イミテーションリアル
日中に吹く風にも涼が混ざるようになった曇りの午後、テレンシアは新しく贅を凝らした造りの建物を前に、足を止めた。
「……場違いかしら」
シックな紺のワンピースに、小さな人工ダイヤをあしらったネックレスを付けただけの彼女は、昼用ドレスや仕立ての良いスーツを着ている人々を見て呟く。小さな手持ち鞄に収めた招待券を取り出して眺めていると、レストランの案内人が礼儀正しく声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ、ご招待券をお持ちのお客様でいらっしゃいますね。本日は風も凪いで曇り空ですので、テラス席へご案内いたしますよ」
「そう? じゃあ、お願いします」
神秘的と称される切れ長な黒目がちの目を細めて、品の良い微笑を浮かべるテレンシアに、案内人が薄っすら頬を染める。飾り気の少ない服装だったが、背まで流れる艶のある真っすぐな黒髪と、細く優美な線を描く肢体は、人目を惹く存在感があった。
誘導されたテラスからは、再開発によって整備された水路や水門が見える。水面が陽射しを反射してきらめき、テレンシアは目を細めた。
「どうぞ、こちらへ」
程なく給仕が現れカトラリーを並べてから注文を取る。
「ランチですので簡易コースとなります。お任せでよろしいでしょうか」
「ええ、お願いするわ」
「かしこまりました」
光沢のある黒のベストに身を包んだ給仕は清潔感があり、口調も所作も落ち着いて丁寧だった。テレンシアは細く息を吐き出す。ほどなく運ばれてきた前菜を静かに味わっていると、二つ離れたテーブルから同世代らしき男性たちの会話が聞こえてきた。
「議員はあまりこういったレストランはご利用なさらないんですか」
「そうですねえ、あの方、娼婦を買う訳でもないのに、花街がお好きなんですよ」
「そうなんですか、いやあ、ほら、議員は港のご出身ですし、水路が見えたら馴染み深くて良いかもしれませんよ」
生来耳が良い彼女は、会話の詳細まで聞き取れてしまう。
「まあ、商会長側近殿が強く勧める店として進言はしておきます」
商人と議員の関係者だろうか、仕立ての良いスーツ姿の男性たちを少しだけ観察してから、目を反らした。
「お待たせいたしました。こちらは港産直、アオイ海老のビスクです。ほどなくシュリンプカクテルもお持ち致します」
「海老づくしね」
嬉しそうに給仕へ微笑み掛けてから、テレンシアは弾んだ心地でビスクにスプーンを入れる。給仕は丁寧に礼をして席を離れた。
「ん……?」
喉の奥で声を上げた彼女の眉間に皺が寄る。給仕がシュリンプカクテルを運んできたので、テレンシアは小声で問いかける。
「あの、聞いてもいいかしら? これ、本当にアオイ海老を使っているの?」
「え……はい、そう、承知しております」
給仕が笑顔を強張らせ困惑を露わに答えた。
「そう、ありがとう」
テレンシアは静かに礼を言って、皿に盛られた海老をじっと観察する。アオイ海老はゆで上げた際に紅白のコントラストがはっきりとしていて、光沢と艶がある。彼女が手にした海老にも艶があるが、薄っすら油の匂いがするし、持った時に軽過ぎた。眉をしかめながらも、テレンシアはカクテルソースに海老を付けて口へ運んだ。
「……アオイ海老ならボイルしてもこんな風に縮まない」
一尾だけ食べて後は手を付けるのをやめる。手を挙げて給仕を呼び、ワインを注文した。
「素面じゃ食べきれないわ」
呟いて味の濃いカクテルソースをたっぷりと付けた海老を険しい表情で食べきった。ビスクも同様に飲み干したが、口の中に強いえぐみが残っている。水とワインで流し込んだ。テレンシアは手を挙げて給仕を呼んだ。
「もう、いいわ。申し訳ないけれど、デザートはいりません。帰ります」
「あの……わたくしに不手際がございましたか」
接客に不都合があった場合、給仕係が責めを受ける。恐る恐る問いかける給仕に、テレンシアは苦笑した。
「いえ、ないわ。これ以上、ここのシェフの料理を食べられないだけ」
