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幕間

私は木本早希、25歳。中学校の歴史教師で、2年B組の担任だ。

私の勤める学校は、地方都市にある普通の中学校だが、最近の生徒たちはやたらと大人びている。

女子生徒の多くは、色気づいて化粧を始めたり、校則を無視してスカートを短くしたり、放課後にはSNSに自撮りを上げるのに夢中だ。そんな中で、桜と皐月――双子の姉妹は、まるで別世界の住人のように際立っていた。

二人は、校則を完璧に守っていた。今どき珍しいくらいに、制服のスカートは膝丈で、シャツはきちんとボタンを留め、化粧の「け」の字も見せない。

授業中以外は、いつも図書室か教室の隅で本を読んでいる。

桜は恋愛小説、皐月はファンタジー。二人とも、いつも一緒だ。クラスメイトと雑談する姿を見たことがない。

まるで、二人だけの世界に閉じこもっているようだった。


最初は、「真面目一直線な子たちだな」と思った。

だが、教師として生徒を観察するうちに、どこか不自然さを感じるようになった。

彼女たちの地味さは、まるで意図的な擬態のようだった。

何かを隠すために、あえて目立たないように振る舞っている――そんな直感が、私の心に引っかかっていた。


「何か、秘密があるのかな…」


そんなことを考えながら、職員室で彼女たちの答案用紙を採点していたこともある。

答案はいつも丁寧で、桜の字は少し大胆で、皐月の字は繊細。

答案からさえ、二人の違いが感じられた。

ある日、彼女たちは面白いことを仕掛けてきた。双子逆転ドッキリだ。

名前を入れ替えて授業に出てきたのだ。クラスメイトの反応――微妙な笑いや視線の動き――に、すぐに違和感を覚えた。桜は少し背筋を伸ばして堂々と歩くが、皐月は肩をすぼめて控えめだ。声のトーンも、桜の方がわずかに力強い。


「あなたたち、顔はそっくりだけど、雰囲気は全然違うわよ。桜は大胆、皐月は繊細。ちゃんと見てるんだから」


私は笑いながらそう言い、軽く注意しただけに留めた。彼女たちの悪戯は、どこか愛嬌があって憎めなかった。


「中々面白いことするじゃない」


内心、そう思った。あの地味な姉妹にも、こんな茶目っ気があるなんて。だが、彼女たちの目には、どこか秘密を隠すような影があった。それが何なのか、教師として知るべきか、それともそっとしておくべきか――私は迷っていた。


