幕間
大男の視点
警察署の瓦礫が、月明かりに照らされて黒く輝く。
コンクリートの破片が積み重なり、血と硝煙の匂いが漂う。
私は、瓦礫の下から這い出した。
全身に傷が刻まれ、黒い肌にひび割れが走る。
だが、痛みはない。私の体は、痛みを知らない。成人男性を素体に、人工的に作られた人型兵器――それが私だ。
指令が、脳裏に響く。
「攻撃してくる人間を抹殺せよ」
この町は、私の最終テストの場だ。ゾンビが蔓延る混乱に乗じ、量産のためのデータ収集が行われる。私は、命令を理解し、実行する。知能は、指令を遂行するのに十分だ。
感情はない。必要ない。だが、記憶はある。
私を攻撃し、傷つけた人間たちの姿が、鮮明に刻まれている。
紺色や水色の服を着た人間たち。銃を撃ち、叫びながら私に立ち向かった。
彼らは弱かった。拳で叩き潰し、壁に叩きつければ、動かなくなった。だが、二人組が違った。黒い服を着た、顔がそっくりの少女たち。
一人は炎を放ち、私の視界を焼き、もう一人は触れずに私の体を宙に浮かせ、壁に叩きつけた。彼女たちの力は、異常だった。私を傷つけた。
抹殺しなければならない。
瓦礫の山を抜け、警察署の外に出る。夜の町は静かだ。ゾンビのうめき声が遠く響き、焼けた建物の煙が空を覆う。私は、鋭敏な感覚を働かせる。
逃げた人間たちの気配――汗の匂い、足跡、タイヤの摩擦音――を追う。
彼女たちの逃走方向を、正確に捉えた。南西。ショッピングモールの廃墟へ。
私は、ゆっくりと歩き出した。私の足音が、地面を震わせる。
抹殺の指令が、私を突き動かす。
数時間後
ショッピングモールの駐車場にたどり着く。かつては家族連れで賑わった場所も、今はコンクリートの残骸とゾンビの死体が散らばる廃墟だ。
月光が、割れたガラスを照らし、風が埃を巻き上げる。私は立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませる。
地面に、タイヤ痕が刻まれている。二手に分かれた痕跡。片方は、複数のタイヤ痕――おそらく、十数台の車列、もう一方は、一台分のタイヤ痕。
私の脳は、データを処理する。複数のタイヤ痕は、多数の人間が逃げたことを示す。彼女たち――炎と念力の少女たち――がそこにいる可能性は高い。だが、一台のタイヤ痕も、彼女たちの逃走ルートかもしれない。どちらを選ぶか。指令は明確だ。
「攻撃してくる人間を抹殺せよ」
多数の人間がいる方向に、彼女たちがいる確率が高い。
私は、無言で二つのタイヤ痕を見つめる。
複数のタイヤ痕が、遠くへ伸びる。車列の匂い――ガソリン、汗、恐怖――が、風に乗って届く。
私は、そちらを選んだ。ゆっくりと、足を踏み出す。
私の選択は、論理的だ。だが、この選択が、人間たちの運命を大きく変えることになる。私は、それを知らない。知る必要もない。
生存者の視点(避難所のリーダー、佐藤の視点)
避難所は、町の外れにある古い倉庫を改装したものだった。警察署から逃げ出した私たち――警官、民間人、合わせて30人あまり――は、ここで一時的な安全を得ていた。鉄のバリケード、限られた食料、猟銃を持つ猟師たち。
希望は薄かったが、生き延びるために結束していた。
夜が深まる中、私は倉庫の屋上で見張りをしていた。
ゾンビの気配は遠く、静寂が逆に不気味だった。だが、その静寂を破るように、低い振動が地面を伝ってきた…ドン、ドン。
まるで、巨人が歩くような足音。私は双眼鏡を手に、闇を凝視する。遠くの道路に、黒い影が現れる。
「何…!?」