「お口に合わなかったと」
「……もう、いいから」
更に言い募ろうとしている給仕を制して、テレンシアは僅かに声を大きくする。
「会計をして。コース分の料金は払います」
給仕が気まずい表情のまま離れていくのを横目に、水を飲んだ。彼女と給仕のやり取りが聞こえたのだろう、二つ離れたテーブル席の男性たちがテレンシアに注目した。
「失礼致します、お客様、何か不手際があったようで、申し訳ございません」
彼女のテーブル担当だった給仕ではなく、恰幅の良いシェフがやってきた。テレンシアはうんざりした内心を隠しながら、淡々と告げる。
「いえ、何も。もう、帰りますし、お金も払いますから」
「そのような仰りようは困りますな。招待券をご利用のお客様に、不満のままお帰り頂く訳には参りません」
威圧的な口調のシェフを見上げて、テレンシアはすっと目を細めた。
「ならまず、食材の産地を偽るのはやめたらどうかしら」
「いやいや、何を仰る。女性一人でいらっしゃって、懐具合でも心もとないのかな?」
「料金は払いますって言ってるじゃない」
苛立ちを見せるテレンシアに、シェフは太い鼻を鳴らして言い募る。
「そもそも、どこでこの招待券を手に入れたんです? 援助を受けているんだとしたら、なんとも簡素な出で立ちですなあ」
高級店で食事をするためにドレスアップをしていない。図星を差されてテレンシアは象牙色の頬に血を上らせた。
「ウェビー殿、申し訳ありませんが、こちらの女性とお知り合いですか?」
シェフが急に、近くのテーブル席の男性二人連れに声を掛ける。
「どうも、シェフ。若い女性をそんなに責めるもんじゃありませんよ」
「いやはや、しかしですね。こちらのお客様は、リーガルン商会の招待券で来店されておりまして」
笑顔で寄って来たウェビーと呼ばれた男は、シェフの言葉を聞いて目を眇めた。
「え、そうなんですか……どこで入手されたんです?」
急に話かけられて、テレンシアは戸惑って答えに窮する。
「……友人に、譲ってもらって」
「へえ? 失礼ですが、どういったご友人ですか?」
「あなたに言う必要がありますか?」
むっとしたテレンシアが鋭く切り返すと、彼は琥珀色の目を限界まで細めた。
「そうですね、できれば教えて頂きたいです。我がリーガルン商会はこのレストランの出資もしていまして。あなたのようなイミテーションのアクセサリーを愛用する方に招待券を配ったりはしていないんですよ」
テレンシアは鞄から銀貨を取り出してテーブルの上に置く。
「これ以上あなたたちとは話したくないわ」
ランチ代として多すぎる額を置き去りに、テレンシアはレストランを後にした。
昼下がりのレストランで、コリンが彼女を見て抱いた感想は、場違いだなといったものだった。水路再開発に伴い、整備された区域に開店したレストランは、若い女性が一人で気軽に足を運べるカフェ等とは一線を画した高級店だ。存在感のある美女だからこそ、服装の簡素さが目立っていた。入手方法は不明だが、後で確認したところ、彼女は確かに彼が配った招待券を持参して来店していた。
「いやはや、さすがにリーガルン商会とご縁のあるお方は慧眼ですな。彼女が指摘したように、ランチを任せていた弟が安物を仕入れて、差額を懐へ入れておりました。あんなに不味い海老を提供していたなど、当店の名折れです。ご迷惑をおかけした、と謝罪を伝えて頂けませんか」
店主の弟であるシェフが担当していたランチの質が落ちている、気づけなかったミスは、脳裏に焼き付けた。
「それが……私も彼女がどこの誰か、知らないんですよ。配った招待券を譲られたんでしょうが、それがどこからか」
「そうなんですか、機会があれば謝罪して名誉挽回の機会を頂きたいんですがねえ」
