り出したのは彼自身なのだから。
「それでは、皆様お幸せに。ごきげんよう」
呆然とする勇者一行。ざわめく貴族たちに背を向け、ティアナは颯爽と会場の出口へと歩き出した。 背後で「ま、待ってくれティアナ!どうして、あれをかけているはずなのに」というアレンの焦った声が聞こえる。
(あれ……?)
その言葉が引っかかりつつもティアナは振り向こうとはしなかった。
外に出ると会場の喧騒が嘘のようだった。夜風が熱い頬を撫でる。星空がティアナを祝福するようさんざめていた。綺麗だ、空気が美味しい。けれどその美しさが、かえってティアナの惨めさを浮き彫りにするようだった。
ティアナは帰りの馬車に乗り込むと盛大にため息を吐いた。
心の底に沈んでいた大きな重りが外れたような心地。
すっきりしたはずなのに、まるで心の中にぽっかりと大きな穴が開いたよう。
馬車が出発する。ティアナは窓に寄りかかると、誰にも気づかれることなく、独りでひっそりと涙を流した。




