第4話:守ることは、平等か
リィナが城に来てから一週間が過ぎた頃、王城の空気は落ち着いたように見えた。
噂は消えないが、日常は容赦なく続く。朝の鐘は鳴り、訓練場からは剣のぶつかる音が響き、厨房からはパンの焼ける匂いが漂う。
日常は、残酷なくらい普通だ。
その普通の中で、私たちは「特別」を抱えている。
「今日は外に出る」
朝食後、レオンがそう告げた。
「城門の外ですか?」
リィナが不安そうに目を瞬く。
「南の市場までだ。人は多いが、監視も多い」
市場。
人混みは心拍を上げる要素の塊だ。視線、声、匂い、接触。刺激の連続。
私はリィナの顔を見る。少し緊張しているが、逃げたいという顔ではない。
「行ってみる?」
私が尋ねると、彼女は小さく息を吸い、
「……うん。挑戦したい」
と言った。
その言葉に、私は胸が温かくなる。
守られるだけではなく、自分で歩こうとする。大きな一歩だ。
市場は予想通り賑やかだった。
野菜の鮮やかな色、布地の山、子どもの笑い声、商人の呼び声。情報が一度に押し寄せる。
リィナの歩幅が少し乱れる。
私は横で呼吸を合わせる。
「ゆっくりでいいよ」
彼女は頷く。
レオンは私たちの前に立ち、流れを遮るように位置を取る。時折、背後も確認する。
その姿は、誰に対しても同じだ。
私にも、リィナにも。
それを分かっているのに、胸の奥がちくりとする。
「エルナ様」
リィナが小声で呼ぶ。
「どうしたの?」
「騎士様って……ほんとにすごいですね」
視線はレオンの背中へ。
「人がぶつかりそうになる前に、ちゃんと動いてる」
誇らしさと尊敬が混じった声。
私は一瞬、言葉を失う。
「……うん。すごいよ」
嘘ではない。
でも、どこか自分の大切なものを他人に紹介するような感覚がある。
市場の中央で、突然、子どもが駆け出した。
転びそうになる。
レオンが一瞬で動いた。
片手で子どもを支え、もう一方で私たちを後ろへ庇う。
完璧な動き。
子どもは無事だった。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
無邪気な声。
レオンは短く頷くだけ。
周囲の視線が集まる。
「騎士様、かっこいい」
誰かの囁きが耳に入る。
リィナの呼吸が一瞬速くなる。
私は彼女の手をそっと握る。
「大丈夫?」
「……うん。でも、ちょっとだけ、どきどきした」
その“どきどき”が、私の胸にも波及する。
レオンが戻ってくる。
「問題ないか」
私たち両方を見る。
その視線は平等だ。
平等で、正しい。
でも。
「……はい」
私は答えるが、声が少しだけ低い。
市場から戻る途中、リィナは珍しく口数が多かった。
「外って、思ったより楽しいですね」
「うん」
「怖いけど、全部が怖いわけじゃない」
その言葉に、私は足を止めそうになる。
全部が怖いわけじゃない。
私も、そう思えたから今がある。
城門をくぐったとき、ふとリィナが立ち止まった。
「騎士様」
レオンが振り向く。
「今日は、ありがとうございました」
丁寧なお辞儀。
レオンは短く言う。
「任務だ」
それでも、その声は少しだけ柔らかい。
私はその違いに気づく。
ほんの僅かな、柔らかさ。
胸が、強く打つ。
リィナは微笑む。
その微笑みは、以前よりも明るい。
私は気づいてしまう。
彼女は、レオンを「安全な人」だと思い始めている。
それは良いことだ。
安全は、呪いを弱める。
でも同時に。
恋に近づく可能性でもある。
部屋に戻ったあと、私は一人で窓際に立った。
鼓動が少し速い。
危険域ではない。
けれど、安定とも言い切れない。
扉が開き、レオンが入ってくる。
「心拍」
開口一番の確認。
「少し上がっています」
正直に言う。
「理由は」
私は迷う。
言えば、自分の弱さを認めることになる。
「……守るのって、平等じゃないといけませんか」
問いは、私自身にも向けられている。
レオンは一瞬、表情を変えた。
「騎士は平等だ」
予想通りの答え。
「でも、人としては?」
沈黙が落ちる。
レオンは窓の外を見る。
「人としては……選ぶ」
低い声。
私は息を呑む。
「俺は、お前を選んでいる」
その言葉は、静かで、揺るがない。
胸が一気に熱くなる。
鼓動が跳ねる。
速い。
けれど、壊れない。
「リィナも守る」
続く言葉。
「だが、それは騎士としてだ」
私は目を閉じる。
安堵と、少しの罪悪感。
リィナは守られるべき存在だ。
でも、私は選ばれている。
その事実が、甘くて、少し苦い。
「……独占は、しません」
自分に言い聞かせるように呟く。
レオンが近づく。
触れない距離。
「無理に抑えるな」
「でも」
「抑えすぎると、別の形で歪む」
私は彼を見上げる。
彼は冷静だ。
でも、その瞳の奥には確かな熱がある。
「守ることは平等でも、想うことまで平等にはできない」
その言葉が、胸の奥に落ちる。
想うことは、選べない。
でも、どう扱うかは選べる。
鼓動がゆっくり落ち着く。
私は深呼吸をする。
安心は、誰かと奪い合うものじゃない。
選ばれていると信じられることが、安心だ。
リィナの存在は脅威ではない。
ただ、私の心を試す鏡だ。
「……ありがとうございます」
私は静かに言う。
レオンは短く頷く。
外では夕暮れの鐘が鳴る。
守ることは平等でも。
愛は、平等ではない。
その不完全さを受け入れられるかどうかが――
きっと、次の選択になる。