店主のニヤニヤとした笑顔を思いだしてうんざりしながら、コリンは夕暮れの繁華街を歩いている。水路再開発が成功の兆しを見せていることにより、新たに開発に乗り出そうという機運が高まっていた。リーガルン商会長は、側近であるコリンに、投資対象として効率の良さそうな区域を調査せよと命じている。繁華街から西住宅街へ向かう区域もその中に含まれており、この辺りには個人経営の小さな飲食店が点在しており、中心部の雑多な賑やかさとは異なる味わいがあると評されていた。
「花のや、ここか」
コリンは小さな札のかかった扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた女性の声に出迎えられた。
「こんばんは、一人です」
「カウンターにどうぞ」
「ありがとうござ……います」
脳裏に思い描いていた女性との再会に、コリンは動揺して笑顔が固まる。彼女も気づいたようで、僅かに笑んだ口許が引き締まった。
「……この間の」
花のやのオーナーシェフがテレンシア・トポロジーという同世代の女性だという記録を流し見たことを思い出しつつ、頭を下げる。
「ご不快でしたら、帰ります」
「いえ、どうぞ」
冷たいながらも客として迎え入れられたコリンは、気まずい内心を切り替えて、店内を見回した。落ち着いた色の壁紙、木製のテーブルと椅子、陶器の杯や皿が棚に並んでいる。
「何にします?」
「じゃあ、エールと適当に摘まめるものを」
テレンシアは頷いて、すぐにエールと用意してあっただろう小鉢を出した。小海老とトマトのゼリー寄せである。コリンは小さく笑った。
「海老、ですか」
「……あの店で使っていたのと同じ海老よ」
「へえ」
一口食べてヒンヤリとした冷たさとプリっとした触感を感じる。旨味と酸味が絶妙に舌の上を通り過ぎた。エールも杯が冷えているせいか、この季節だというのに生温くはない。
「……美味しいです」
例のレストランで食べた海老の味を思い出そうとして、コリンは断念した。
「食材を生かすも殺すも料理人の腕次第よ。箱に胡坐をかいて、不味い偽物を出すなんて最悪だわ」
「ああ、それなんですが、あなたが指摘した通り、シェフは安物を仕入れてアオイ産と偽っていたそうです。店主があなたに謝罪したいと言っていました」
コリンの琥珀色の瞳を見つめて、テレンシアは小さく鼻を鳴らす。
「あんな思いをした店にまた行くとでも思う?」
「……まあ、確かに。でもあなたも、誤解されても仕方ない恰好をしていましたよ。それに、女性が一人で利用するような店じゃない」
「招待券にドレスコードを記しておかない方が悪いわ。だいたいあのネックレスは子どもたちが丹精込めて作ってくれものよ。石が本物か偽物かなんて関係ないわ」
「それはちょっと、同意できませんね。本物の宝石には計り知れない価値があるものです。たとえあなたのお子さんが……ちょっと待ってください。子どもがいるって?」
「私が育った孤児院の子どもたちよ。自分の子どもはまだいないわ」
「そうですか、それは良かった」
「何がいいのよ」
「……いえ」
売り言葉に買い言葉で、むきになって言い合った二人は、ふとそれぞれ我に返った。テレンシアは厨房へ入って下ごしらえをしていた料理の仕上げにかかり、コリンはちびちびとエールを流し込む。テレンシアが厨房で立ち働く後ろ姿が、隙間からチラチラと見える。コリンは彼女の華奢な背で揺れるサラサラとした黒髪をぼんやり見守った。
雨が降っている。ガス灯の灯りが夜闇にぼんやり浮かび上がった。今日も繁華街の調査に出向いていたコリンは、花のやの近くで店の入り口を眺めている。花のやの調査は済んでいて、もう訪れる必要はない。
「あれ、ウェビー殿? こんばんは」
「あ、これはどうも、メルヴィン様」
「雨、結構降ってますね、良かったら、そこで一杯飲みませんか」
大柄で人好きのする笑顔の騎士メルヴィン・モーガンの気軽な誘いに、コリンは愛想良く応じた。
「こんばんは、シアさん。久しぶり」
メルヴィンが花のやへ向かっていると気づいた時、コリンの中でテレンシアの招待券の入手先の答えが出た。
「あら、メルさん……なあに、知り合いなの」
「おう、なんだ? シアさん顔が怖えよ」
すっと表情を険しくするテレンシアを、コリンは横目に確認する。
