第21話
私の心臓が、耳元でドクドクと鳴る。
山中の洋館、薄暗いダイニングのテーブルの下に、皐月と身を潜める。
木の冷たさが頬に触れ、埃と血の匂いが鼻をつく。
奥の扉から響く呻き声――ウゥゥ…――と重い足音――ドス、ドス――が、部屋に近づいてくる。
私の指先が、発火能力の熱を帯びてくすぶる。皐月の念動力が、空気を締め付ける。
彼女の青ざめた顔、汗で濡れた前髪。ゾンビの街、黒い大男――タイタン――との戦いを乗り越えた姉妹の絆が、今、試される。
扉が、キィィと開く。
足音が、ダイニングに入る。ドス、ドス。私の視界に、巨大な影が映る。2メートルを超える巨体、黒い輪郭。タイタン? いや、違う。シルエットが、微妙に異なる。
肩が異様に広く、腕が地面に届きそう。人間じゃない。
何か、別の…怪物。私の胸が、恐怖で締め付けられる。
炎を放ちたい。でも、制御を失えば、洋館が燃える。
皐月が、震える手で私の腕を握る。
彼女の念動力が、テーブルを微かに震わせる。
影が、ゆっくり移動する。
テーブルのすぐ横を、通り過ぎる。ドス、ドス。床が、微かに軋む。私は、息を殺す。影の足――ゴムのような黒い靴底――が、目の前を通過する。
異臭が、鼻をつく。腐った肉と、化学薬品の匂い。私の胃が、縮こまる。影が、私たちが入ってきたホールの扉へ向かう。キィィ。
扉が開き、足音がホールに響く。ドス、ドス。階段を登る音――ゴン、ゴン――に変わる。
遠ざかる。私は、ようやく息を吐く。
「皐月…行った…」
私の囁きに、彼女が頷く。
「うん、桜…でも、まだ近くに…気配が…」
私たちは、テーブルの下から這い出る。ダイニングは、薄暗い。シャンデリアのガラスが、チリンと鳴る。壁の肖像画の目が、こちらを睨む。テーブルの黒いシミ――乾いた血――が、不気味に光る。私は、皐月の手を握る。彼女の指が、冷たい。
「皐月、逃げようか? あの影…危険すぎる…」
私の声が、震える。ゾンビの街、タイタンの襲撃。あの恐怖を、繰り返したくない。父さん、母さん、早希先生。平和な日常を、守りたい。だが、皐月の目が、変わる。青い瞳に、決意の光が宿る。
「桜…逃げても、追いかけてくるよ。あの噂、私たちを狙ってる。確かめないと、家族が…」
彼女の声は、静かだけど、強い。私は、彼女の決意に胸が熱くなる。皐月は、いつもこうだ。弱い自分を、乗り越える。私は、頷く。
「うん、皐月。あなたが言うなら、続けるよ。私たち、負けない」
彼女が、微笑む。
「うん、桜。あなたと一緒なら、怖くない」
私たちは、奥の扉へ向かう。
影が入ってきた扉。
木製、彫刻が施されてる。ノブが、冷たい。私は、皐月の目を覗く。彼女が、念動力を広げる。
「桜、準備OK?」
私は、炎を静め、頷く。
「うん、皐月。行こう」
扉を、キィィとゆっくり開ける。
扉の先は、長い廊下。薄暗く、壁紙が剥がれかける。
床は、木製。ところどころ、黒いシミ。血? それとも、何か別の…? 空気が、湿って重い。カビと、鉄の匂い。
私の背筋が、ゾクゾクする。正面と右側に、木製の扉。左側に、廊下が伸びる。廊下の先、右側に、小さなスペース。談話室のようだ。
古いソファ、テーブル、埃をかぶった本棚。
窓は、板で塞がれ、闇に沈む。
「皐月…ここ、ヤバいね…」
私の声が、廊下に反響する。皐月の念動力が、空気を震わせる。
「うん、桜…気配、強いよ。談話室の奥…何か、いる…」
私は、彼女の手を握る。心臓が、ドクドクと鳴る。談話室の奥、壁際。暗闇に沈む一角から、細い白い足が伸びてる。
焦茶色のローファーに黒のハイソックスの人間の足。爪が汚れてる。私は、息を呑む。ゾンビ? いや、動いてない。死体? 私の炎が、指先でくすぶる。
「皐月…あれ、人だよね? 生きてる…?」
彼女が、目を閉じる。
「…生きてる。微かに、動いてる…でも、変な感じ…」
私たちは、恐る恐る近づく。足音を殺し、廊下を進む。談話室に入る。ソファの革が、ひび割れ、埃が舞う。テーブルの上、割れたガラスコップ。
壁に、爪痕。私の胸が、締め付けられる。この部屋、何があった? 噂の宇宙服、大男、二人組の女の子。
私たちを、誘い込んだ罠?
