第3話
私たちが警察署についた翌日、午前中から街に偵察に出ていたお巡りさん達は夕方に戻ってくると学校や公民館を巡ったが生存者はいなかったことを伝えた。
私は昨日、話しかけてきた若い警察官の佐藤さんにこっそりと話しかけ両親のことを聞いてみた。
「君は昨日の…ごめんね、僕も見に行きたかったんだけど新人の意見は聞いてもらえなくてね…でも偵察の途中に銀行の前を通ったんだけど銀行には頑丈そうなバリケードを敷いてあったんだ。もしかしたらそこに御両親はいるかもしれないんだよ。でも銀行にバリケードが敷いてあったということで明日様子を見に行くことになったんだよ。」
その言葉に、桜の心に小さな希望が灯った。
だが、同時に、もし何もわからなかったら? もし、悪い知らせだったら? そんな考えが、希望を曇らせる。彼女は皐月の手を握り、妹の温もりにすがった。
「ありがとう、佐藤さん! お願いします!」
皐月の声は、純粋な希望に満ちていた。その声が、桜の心を少しだけ軽くした。だ
が、彼女の内側では、別の葛藤が渦巻いていた。学校でゾンビを焼き尽くした瞬間、同級生だった少年の顔が黒焦げになる光景が、脳裏に蘇る。
あれは人間じゃなかった、ゾンビだった――そう自分に言い聞かせるが、罪悪感は消えなかった。
もし、能力を使い続けなければならなくなったら? もし、誰かに見られたら? 自分たちの秘密が明るみに出たら、どんな目で見られるのだろう。
「私たち、変だよね…」
桜は心の中で呟き、会議室の壁にもたれかかった。
生存者たちの疲れ切った顔が、彼女に現実の重さを突きつけた。
夕食の時間になり、生存者たちは簡素な食事を配られた。缶詰のスープと硬いパン。
普段なら文句を言うような食事だが、ゾンビの脅威を逃れた今、温かいスープはまるでご馳走だった。
桜はスープを飲みながら、皐月の横顔を見た。
妹は小さなスプーンを手に、黙々と食べていた。彼女の念動力は、疲れからか少し不安定で、スプーンが時折わずかに浮いていた。
「皐月、ちゃんと食べて。力、つけないと」
桜の声は優しく、姉としての責任感が滲んでいた。皐月は小さく笑い、答えた。
「うん、桜もね。…このスープ、意外と美味しいよ」
その笑顔に、桜の心は少し軽くなった。
どんな状況でも、皐月がそばにいることが、彼女の最大の支えだった。
だが、彼女の胸には、能力を隠す重圧がのしかかっていた。
このスープを温めたのは、ガスコンロだったが、もし自分が炎を使えば、もっと簡単にできたかもしれない。そんな考えが頭をよぎり、桜は首を振った。能力を使うことは、危険すぎる。誰かに見られたら、迫害されるかもしれない。彼女の指先が熱くなり、彼女はスプーンを握りしめた。
早希は隣でパンをかじりながら、警官たちと話を続けていた。
彼女の声は力強く、教師としての責任感が滲んでいた。
桜は、早希のそんな姿に、どこか安心感を覚えた。彼女はただの教師ではない。
危機の中でも冷静で、まるで生徒を守る盾のような存在だった。だが、桜の心には、早希に対する別の思いもあった。彼女は、双子逆転ドッキリを見抜いた鋭さを持っている。
もしかして、超能力者なのではないか? そんな突飛な想像が、桜の孤独感を刺激した。
誰かに、能力のことを相談できたら――そんな願いが、彼女の心に芽生えていた。
夕食を終えた三人は、仮眠室として解放された取り調べ室に案内された。狭い部屋には、簡易ベッドが三つ並び、壁には古いポスターが貼られたままだった。
窓は鉄格子で覆われ、ゾンビの侵入を防ぐための措置が施されている。部屋の空気は冷たく、消毒液の匂いが鼻をついた。
「ここで少しでも寝なさい。明日は忙しくなるわよ」
早希の声に、桜と皐月は頷いた。案内してくれた警官がドアを閉め、足音が遠ざかると、部屋は静寂に包まれた。
だが、遠くで響くゾンビのうめき声や、署内の生存者たちのざわめきが、完全な安息を許さなかった。
桜はベッドに腰を下ろし、皐月を見た。
妹はすでにベッドに横になり、毛布を被っていた。彼女の寝顔は、まるで子猫のようで、穏やかで無垢だった。
桜は微笑みながら、皐月の髪をそっと撫でた。
「自画自賛になるのかな…でも、皐月、ほんとに可愛いよ」
桜の心には、妹への深い愛情が溢れていた。幼い頃からずっと一緒だった。
顔立ちも背格好も、声までそっくりな双子。
違うのは、皐月が自分より少し内向的で、好きな本が恋愛ものが好きな私と違ってファンタジーなこと。