「別に……どうぞ」
カウンターに並んで座ると、注文する前に小鉢が出てきた。
「お、美味そう。あ、俺、ワイン。ウェビー殿はどうします?」
「では、私もワインで」
陶器製の杯にワインが注がれていく。
「ウェビー殿も花のやに通ってるんですか」
「いえ、一度来たことがあるだけで」
厨房へ引っ込んだテレンシアの後ろ姿を見つめるコリンを観察しながら、メルヴィンは明るい声で問いかける。
「そうだ、この前頂いた招待券、ここの店主に譲ったんです」
最悪だった初対面を思い出し、コリンは気まずく苦笑した。
「ああ、そうだったんですか。お二人でいらっしゃればよかったのに」
コリンの台詞に冷たい声が反応する。
「私とメルさんは食事に行くような仲じゃない」
「いやまあ、そうなんだけど、なんかシアさん冷たくねえか」
テレンシアとコリンの顔を見比べて、メルヴィンが困ったように後頭部をかいた。
「別に、いつもと一緒よ」
つんとそっぽを向いた後で、テレンシアは厨房から皿を運んできて並べる。
「はい、お肉。好きでしょ」
「おう、いい焼き加減だな」
メルヴィンはレアに焼かれた牛のステーキに舌なめずりをする。テレンシアはコリンを流し見て訪ねた。
「私はもっと焼いた方が好きだけど……あなたはどうする?」
「あ、ええと……シアさんのお勧めで」
テレンシアは一度きゅっと口を結んでから、厨房へ入る。コリンは眉尻を下げてワインを飲んだ。
「ウェビー殿は王立学園の出身じゃないんですか」
「ああ、はい」
「へえ、なんでまた、宝石店に?」
レアのステーキを瞬く間に食べ終えたメルヴィンは、ワインを飲みながら何気ない調子で問いかける。
「最初は宝石店だなんて知らなかったんです。ただ商会に雇われて最初に配属されたのが、宝石店で」
「へえ……宝石に造詣が深いとかそういうんじゃなく」
「雇われた当初は私もまだ子どもでしたし、宝石の価値も何も知りませんでした。買い付けに連れまわせる使い走りが欲しかったって、当時の店長が言ってましたよ」
相手の懐に自然に入り込む雰囲気につられて話し始めたところで、程良く焼かれたステーキが置かれた。
「これでいい?」
「ああ、はい。頂きます」
テレンシアはコリンが食べ始めるのを、一歩引いて見守っている。
「……ああ肉汁が、これは美味しい」
思わず零れ落ちた感想を聞いて、テレンシアは嬉しそうに微笑んだ。
「何も知らない状態から、一目見て宝石の価値がわかるぐらいまで、知識と目を磨いた、と。かっこいいですね」
「メルヴィン様、そんなに褒めて頂かなくても、お代は私が払いますよ」
「アハハ、そんなんじゃありません。ただ、すげえなって」
爽やかな笑い声を上げるメルヴィンに、コリンも笑みを深める。
「高価な品を扱いますから、間違いは許されません。人も物もじっくり観察する癖はつきましたね」
「へえ、ちょっと捜査と似てますね。現場では見落としがないよう気を張る必要がありますから」
「騎士様はその上荒事にも対処しなくてはなりませんから、大変なお仕事です」
鍛え上げられた太い二の腕辺りを眺めて、コリンはしみじみ言った。
「間違いが許されない、なんて、偽物を出したシェフを庇った人の言うことかしら」
冷え冷えとした眼差しで睨まれて、コリンは口を閉じる。作業をしながら会話を聞いていたらしいテレンシアを上目に見やった。
「石の良し悪しはわかりますが、海老の良し悪しはわかりませんので」
丁寧な口調だが、声色が本意ではないと語っている。急に会話の雲行きが怪しくなった二人に驚いて、メルヴィンが割って入る。
「海老がどうしたって?」
「メルさんには関係ない」
「お、おう」
「いくら気軽な居酒屋とはいえ、騎士様のような身分のお客様に対して、随分気安いんですね。店主としての品を疑われかねませんよ」
「余計なお世話よ、だいたい」
「ちょ、待て待て。はい、二人とも、落ち着いて」
コリンもテレンシアも黙り込んだ。逃げるよう厨房へ入るテレンシアと薄い笑みを浮かべて会釈をするコリンを見て、メルヴィンは額を押さえた。