壁際の足に、近づく。暗闇が、少女の姿を現す。
小柄、自分たちと同じかすぐ年下くらいの顔、白い髪、ミディアムヘア。
白い肌、ほとんど透明に見える。
鋭い目つき、閉じた瞼。
黒い外套のような服、その下に、白いブラウス、黒いハーフパンツ。外傷は、ない。眠ってるみたい。でも、不気味だ。人間なのに、人間じゃない気配。私の背筋が、凍る。
「皐月…この子、誰…?」
私の囁きに、皐月の念動力が、少女を探る。
「桜…生きてるけど…何か、変。心臓、ゆっくりすぎる…」
私は、恐る恐る近づく。少女の肩に、触れる。冷たい。まるで、死体。でも、微かに、温かい。私は、肩を軽く叩く。
「ねえ…大丈夫?」
少女の瞼が、ピクッと動く。緑色の瞳が、開く。鋭い、獣のような目。私は、思わず後ずさる。彼女が、ゆっくり起き上がる。小さな声で、呟く。
「お腹…すいた…」
私の心臓が、止まりそうになる。声は、弱々しいけど、どこか、異質だ。人間の声じゃない。ゾンビ? いや、違う。
彼女の目は、澄んでる。でも、感情がない。
私は、リュックを開け、サンドイッチとペットボトルのお茶を取り出す。
「これ…食べる?」
少女が、黙って受け取る。
サンドイッチを、ガツガツ食べる。パン屑が、床に落ちる。
ペットボトルのお茶を、ゴクゴクと一気に飲み干す、彼女の喉が、動く。
私は、皐月と顔を見合わせる。彼女の念動力が、少女を警戒する。
少女が、食べ終わる。緑色の瞳が、私たちに向く。無表情。感情がない。彼女が、小さな声で言う。
「あなたたち…誰?」
声色に、緊張感がない。まるで、機械のよう。私は、喉を鳴らし、答える。
「私は、桜。こっちは、姉妹の皐月。あなたは…?」
彼女が、首をかしげる。
「レザー…エプロン」
名前? 変な名前。彼女の目が、虚ろだ。私は、勇気を振り絞り、尋ねる。
「レザー、なんでここにいるの? どこから来たの?」
彼女が、目を伏せる。
「…わからない。名前しか、覚えてない。ここ、目が覚めたら、いた…」
記憶喪失? 私の胸が、締め付けられる。彼女の白い髪、緑色の瞳、異質な気配。人間じゃない。タイタンの組織、兵器の実験? 噂の宇宙服、大男。レザーは、その一部?
皐月が、囁く。
「桜…この子、危険かもしれない。でも、放っておけない…」
私は、頷く。
「うん、皐月。連れて帰ろう。早希先生に、相談する」
レザーが、立ち上がる。小柄な体、黒い外套が、床を擦る。彼女が、無表情で言う。
「あなたたち…いい人?」
私は、彼女の目を見つめる。緑色の瞳、底知れない。私は、笑う。
「うん、レザー。私たち、友達になれるよ」
談話室の闇が、私たちを包む。遠くで、階段の軋む音。巨大な影は、まだ上にいる。
レザーの気配、洋館の謎。私の炎が、燃える。皐月の念動力が、守る。
「皐月、レザー、行こう。外に出るよ」
皐月が、頷く。
「うん、桜。あなたと一緒なら、怖くない」
レザーが、黙ってついてくる。