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第2話:泥だらけの「マディ」

 馬車が軋む音とともに、重厚な鉄の門をくぐり抜けた。

 スリーピー・ホロウの谷底とは違う、手入れの行き届いた砂利道。車窓からは、燃えるような紅葉の中に佇む、威圧的な石造りの洋館が見えてきた。


 ペンドルトン家・レイクウッド別荘。


 それは孤児院の子供たちが夢に見るような「お城」そのものだった。


「着いたわよ、アボット」


 同乗していた家政婦が、ぶっきらぼうに扉を開けた。

 ジュディは緊張で強張る足を叱咤し、ステップを降りた。新しい革靴が砂利を踏む。

 見上げれば、尖塔のある屋根が秋の高く澄んだ空に突き刺さるように伸びている。


「すごい……。本当にここが、私が暮らす家なの?」


 ジュディは胸の前で手を組み、その壮麗さに息を飲んだ。ここならきっと、アニーのような素敵なレディになれるに違いない。

 そう信じて、玄関ポーチへと足を踏み出そうとした、その時だった。


 バシャッ!


 頭上から、冷たい衝撃が襲ってきた。


「きゃっ!?」


 ジュディは悲鳴を上げ、その場に立ちすくんだ。

 何が起きたのかわからない。ただ、どろりとした冷たい液体が頭から滴り落ち、孤児院を出る時に先生がアイロンをかけてくれた一番良いワンピースが、見るも無惨に茶色く染まっていく。

 泥水だ。それも、わざわざ用意されたような、粘り気のある泥水。


「アハハハハ! 大成功!」

「ふふっ、なんて無様な格好」


 頭上から、楽しげな笑い声が降ってきた。

 ジュディが濡れた前髪をかき上げて見上げると、二階のバルコニーから二人の子供が顔を出していた。


 一人は、ハンサムだがどこか冷酷な光を瞳に宿した少年。

 もう一人は、同じ顔立ちをした、蜂蜜色の巻き毛を豪華な縦ロールにした天使のように美しい少女。


 二人は空になった銀の水差しを手に、濡れ鼠になったジュディを見下ろして嘲笑っていた。


「おや、すまない。花に水をやろうとしたら、手が滑ってしまったようだ」

 少年が悪びれもせず言った。


「汚いのが来たから、お兄様が消毒してくださったのよ。感謝してほしいわね」

 少女が口元に手を当ててクスクスと笑う。


「な、何をなさるのですか!」

 ジュディは震える声で抗議した。


 二人は顔を見合わせると、優雅な足取りでバルコニーから姿を消し、すぐに玄関扉が開かれた。

 間近で見ると、その身なりの良さと、漂う香水の匂いに圧倒されそうになる。これが、この屋敷の令息と令嬢――兄のジュリアンと、妹のジュリアだった。


 ジュディは泥だらけの顔を拭い、背筋を伸ばして言った。

「はじめまして。新しい話し相手の、ジュディ・アボットです」


 挨拶を返そうともせず、ジュリアンはステッキをついてジュディの周りをゆっくりと歩き回った。

「ジュディ? ……ふうん、そんな名前なのか」


 その目には、明らかな不快感が宿っていた。自分たち高貴なペンドルトン家の双子と同じ響きを持つ名前など、この薄汚い孤児には似合わない――そう言いたげな目だった。


「嫌な感じだわ、お兄様。紛らわしいですわ」

 ジュリアが兄の腕にすがりつき、猫なで声で言った。


「使用人の分際で、私たちと同じ『ジュ』を名乗るなんて。なんだか私たちの名前まで汚された気がしませんこと?」

「ああ、まったくだ。ジュリア」


 ジュリアンが、泥の滴るジュディの髪をステッキの先でつついた。

「変えてしまおうか。今のこいつにぴったりの名前があるじゃないか」


「そうですわね。それがいいわ」

 ジュリアは、さきほど自分たちが浴びせた泥水で汚れているジュディのドレスを、扇子でつまみ上げた。


「今日からあなたは『マディ(泥んこ)』よ」


「え……?」


「マディ。いい名前だろう? その汚い姿にお似合いだ」

 二人は楽しそうに笑った。人の名前を奪うことなど、路端の石を蹴るのと同じくらい些細な遊びだと言わんばかりに。


「いいえ。私の名前はジュディです」

 ジュディは睨み返した。


「はあ? 聞こえなかったのか? 僕たちがマディだと言ったら、お前はマディなんだよ」

「いいえ。私は、ジュディです」


 双子の表情から笑顔が消えた。

 ただの玩具だと思っていた孤児が、予想外の眼力で反抗してきたからだ。


「……生意気な」


 そこへ、玄関の奥から冷ややかな声が響いた。


「騒々しいですね。何事です?」

 現れたのは、氷のような美貌を持つ婦人――ペンドルトン夫人だった。

 絹のドレスを隙なく着こなし、その目は感情を映していない。


「お母様!」

 ジュリアが駆け寄る。

「この子が勝手に泥水を被って、玄関を汚したのですわ」


「そうですよ。足元を見ないからだ」

 ジュリアンも平然と嘘をつく。


 夫人は、子供たちの言い分が嘘か本当かなど興味もないようだった。ただ、泥で汚れた玄関ポーチと、濡れ鼠の少女を一瞥し、眉をひそめてハンカチで鼻元を覆っただけだ。

「なんて汚らわしい……。これだから育ちの知れない孤児は困るのです」


「で、でも奥様、あの方たちが上から……」


「口答えはおよしなさい、アボット」

 夫人の鋭い声が、ジュディの言葉を遮った。


「いいこと、今日からあなたはジュリアの話し相手としてここに置かれるのです。お客様ではありません。その身の程をわきまえなさい」


 夫人はジュディの名前に頓着などしなかった。「マディ」と呼んで虐める子供たちの悪意にも関心を示さない。彼女にとってジュディは、屋敷の美観を損ねる「汚れ」でしかなかったからだ。


「さっさと着替えて、この泥を掃除なさい」


 夫人はそれだけ言い捨てると、踵を返して屋敷の奥へと消えていった。


「聞いた? マディ」

 残されたジュリアンが、勝ち誇ったように微笑んだ。


「お母様は忙しいんだ。お前の相手をするのは、僕たちの役目だよ」

 妹のジュリアも、扇子で口元を隠して意地悪く微笑む。


「精々、楽しませてくださいね。マディ」


 それが、最悪の出会いだった。


挿絵(By みてみん)

【次回予告】

 泥にまみれた私を待っていたのは、もっと恐ろしい「お遊び」でした。


「あなたは私の人形ドールなのよ」


 美しいドレスと引き換えに奪われる自由。

 ギリ、ギリと締め上げられるコルセットが、私の呼吸を、そして尊厳を奪っていく。

 無実の罪、閉ざされた屋根裏部屋。

 息もできない暗闇で、背後に忍び寄るのは、優しい顔をした悪魔――ジュリアン。


「素直にお願いすればいいのに。助けてって」


 次回、『悪役令嬢・令息 〜双子のジュリアとジュリアン〜 華麗なる悪逆の調べ』 (新訳・あしながおじさん/Daddy-Long-Legs: A New Translation) 第3話


 『白亜の牢獄と甘い窒息』


 その紐を解く代償は、なに?


挿絵(By みてみん)


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