「ウェビーさん、黒髪の美女が来てます。彼女ですか」
「急になんだ?」
リーガルン商会本部で、商会長から差し戻された書類の山と格闘していたコリンは、飛び込んできた用心棒の言葉に手を止めた。
「だから、白いワンピースで、なんかこう、腰が細くって、流し目が色っぽい」
「……女性の特徴を聞いているんじゃない。私に客ということですか」
「そうです。いいな、彼女」
「黙りなさい。頼むから」
高価な品を扱う際の用心棒として雇った見た目だけは厳つい男は、見た目に反して無邪気な心を持っていて、客の前では返事以外を禁じている。コリンは立ち上がって、ロビーに向かいながら事務員へ応接室へのお茶出しを頼んだ。出入口近くで外を眺めていた、白いワンピース姿の女性が、コリンに気づいて振り返る。
「あ……」
静かに会釈をされて、コリンは頬に血が上るのを感じてそっと目線を落とした。
「こんにちは、シアさん」
内心の動揺を押し殺し、笑顔で声をかけるとテレンシアはほっとしたように微笑んだ。
「こんにちは、突然ごめんなさい」
「いえ、どうぞ、応接室へ」
自分の鼓動が跳ねているのを感じながら、応接室の扉を開ける。伏し目がちのまま腰を下ろしたテレンシアの手にはレースの手袋がはめられていた。
「暑いですね」
咄嗟に出てきた台詞が月並み過ぎて、コリンは唇を噛んだ。テレンシアは普段の凛とした強気がなりを潜めている。
「あの……こんなことをお願いするのは、厚かましいと思うんですけど」
「いえ、どうぞ」
即答過ぎて驚いたのは、言った本人の方だった。テレンシアは安堵の笑みを浮かべて、手持ち鞄の中から小箱を取り出す。
「この前、宝石に通じているって言ってたから、見て欲しくて……」
「なるほど」
呟いたコリンは、そっと箱を開けた。銀の台座に大きな緑色の石が着いた指輪が納められている。
「精巧に作られた偽物ですね……これって、確か」
コリンは立ち上がり、一度応接室を出て資料室へ走った。資料整理をしていた部下が驚くのを横目に、目当ての資料を引っ張り出して、応接室へとんぼ返りする。ドタバタと移動する商会長側近の姿に、商会内の者たちが驚きの表情を浮かべていた。
「これをどこで手に入れたんです?」
「私の物じゃないの……同じ孤児院を出た妹みたいな子が、婚約指輪として贈られたって言ってて」
「そんなわけないでしょう。ほら、見てください。これ、ノルディア大公家に伝わるエメラルドクイーンと同じ意匠ですよ。市井に出回るなんてありえません」
資料に添付されていた指輪の絵を見て、テレンシアはため息を吐いた。
「これって偽造したら罪に問われる?」
「当然です、模倣すら許されません」
両手で頭を抱えたテレンシアは、厳しい表情のコリンを見上げて呟く。
「多分、これを作ったのも、同じ孤児院を出た子で……そういう裏の仕事に片足を突っ込んでいるんじゃないかって疑ってたの。知り合いに鑑定できる人がいるからって預かってきたんだけど……騎士団へ持ち込んだ方がいいかしら」
コリンが資料室に行っている間に運ばれていたアイスティーを飲んで、彼は腕を組んでカウチに背を預けた。
「あなたはどうしたいんです?」
「え?」
「その子たちを助けたいんですか、それとも関わりを断ちたいんですか」
「助けたい……でも」
「わかりました。七日……いえ、五日ください」
「何を言ってるの?」
戸惑うテレンシアに、コリンは誰にも見せたことのない凛々しい笑顔を向けた。
テレンシアがリーガルン商会を訪れてから五日目、コリンが観葉植物の鉢を抱えて花のやを訪れた。テレンシアの出勤を待っていたようで、額に汗がにじんでいる。
「あ、えと、ウェビーさん」
「コリンです、シアさん」
「ええ、コリンさん」
笑顔で圧をかけてくるコリンを招き入れたテレンシアは、杯にエールを注いで出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