2050年5月8日。その日は、いつも通りの放課後だった。

職員室で明日の授業の準備をしていた私は、突然の悲鳴に顔を上げた。

窓の外、校庭で野球部が練習していたはずなのに、異様な光景が広がっていた。

ふらふらと歩く人影が、部員たちに襲いかかっている。

血が飛び散り、叫び声が響く。


「何…!?」


同僚の教師たちがパニックに陥る中、職員室のドアが勢いよく開き、ゾンビ――そうとしか形容できない化け物がなだれ込んできた。腐臭と血にまみれた顔、ぎこちない動き。

まるでホラー映画のワンシーンだ。


「逃げて! 早く!」


誰かの叫び声に、私は机を飛び越え、廊下に飛び出した。だが、廊下もすでにゾンビで溢れていた。同僚の一人が噛まれ、悲鳴を上げながら倒れる。

私は必死で走り、校長室に逃げ込んだ。

ドアをバリケードで塞ぎ、息を殺して耳を澄ませる。外からは、ゾンビのうめき声と、肉を引き裂く音が響いていた。


校長室の小さな窓から、校庭を見下ろした。

ゾンビの数は増え続け、生きている生徒や教師はほとんど見えなかった。私の心は、恐怖と無力感で締め付けられた。


「こんな…こんなこと、ありえない…」


私は教師だ。生徒を守るのが私の仕事だ。なのに、こうして隠れていることしかできない。

校長室の外はゾンビで溢れ、ドアを叩く音が響く。

もう、年貢の納め時かもしれない――そんな絶望が、心を支配しかけた。


どれくらい時間が経っただろう。ゾンビのうめき声に混じって、少女の声が聞こえてきた。二人の声――聞き覚えのある、柔らかい声。


「桜、こっち! 早く!」


「皐月、気をつけて!」


私は耳を疑った。あの声は、桜と皐月だ。

彼女たちが、まだ生きている? 希望が胸に灯った瞬間、突然、校長室の壁に何かを叩きつけるような轟音が響いた。

同時に、ドア越しに、焼けるような熱が伝わってきた。


「何!?」


私は凍りついた。新たな化け物でも現れたのか? ゾンビ以上の脅威が、この学校を襲うのか? 恐怖で体が動かず、ただ息を殺して待った。だが、しばらくしても、校長室に侵入してくる気配はなかった。


意を決して、ドアを少し開け、廊下を覗いた。

そこには、信じられない光景が広がっていた。ゾンビの死体が、黒焦げになって壁に叩きつけられていた。

まるで、巨大な力で押し潰され、炎で焼き尽くされたかのようだった。


「誰が…こんなことを?」


背筋が凍る思いだった。この破壊力、この熱。人間にできることではない。

だが、すぐに私の頭に、さっきの声が蘇った。桜と皐月の声。

あの大人しい、気弱そうな姉妹が、こんなことをやってのけるなんて?


