最終話:選ばれているということ
翌朝、リィナは静かに目を覚ました。
発作の痕跡はない。呼吸は穏やかで、脈も安定している。けれど瞳の奥には、昨夜の恐怖がまだ薄く残っていた。
「……ごめんなさい」
開口一番の言葉が、それだった。
私は首を振る。
「謝らなくていい」
ベッドの脇に腰を下ろし、彼女の目線と高さを合わせる。
「怖かったよね」
リィナは小さく頷く。
「エルナ様が……いなくなるかもって、思って」
胸の奥が温かくなる。
私はそっと言った。
「私は、いなくならないよ」
即答だった。
「恋をしても、怖くても、ここにいる」
リィナの目が揺れる。
「でも、騎士様は……」
その先を言わなくても分かる。
レオンを失う恐怖。
選ばれない不安。
私は一度、深く息を吸った。
「リィナ」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「守ることは平等でも、想うことは平等じゃない。でもね、それは誰かを減らすことじゃない」
リィナは不安そうに見上げる。
「あなたがここにいる価値は、誰かと比べて決まるものじゃない」
私は彼女の手を取る。
「あなたは、選ばれている。私が選んだ。ここにいてほしいって」
言葉にした瞬間、自分の鼓動が強くなる。
でも、壊れない。
リィナの瞳に涙が溜まる。
「ほんとに……?」
「うん」
扉の向こうで、気配が動く。
レオンが入ってくる。
「心拍は」
相変わらずの確認。
私は微笑む。
「安定しています」
リィナも小さく言う。
「……わたしも」
レオンは二人を見比べる。
沈黙の後、低く言った。
「選ばれているかどうかで、不安になるなら」
珍しく、言葉が続く。
「俺も言っておく」
リィナが目を丸くする。
「お前は保護対象だ。だが、それだけではない。ここにいると決めた以上、守る」
それは騎士としての言葉。
でも、冷たい義務の響きではなかった。
リィナの呼吸がゆっくり整っていく。
私はその様子を見ながら、自分の胸に手を当てる。
鼓動は穏やかだ。
昨日の恐怖も、嫉妬も、独占欲も、全部消えたわけではない。
でも、それらは私を壊していない。
午後、三人で中庭へ出た。
白い花が、相変わらず風に揺れている。
リィナは以前よりも自然に歩いている。
「エルナ様」
ふと、彼女が言う。
「恋って、怖いだけじゃないんですね」
私は笑う。
「うん。怖いこともある。でも、怖いからって逃げなくていい」
レオンが少し離れた場所で立つ。
私はその背中を見る。
以前なら、あの背中を独占したいと思ったかもしれない。
今は違う。
あの背中が私を選んでいると、知っている。
だから奪わなくていい。
「レオン」
呼ぶ。
彼が振り向く。
その視線が、まっすぐに私を捉える。
心臓が、静かに高鳴る。
「なんだ」
「好きです」
突然の言葉に、リィナが目を見開く。
レオンは一瞬だけ動きを止めた。
鼓動が速くなる。
でも、壊れない。
恐怖はない。
ただ、確信がある。
「知っている」
短い返答。
私は笑う。
「でも、言いたかった」
レオンは一歩だけ近づく。
触れない距離。
それでも、十分近い。
「俺もだ」
それだけ。
それだけで、胸が満ちる。
リィナが小さく呟く。
「……あったかいですね」
私は頷く。
「うん。あったかい」
呪いは消えていない。
恐怖も、独占欲も、失う不安も、きっとこれからも訪れる。
でも、私たちは知ってしまった。
恋は死ではない。
呪いの正体は、恐怖と自己喪失。
選ばれていると信じられる場所があれば、心拍は壊れない。
風が花を揺らす。
白い花びらが舞い、私たちの間を通り抜ける。
私は胸に手を当てる。
鼓動は穏やかだ。
少しだけ速い。
でも、生きている。
リィナが空を見上げる。
「わたしも……いつか、恋してもいいですか」
私は迷わず答える。
「もちろん」
レオンも、静かに頷く。
呪いは、恐怖を利用する。
でも私たちは、選択を利用する。
恋をしても、怖くても、生きる。
それが、第二の答え。
安心は永遠ではない。
だからこそ、選び続ける。
今日もまた、心拍は穏やかに刻まれている。
私たちは、ここにいる。
選ばれ、そして、選びながら。