一気に飲み干す突き出た喉仏辺りをぼんやり眺めていたテレンシアは、カウンターの上に置かれた植物の鉢に困惑した眼差しを向ける。
「ああ、すみません。これは、贈り物です」
ますます困惑するテレンシアを他所に、コリンは厨房とカウンターの間仕切り部分を指差した。
「これを置いておけば、厨房にいるあなたの姿がここから見えにくくなる」
「はあ……そうかしら」
意図がわからず曖昧に返事をしたテレンシアは、一先ず鉢のことは脇へおいて、相談した件について問いかけることにした。
「指輪のことは」
「はい、結論から言うと、二人ともリーガルン商会の持つ支店で雇わせてもらいました」
「えーと……え?」
目を瞬かせるテレンシアに、コリンは前回も見せた凛々しい笑顔を向ける。落ち着かない気分になったテレンシアは、髪をかきあげて視線を反らした。
「詳しくは言えないんですが、宝飾部門から、精巧なイミテーションが出回り出しているという話は上がっていました。あなたと同じ孤児院出身の指輪を渡した方の男性ですね、非常に高い技術を持っている。そこに目を付けられた」
「ああ、気の弱い子だから」
「そうですね、支えようとしていた恋人の女性も、脅しの道具にされていたようです」
「……どうやって、切り離したの?」
「簡単です。使える者は雇い直して、ただの罪人は騎士団へ突き出しました」
テレンシアは信じて良いのか図りかねて、コリンの琥珀色の瞳をじっと見つめる。
「そうやって、常連客を集めているんですね、あなたは」
「はあ?」
「あなたの後ろ姿を、ここから楽しく観察する客がいるのは我慢ならない。さあ、この鉢を導線上に置いてください」
「な、何を言って」
テレンシアは途中でコリンの目の下の隈の色が異常に濃いことに気づいた。元々中肉中背だが、心なしか痩せている気もする。
「はあ、働きました……」
「そう、ありがとう」
何度も瞬きをするコリンに、テレンシアは静かに礼を言った。
「これ、本物じゃありませんから」
鉢を軽く叩いたコリンの言葉に、テレンシアは小首を傾げる。
「そうなの」
「ええ、偽物です。側に置いてやってください」
寝不足で発言がおかしいのだろう、そう判断して、テレンシアは言われた通りにイミテーションリアル、偽物の観葉植物を厨房とカウンターの導線上に配置した。
「あと、これ……」
コリンは預けておいた小箱を差し出す。蓋を開けて中身を確認したテレンシアはエメラルドクイーンの偽物だった指輪のデザインが大幅に変更されていることに気づいて目を見開いた。
「例の彼は、恋人に新たに本物の指輪を作って捧げるそうです」
「ええ、それじゃ、これは?」
「私がもらったので、あなた用に作り直しました」
「……受け取れないわ」
「偽物ですよ。しかも使いまわしです。遠慮せず受け取ってください」
返そうとするテレンシアの手をコリンが掴んで止めた。
「料理人は指輪はしない」
答えるテレンシアの頬と耳が薄っすら色づいている。眠気の頂点が近づいているコリンは生憎気づかなかった。
「わかっています。ですからほら」
華奢なチェーンにぶら下がる人工エメラルドは、花の形をした台座に収められていて愛らしい意匠になっている。
「かわいいわ……」
思わずつぶやいた彼女に、コリンは嬉しそうに微笑んで、そのままカウンターに突っ伏した。
「私が命じたのは、再開発の有力区域の調査だ。宝石偽造組織の全容ではない」
「はい、仰る通りです、商会長」
「結果として宝飾部門に有能な新人を引き抜けたのは良しとする」
「技術者は育てるのに時間がかかりますからね」
「調子に乗るな」
「あ、商会長、議員との会合先を花街から例のレストランに変更する話、通りそうですよ」
「……それは朗報だ。きついトワレと酒の匂いにはうんざりしていた」
「本来の調査も続行中です。繁華街の西区域については、もう少し詳細に調べたいと考えているんですが」
灰色の瞳で冷たく睨んでくる上司に、コリンはヘラリとした普段通りの笑みを返した。




