第20話
2050年6月中旬、ゾンビパニックから1カ月半。新しい地方都市での生活は、平和だ。白いセーラー服の中高一貫校、喫茶店「モーニングライト」でのアルバイト、父さんと母さんの笑顔。でも、胸の奥で、ざわめきが消えない。
黒い大男――タイタン――の赤い目が、夢に現れる。皐月の念動力で心臓を潰され、死んだはずなのに、喫茶店で耳にした噂が、頭から離れない。街の外れの山中、洋館。
宇宙服を着た人、大男の暴れる音、二人組の女の子が化け物を狩る話。
あの噂は、私と皐月を指してる? 新たな脅威が、迫ってる?
土曜の朝、リビングで皐月と朝食のトーストを食べる。
彼女の繊細な手が、ジャムを塗る。念動力の負担で青白かった顔は、笑顔で輝く。私は、彼女の目を覗く。
「皐月、今日…洋館、行ってみない?」
彼女の手が、止まる。青い目が、不安で揺れる。
「桜…あの噂、本当かな? 怖いよ…でも、放っておけないよね…」
私は、彼女の手を握る。温かい。ゾンビの街、隔離施設、駐屯地。あの戦いを、姉妹で乗り越えた。早希先生には、相談した。彼女は、調べてくれるって。
でも、待ってるだけじゃ、私たちの平穏は守れない。私は、決意を込めて言う。
「皐月、私たちで確かめよう。もし、何かあっても、あなたの念動力、私の炎、負けないよ」
彼女が、力強く頷く。
「うん、桜。あなたと一緒なら、行ける」
父さんと母さんに、ハイキングに行くと言って、家を出る。リュックに、水筒と懐中電灯、サンドイッチ。心の奥で、炎が燃える。どんな闇が待ってても、皐月と一緒なら、怖くない。
街の外れ、バスで30分。山の麓で降り、獣道を登る。夏の陽射しが、木々の隙間から差し込む。鳥のさえずり、葉擦れの音。
だが、標高が上がるにつれ、空気が重くなる。
霧が、薄く漂う。私は、皐月の手を握る。彼女の指が、冷たい。念動力が、微かに空気を震わせる。
「桜…なんか、変な感じ…」
皐月の声に、私は頷く。
「うん、皐月。気をつけよう。念動力、感じる?」
彼女が、目を閉じる。
「…何か、遠くに、強い気配。人間じゃない…」
私の心臓が、ドキンと跳ねる。黒い大男? いや、死んだはず。なのに、なぜ、こんな不安が? 道が開け、洋館が現れる。2階建て、赤い屋根、白い外壁。古い建物のはずなのに、塗装は新しく、窓ガラスはピカピカ。
庭は、雑草一つなく、整えられてる。不気味だ。
廃墟じゃない。誰かが、管理してる。
私は、皐月の目を覗く。
「皐月、準備OK?」
彼女が、頷く。
「うん、桜。行きましょう」
玄関は、木製の重いドア。真鍮のノブが、冷たい。私は、ノブを回す。ガチャガチャ。鍵がかかってる。開かない。私は、ため息をつく。
「ダメか…どうしよう?」
皐月が、静かに言う。
「桜、私、やってみる」
彼女が、鍵穴に手を添える。目を閉じ、念動力を集中させる。カチ、カチ。金属が動く音。私は、息を殺す。彼女の額に、汗が滲む。ガチャリ! 鍵が開く。私は、彼女の肩を抱く。
「皐月、すごい! やったよ!」
彼女が、はにかむ。
「うん、桜。簡単だったよ。…でも、気をつけて」
ドアを押す。キィィ、と軋む音。薄暗いホールが広がる。空気が、冷たく、湿ってる。カビと消毒液の匂いが、鼻をつく。
天井は高く、シャンデリアが埃をかぶる。床は、大理石。ひび割れはあるけど、磨かれてる。左右に、木製の扉。奥に、階段が2階へ続く。
窓は、厚いカーテンで閉ざされ、薄い光が隙間から漏れる。人の気配は、ない。なのに、背筋がゾクゾクする。
私は、皐月の手を握る。
彼女の念動力が、空気を震わせる。
「皐月、感じる? 何か…いる?」
彼女が、目を閉じる。
「…わからない。気配は、あるけど、遠い…深いところに…」
私の胸が、締め付けられる。地下? あの噂、宇宙服、大男、二人組の女の子。私たちを、誘い込んでる?
「桜…怖いよ。でも、確かめないと…」
皐月の声に、私は頷く。
「うん、皐月。逃げないよ。私たち、強いよ」
彼女が、微笑む。
「うん、桜。あなたがいるから、行ける」
私は、ホールの左の扉へ向かう。木製の扉、彫刻が施されてる。ノブを握る。冷たい。
心臓が、ドクドクと鳴る。
私は、皐月の目を覗く。彼女が、頷く。私は、扉を開ける。キィィ。
扉の先は、ダイニング。広い部屋、長い木製のテーブル。20脚以上の椅子が、整然と並ぶ。
壁には、肖像画。古い洋服の男女、目がこちらを睨む。窓は、カーテンで閉ざされ、薄暗い。シャンデリアが、天井で揺れる。
ガラスが、チリンと鳴る。空気が、重い。埃と、何か、鉄のような匂い。
血? 私の炎が、指先でくすぶる。
「皐月…ここ、変だね…」
私の声が、部屋に反響する。皐月が、念動力を広げる。
「うん、桜…何か、近くに…」
テーブルを見ると、皿やカトラリーはない。なのに、テーブルの端に、黒いシミ。乾いた血? 私の背筋が、凍る。
ゾンビ? 大男? それとも、何か別の…? 私は、皐月の手を強く握る。彼女の指が、震える。
「桜…あの噂、本当かも…」
彼女の声に、私は頷く。
「うん、皐月。気をつけよう。まだ、誰もいない…よね?」
突然、奥の扉から、呻き声が聞こえる。ウゥゥ…。低く、獣のような声。私の心臓が、止まりそうになる。続いて、ドス、ドス。重い足音。ゆっくり、近づいてくる。
私は、皐月の目を覗く。彼女の顔が、青ざめる。念動力が、空気を締め付ける。
「皐月! あれ…何!?」
私の声が、震える。彼女が、囁く。
「桜…わからない。でも、危険…隠れよう!」
私は、彼女の手を引き、テーブルの下に身を隠す。木の冷たさが、頬に触れる。
心臓が、耳元で鳴る。呻き声が、近づく。ウゥゥ…。足音が、扉の前で止まる。
ドス。私の炎が、制御を失いそうになる。皐月の念動力が、テーブルを微かに震わせる。
「皐月…準備して。私、炎、使うよ…」
私の囁きに、彼女が頷く。
「うん、桜。私、念動力、制御する。あなたと、一緒に…」
扉が、キィィと開く。足音が、部屋に入る。
ドス、ドス。
私の視界に、影が映る。巨大な影。黒い大男? いや、違う。何か、別の…。
私の胸が、恐怖で締め付けられるのだった。