「まさか…いや、そんなわけ…」


一瞬、ゾンビ以上の恐怖が、私の心を支配した。彼女たちは、何者なの? あの地味な擬態の裏に、こんな力を隠していたの? だが、すぐに私は自分を叱咤した。


「何を考えてるの、早希! 彼女たちは私の生徒だ。どんな力を持っていようと、信じて、守るのが教師の務めだろう!」


私は教師だ。生徒を信じ、まっすぐに育つよう導くのが私の仕事だ。

桜と皐月が生きているなら、探し出して、なんとしても守らなければならない。


校長室の机から車の鍵を取り出し、バリケードを外した。ゾンビの気配は薄れていた。

彼女たちの力のおかげか、廊下は一時的に静かだった。

私は一気に階段を駆け下り、駐車場に停めたSUVに飛び乗った。エンジンをかけ、校門を突き抜ける。


「桜、皐月、どこにいる!?」


私はハンドルを握りながら、心の中で叫んだ。彼女たちを見つける。それが、私の使命だ。


学校の敷地を出て、住宅街に入った瞬間、制服姿の少女が道路に飛び出してきた。

手を振って、必死に停車を求める。


「桜!」


彼女の後を追うように、もう一人の少女が飛び出してきた。皐月だ。二人とも、汗と埃で汚れ、目には恐怖が宿っていた。

私は急ブレーキをかけ、窓を開けた。


「乗りなさい! 早く!」


私の声に、二人は後部座席に飛び乗り、ドアを閉めた。私はアクセルを踏み込み、ゾンビの徘徊する住宅街を突き進んだ。

バックミラーで後部座席を見ると、桜と皐月は小さく震え、互いの手を握り合っていた。


「ありがとう、先生…!」


桜の声は、震えながらも感謝に満ちていた。皐月は、ただ頷き、姉の手を強く握っていた。


「無事でよかった…本当に、よかった…」


私は安堵の息をつき、彼女たちの姿を見た。

あの焼け焦げたゾンビの光景が、頭をよぎる。

彼女たちがやったのか? あの力は、彼女たちのものなのか? だが、バックミラーに映る二人の姿は、ただの少女だった。年相応の、怖がる普通の生徒。


「桜、皐月、怪我はない? 噛まれてないよね?」

私の声は、教師としての冷静さを取り戻していた。桜が答えた。


「大丈夫です。噛まれてません」


その言葉に、私は頷いた。彼女たちの目には、恐怖と疲労が宿っていたが、どこか強い決意も感じられた。


「よし、警察署に向かうわ。そこなら、安全かもしれない」


私はハンドルを切り、警察署への道を進んだ。だが、心の奥では、彼女たちの秘密に対する好奇心と恐怖が、静かに渦巻いていた。


警察署に到着すると、正門前のゾンビの死体の山に息を呑んだ。鉄門をハシゴで越え、警官のボディチェックを受けた後、建物内に通された。


内部は、コンクリートの壁に銃弾の痕が刻まれ、血と消毒液の匂いが漂っていた。

生存者たちの疲れ切った顔が、状況の深刻さを物語っていた。

若い警官の佐藤が、状況を説明してくれた。警官50人、民間人20人、そのうち3人が猟銃を持つ猟師。

だが、食料と弾薬は限られ、外部との連絡は途絶えている。桜が、両親のことを尋ねた。


「両親を探したいんです。現金輸送の仕事をしてるんですけど…」


彼女の声は、切実だった。佐藤は、明日偵察に出る際に調べてみると約束してくれた。桜と皐月の目に、希望が灯る。

私は、彼女たちのそんな姿に、教師としての責任感を強く感じた。


「二人とも、よく頑張ったわ。今日は休んで、明日また考えましょう」


私の言葉に、二人は頷いた。

皐月の目は、疲れで半分閉じかけていた。

夕食は、缶詰のスープと硬いパン。

簡素な食事だが、生き延びた今、温かいスープはありがたかった。私はパンをかじりながら、警官たちと情報を交換した。

桜と皐月は、黙々と食べていた。彼女たちの静かな姿は、いつもと変わらない。

だが、私は知ってしまった。彼女たちが、ただの生徒ではないことを。


仮眠室として解放された取り調べ室に通された。狭い部屋には、簡易ベッドが三つ。

鉄格子の窓から、ゾンビのうめき声が遠く聞こえる。

私はベッドに腰を下ろし、桜と皐月を見た。

皐月はすでに眠りにつき、桜はまだ起きていた。


彼女の目は、どこか遠くを見ているようだった。


「桜、眠れないの? …こんなことがあったんじゃ、仕方ないわよね。ご両親も心配でしょ?」


私はヒソヒソと声をかけた。

桜は小さく頷き、震える声で答えた。


「はい…父さんと母さん、装甲車に乗ってるはずだから、きっと無事だと思うんですけど…でも、もし、ゾンビに…」


その言葉に、私の胸が締め付けられた。彼女たちは、ただの少女だ。

どんな力を隠していようと、家族を心配する普通の気持ちを持っている。


「大丈夫よ、桜。あなたたちのご両親なら、きっと生きてる。まずはお巡りさんたちに任せましょう? 少なくとも、一般人の私たちよりは強いんだから」


私は、できる限り明るく言った。桜は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに小さく微笑んだ。


「はい、先生。ありがとう」 


私は満足そうに毛布をかぶり、ベッドに横になった。彼女たちを守る。

それが、私の務めだ。どんな秘密を持っていようと、彼女たちは私の生徒だ。

私は、教師として、彼女たちを信じる。


目を閉じると、校長室での恐怖が蘇った。

ゾンビのうめき声、焼け焦げた死体、桜と皐月の声。あの力は、彼女たちのものだったのか? もしそうなら、彼女たちは何者なの? だが、そんな疑問は、今は関係ない。

彼女たちは、私の生徒だ。

怖がり、震え、家族を心配する、普通の少女だ。


「桜、皐月…絶対に守るから」


私は心の中で誓った。警察署は安全ではないかもしれない。ゾンビの群れは、すぐそこまで迫っているかもしれない。

だが、私は教師だ。彼女たちが生き延びるために、できることは全てやる。


薄暗い取り調べ室で、桜と皐月の寝息が聞こえる。私は目を閉じ、静かに眠りについた。だが、迫りくる危機は、すぐそこまで来ていた――。

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