第5話 鐘の謎、そして動き出す歯車
冷たい闇を落下する感覚が、突然途切れた。
久遠アルマは硬い床の上に倒れ込む。息が荒く、心臓が痛いほど鳴っている。
周囲は古い図書室のようだった――ただし、書架には革張りの薄い本がひたすら並び、背表紙には見たことのない符号が刻まれている。
「ここは……」
赤い瞳の少女が答える。
「“境界記録庫”――二つの世界で起きた出来事を記録する場所。この中に、鐘の答えがあるはず」
アルマは深く息を吸い、背筋を伸ばした。
やっと、本来の自分の領域――推理の場に立てる。
机の上に積まれた記録簿をひとつずつ開き、アルマは素早く視線を走らせた。
符号を手帳のメモと照らし合わせ、過去の記録を編み直していく。
「……やはり」
彼女は小さく呟く。
「“鐘”は、物理的なものではなく、境界を揺らす合図。過去の記録では、必ず“生者と死者の時間が混ざる現象”の直前に鳴っている。それが三年前――兄が死んだ日にも発生していた」
赤い瞳の少女が目を細める。
「じゃあ、その鐘を止められれば……」
「兄は再び死者に戻らずに済む。だけど――」
アルマは重い視線を少女に向けた。
「その鐘を鳴らしたのは、偶然ではない。誰かが意図的に――」
その瞬間、図書室の奥から硬い靴音。
現れたのは、境界管理局の男。そして、その背後には、黒い影。
「……狩人」
今度は堂々と姿を現し、刃をゆっくり構える異界の刺客。
管理局の男が低く言った。
「鐘の発信源は、異界の最上塔だ。だがそこに行くには、この狩人を越えるしかない」
「なぜ手を貸すんですか?」
「勘違いするな。これは命令だ。依頼人が誰であれ、鐘を止めない限り、境界は崩れる」
アルマは素早く状況を読み取った。敵と味方の境界すら曖昧なまま、時間だけが迫る。
気づけば、赤い瞳の少女が彼女の手を強く握っていた。
「鐘まで、残り……三十七時間」
図書室の奥の壁が波打つように歪み、そこに巨大な影が現れる。
塔――漆黒の金属の塔が、空に突き刺さるようにそびえ立っている。
天辺には、鎖で縛られた巨大な鐘。その周囲を、異形の鳥の群れが旋回していた。
そのとき、塔の側面に、一瞬だけ兄・煌真の姿が見える。
彼は何かを言おうとしていたが、鐘の轟音にかき消された。
アルマは迷わず、塔の影へ踏み込んだ。
「兄さん――必ず止める!」
鐘が鳴るたびに、境界は揺れ、現実と異界の景色が入り乱れる。
狩人の刃が地を裂き、塔の扉がゆっくりと閉じていく――カウントダウンが、さらに速まっているのだった。
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