第3話:白亜の牢獄と甘い窒息
「さあ、立ちなさい『マディ』。いつまでそこで泥を垂れ流しているつもり?」
ジュリアは扇子で鼻を覆いながら、冷ややかに見下ろした。
泥水に濡れたワンピースは重く、ジュディの肌に不快に張り付いている。寒さと屈辱で震えるジュディの手を、家政婦ではなく、ジュリア自身が強引に引いた。
「こっちへいらっしゃい。私の『話し相手』がそんな薄汚い格好では、お兄様も不快でしょうから」
連れて行かれたのは、ジュリアの私室の奥にある、広々とした衣裳部屋だった。
壁一面に掛けられた絹やレースのドレス。漂う甘い香水の匂い。そこは、屋根裏部屋とは別世界の、選ばれた少女だけが許される聖域だった。
「脱ぎなさい」
ジュリアの命令で、家政婦たちがジュディの泥だらけの服を剥ぎ取っていく。
蒸しタオルで身体を拭われ、下着姿にされたジュディは、恥ずかしさに腕で身体を隠した。だが、ジュリアはその白磁のような肌を、品定めするようにじっと見つめていた。
「ふうん……。痩せっぽちかと思ったけれど、意外と肌は綺麗なのね」
ジュリアはふわりと笑うと、衣装箱から一着のドレスを取り出した。
それは、胸元が大胆に開いた夜会服だった。あるいは、フリルが過剰にあしらわれた、まるで人形に着せるような短いメイド服。
「話し相手なんでしょう? なら、私の気に入る服を着なさい」
「そ、そんな……こんな恥ずかしい格好……」
「口答えは許さないわ。あなたは私の人形なのよ」
拒絶するジュディの身体に、無理やりコルセットが当てがわれた。
ジュリアは家政婦を下がらせると、「私がやるわ」と自ら紐を手に取った。
「息を吐いて」
耳元で囁くような甘い声。
ジュリアの白魚のような指先が、ジュディの背骨をなぞるように這う。その冷たい感触に、ジュディの背筋がぞくりと跳ねた。
「うっ……苦しい、です……」
「我慢なさい。レディの嗜みよ」
きゅっ、と紐が締め上げられる。
肺から空気が強制的に押し出され、ジュディは喘いだ。
肋骨がきしむ音。締め付けられる腹部。
苦痛に顔を歪めるジュディの様子を、ジュリアは鏡越しに恍惚とした表情で見つめていた。
「もっと……もっと細くできるわ。あなたのウエスト、折れてしまいそう」
ジュリアは楽しんでいた。
紐を引くたびに、ジュディの白い肌が赤く鬱血し、豊満な胸が押し上げられて強調される。
背後に密着するジュリアの体温。首筋にかかる熱い吐息。
それは折檻のようでありながら、どこか背徳的な愛撫にも似ていた。
「はぁ、っ……もう、だめ……許して……」
「いい声ね。もっと鳴いて、マディ」
極限まで締め上げられたコルセットは、ジュディの自由を奪い、呼吸さえもジュリアの支配下に置いていた。
その光景を――少し開いたドアの隙間から、じっと見つめる視線があった。
ジュリアンだ。
彼は息を潜め、姉が孤児の少女を美しく、そして残酷に飾り立てていく様を、暗い瞳で貪るように覗き見ていた。
ようやく着替えが終わった時、ジュディは自分の姿に絶句した。
鏡に映っていたのは、露出の多いドレスを着せられ、コルセットで異常なほど細くくびれた肢体を晒す、淫らな人形だった。
「素敵よ、マディ。とても似合っているわ」
ジュリアが満足げに頬に触れようとした、その時だった。
「何をしているのです!」
烈火のごとき怒声が響いた。
入り口に立っていたのは、ペンドルトン夫人だった。その目は、はしたない格好のジュディを見て、怒りに燃え上がっている。
「なんて格好……! ここは神聖なペンドルトンの屋敷ですよ。娼婦のような真似は許しません!」
「お、奥様、これは……」
ジュディが弁解しようとすると、ジュリアがすっと前に進み出た。
「申し訳ありません、お母様! 私が目を離した隙に、この子が勝手にクローゼットを漁って……」
「えっ……?」
「どうしても綺麗なドレスが着てみたいって、聞き分けがなくて……。止めようとしたのですけれど」
嘘だ。
ジュディは目を見開いたが、きつく締められたコルセットのせいで声が出ない。
夫人はジュディの頬を平手で打ち据えた。
乾いた音が響く。
「盗人猛々しい! 恥を知りなさい!」
「ちが、私は……」
「言い訳など聞きたくありません。部屋へ戻りなさい! 今夜の食事は抜きです!」
ジュディは頬を押さえ、逃げるように部屋を飛び出した。
背後で、ジュリアとジュリアンが忍び笑いを漏らす気配がした。
屋根裏部屋に戻ったジュディは、ベッドに倒れ込んだ。
悔し涙が溢れて止まらない。
だが、それ以上に苦しいのが、身体に食い込むコルセットだった。
呼吸が浅い。肋骨が痛い。
早く外さなくては。
「うっ、く……」
ジュディは背中に手を回し、紐を解こうともがいた。
けれど、ジュリアがきつく固結びにした紐は、指先が届いても解くことができない。
もがけばもがくほど、紐はさらに食い込み、孤独な屋根裏部屋で窒息する恐怖だけが募っていく。
「誰か……助けて……」
その時、コン、コン、とドアがノックされた。
返事をする間もなく、ドアがゆっくりと開く。
現れたのは、ジュリアンだった。
「やあ、マディ。随分と苦しそうだね」
彼はステッキをもてあそびながら、獲物を追い詰めるような足取りで近づいてきた。
「……ジュリアン」
「可哀想に。ジュリアも酷いことをする。そんなにきつく締めて」
ジュリアンはベッドの端に腰を下ろし、もがくジュディの顔を覗き込んだ。その目は、同情などしていない。むしろ、この状況を心底楽しんでいる目だった。
「解いてあげようか?」
甘い誘惑。
ジュディは縋り付きたい衝動に駆られたが、本能が警鐘を鳴らした。この少年に背中を預けてはいけない、と。
「……自分で、できます」
「無理だよ。その結び目は、自分じゃ絶対に解けないようになっている」
ジュリアンは冷ややかに笑い、ジュディの背中の紐に指をかけた。
「素直にお願いすればいいのに。『助けて』って」
それは救済ではなく、新たな屈辱の強要だった。
呼吸困難で薄れゆく意識の中、ジュディは目の前の悪魔のような少年に、命乞いをしなければならないのだ。
「さあ、どうする? マディ」
【次回予告】
冷たい屋根裏部屋、限界を迎える呼吸。
薄れゆく意識の中で見たのは、懐かしい白い友の幻影か、それとも――?
翌朝、暴かれるのはジュディの小さな嘘と、絶対に知られてはならない最大の秘密。
荒らされた部屋で、ジュリアンの手に握られていたのは、孤児が持つはずのない「絶対の権威」だった。
「泥棒! この嘘つき女!」
突きつけられる濡れ衣。奪われる唯一の希望。
そしてジュディは、屋根裏よりも深く暗い、絶望の檻(馬小屋)へと堕とされる。
次回、『悪役令嬢・令息 〜双子のジュリアとジュリアン〜 華麗なる悪逆の調べ』 (新訳・あしながおじさん/Daddy-Long-Legs: A New Translation) 第4話
『幻の白き友と、奪われた紋章』
その銀の鷲は、希望の光か、それとも破滅の証拠か。