私の心臓が跳ねた。黒い肌の大男。警察署を破壊した怪物だ。
2メートル以上の巨体、赤く光る目、墨汁のような肌。彼は、ゆっくりと近づいてくる。私は叫んだ。
「敵だ! 準備しろ!」
仲間たちが一斉に動き出す。猟銃、警官の拳銃、即席のバリケード。私たちは、必死で抵抗した。銃弾が大男に命中するが、彼は意に介さず、バリケードに拳を叩きつける。
鉄が軋み、コンクリートが砕ける。
「撃て! 撃ち続けろ!」
私の叫びも虚しく、仲間たちが次々と倒れる。彼の拳は、まるでハンマーのようだ。
壁に叩きつけられた警官が、血を吐いて動かなくなる。恐怖が、私の心を支配する。
あの少女たち――桜と皐月――が戦った怪物だ。私たちは、彼女たちのように戦えない。
18時間前、警察署から逃げ出した私たちは、この避難所で希望を見出していた。
だが、今、その希望は砕け散る。大男は、倉庫に侵入し、生存者を無慈悲に抹殺する。
私は、仲間の一人と裏口から逃げ出した。
ゾンビの影に怯えながら、存在するかどうかもわからない安全地帯を目指す。
私の心は、恐怖と絶望に支配されていた。あの少女たちは、どこにいる? 彼女たちなら、この怪物に勝てるかもしれない。
だが、今、彼女たちはいない。私は、闇の中を彷徨うしかなかった。
桜の視点
自宅の居間で、私は皐月と並んでソファに座っていた。早希先生は、キッチンで食料の在庫を整理している。
ゾンビ襲撃以来、初めての休息。父さんと母さんが生きているというメモを見つけた喜びは、すぐに再会が叶わない落胆に変わった。
だが、両親が街の外を目指しているなら、私たちも脱出口を見つける。
それが、私たちの希望だ。
「桜…なんか、静かすぎるね」
皐月の声は、震えていた。彼女の手が、私の手を握る。私は彼女の目を覗き、力強く言った。
「うん。でも、静かなのはいいことだよ。ゾンビも、あの大男も、今はここにはいない」
私の言葉に、皐月は小さく微笑んだ。
彼女の笑顔が、胸を温かくする。警察署での戦い――私の発火能力と皐月の念動力で大男を瓦礫の下に閉じ込めた――が、どれだけ彼を遅らせたのかはわからない。
だが、今、この家には平和がある。
早希先生が、キッチンから戻ってきた。
彼女の眼鏡の奥の目は、疲れていながらも決意に満ちていた。
「二人とも、食料はまだ少しあるわ。明日から、町の外れを調べて、脱出口を探すわよ」
その言葉に、私は頷いた。
「はい、先生。父さんと母さん、絶対に見つける」
皐月も、力強く言った。
「うん。私たち、諦めないよ」
私は、皐月の手を見つめた。彼女の温もりが、私の心を支える。
先生の覚悟が、私たちを導く。大男の脅威は、今、遠くにある。だが、彼が再び現れるかもしれない。そんな恐怖が、胸の奥に潜む。でも、今は、希望がある。両親との再会。この家での休息。私たちには、戦う理由がある。
大男の視点
避難所の倉庫は、壊滅した。バリケードは砕け、生存者の血が床を染める。私は、指令を遂行した。
攻撃してくる人間を抹殺した。だが、彼女たち――炎と念力の少女たち――はいなかった。私の感覚は、彼女たちの気配を捉えられない。
私は、倉庫の外に出る。月光が、私の黒い肌を照らす。私は、別のタイヤ痕――一台分の痕跡――を思い出す。
あの方向に、彼女たちがいるかもしれない。私は、ゆっくりと歩き出す。私の足音が、地面を震わせる。抹殺の指令が、私を突き動かす。
遠くで、ゾンビのうめき声が響く。私は、気にしない。私の目的は、彼女たちだ。
炎と念力の少女たち。彼女たちを、抹殺する…それが、私の存在理由だ。