そして、何より、二人を分ける最大の違い――桜のパイロキネシスと皐月のサイコキネシス。
桜は自分の手を眺めた。指先には、炎を放った後のわずかな熱が残っていた。
学校での戦闘が、彼女の心に重くのしかかっていた。あの時、炎を使ったことで、ゾンビを退けた。
だが、同時に、自分が「普通の少女」から遠ざかった気がした。
能力は、姉妹を守る力であると同時に、彼女たちを異端にする呪いでもあった。
「もし、誰かにバレたら…私たち、どうなるんだろう」
桜の心は、不安で揺れた。
だが、皐月の寝顔を見ると、そんな不安も少しだけ和らいだ。妹がいるから、自分は強くなれる。
皐月を守るためなら、どんなことでもできる――そう、桜は自分に言い聞かせた。
次に、桜の思考は早希に向かった。
木本早希、25歳。一年生から続けて担任をしてくれている歴史教師。
彼女の授業は、歴史の出来事を物語のように語るスタイルで、桜も皐月も大好きだった。早希は普段、厳格で知的な印象だが、今日の危機の中では、まるで姉のように頼もしく感じられた。
「恋人がいるって噂、ほんとかな…」
桜はふと思い出し、苦笑した。早希は恋愛の話題になると、いつもはぐらかす。
生徒たちの好奇心をかわすのが上手いのだ。
一度、桜と皐月が「双子逆転ドッキリ」を仕掛けたことがあった。
名前を入れ替えて授業に出たのだが、早希は一瞬でそれを見抜き、軽く注意しただけだった。
「あなたたち、顔はそっくりだけど、雰囲気は全然違うわよ。桜はちょっと大胆で、皐月は繊細。ちゃんと見てるんだから」
あの時の早希の言葉が、桜の心に残っていた。
もしかして、彼女は超能力者なのではないか――そんな突飛な想像が頭をよぎる。
もしそうなら、能力のことを相談できるかもしれない。だが、すぐに桜は首を振った。
「まさかね…ただの鋭い先生だよ」
それでも、早希の存在は、桜にとって大きな安心だった。
彼女は、ゾンビの脅威の中でも冷静で、まるで生徒を守るために生まれてきたような人だった。
だが、桜の心には、早希に対する小さな不安もあった。
もし、能力がバレたら、早希はどう思うだろう? 生徒としてではなく、怪物として見るかもしれない。
そんな考えが、桜の心を締め付けた。
桜が物思いにふけっていると、早希がベッドの上で身じろぎし、こちらを見た。
彼女は皐月の寝息を確認し、ヒソヒソと声をかけてきた。
「桜、眠れないの? …こんなことがあったんじゃ、仕方ないわよね。ご両親も心配でしょ?」
早希の声は優しく、教師としての責任感が滲んでいた。桜は小さく頷き、胸の内を吐露した。
「はい…父さんと母さん、装甲車に乗ってるはずだから、きっと無事だと思うんですけど…でも、もし、ゾンビに…」
桜の声は震え、言葉が途切れた。早希は少し間を置き、静かに言った。
「大丈夫よ、桜。あなたたちのご両親なら、きっと生きてる。まずはお巡りさんたちに任せましょう? 少なくとも、一般人の私たちよりは強いんだから」
早希の言葉は、大雑把で少し楽観的だった。桜は一瞬、肩透かしを食らったような気分になった。
もっと深い言葉を期待していたのに、こんな簡単な励ましでいいの? だが、早希の満足そうな表情を見ると、逆にその人間臭さに安心感を覚えた。彼女は完璧なヒーローではない。
ただ、できることをやって、希望を捨てない人なのだ。
「はい、先生。ありがとう」
桜は小さく微笑み、早希は「いいこと言った!」とばかりに満足そうに毛布をかぶって眠りについた。桜はベッドに横になり、目を閉じた。警官に任せる。それが今、できることだ。両親は無事だと信じよう。
皐月がそばにいる。それだけで、十分だ――そう自分に言い聞かせ、桜は眠りについた。
だが、桜が知る由もなかった。最悪の展開は、すぐそこまで迫っていた。
警察署の鉄門の向こうでは、ゾンビの群れが静かに数を増やしていた。食料と弾薬は減り続け、生存者たちの士気は下がる一方。署内の誰かが、ゾンビに噛まれた傷を隠しているかもしれない。
あるいは、両親の偵察が、桜と皐月に残酷な真実を突きつけるかもしれない。
桜の夢の中では、炎が燃え上がり、皐月の笑顔が遠ざかっていく。
彼女の手は熱く、制御できない炎が周囲を焼き尽くす。
「皐月、待って…!」
夢の中で叫ぶ桜の声は、現実には届かない。警察署の夜は、静かに、しかし確実に、危機へと向かっていた。