第19話
2050年6月、ゾンビパニックから1カ月。陸上自衛隊の駐屯地での隔離期間を終え、私たち――桜、皐月、父さん、母さん、早希先生――は、ゾンビ隔離エリアの外、平和な地方都市に移った。
新しい家は、木造の2階建て。
白い壁、青い屋根、庭には小さな花壇。
朝日がカーテンを透かし、鳥のさえずりが響く。
ゾンビのうめき声も、黒い大男の咆哮も、ここにはない。なのに、胸の奥で、ざわめきが消えない。
あの赤い目が、夢に現れる。
私は、キッチンで皐月と朝食のトーストを焼く。
彼女の繊細な手が、バターを塗る。念動力の負担で青白かった顔は、血色を取り戻してる。彼女が、微笑む。
「桜、今日、喫茶店のシフト、楽しみだね」
私は、彼女の明るい声に笑う。
「うん、皐月。エプロン、似合うよ。コーヒーの淹れ方、もっと上手くなろうね」
新しい中高一貫校に編入して2週間。白いセーラー服、広々とした校庭、笑顔のクラスメイト。
過去のことは、誰も知らない。
私と皐月の超能力、ゾンビの街での戦い、黒い大男との死闘。早希先生だけが、知ってる。
彼女は、教師を辞め、カウンセラーとして同じ学校に来てくれた。
私たちのトラウマを、そっと支えてくれる。
母さんが、リビングから声をかける。
「二人、遅刻しないようにね! 喫茶店のバイト、頑張って!」
父さんが、新聞を手に笑う。
「桜、皐月、コーヒー淹れるの、上手くなったな。週末、飲みに行くぞ」
私は、皐月の手を握り、笑う。
家族が、揃ってる。この温もりが、どんな闇も燃やしてくれる。
学校の授業を終え、私と皐月は、早希先生の紹介で始めた喫茶店「モーニングライト」へ向かう。街の中心にある、古い木造の店。
ガラス窓に手書きのメニュー、ドアのベルがチリンと鳴る。
店内は、コーヒーの香りと焼き菓子の甘い匂いで満たされる。
木のテーブル、赤いクッションの椅子、壁には古いレコードジャケット。
カウンターでは、マスターの老夫婦が、穏やかに微笑む。
私は、エプロンを着け、コーヒー豆を挽く。ガリガリと豆が砕ける音、香りが鼻をくすぐる。皐月が、トレイにカップを並べ、注文をメモする。
彼女の動きは、軽やかだ。念動力を使わず、普通の女の子として働く彼女が、愛おしい。
「桜、テーブル3番、アイスコーヒー2つね!」
皐月の声に、私は頷く。
「了解! 皐月、ケーキのオーダー、忘れないでね!」
私たちは、笑い合う。ゾンビの街では、こんな日常、想像もできなかった。
カウンターで、マスターが言う。
「桜ちゃん、皐月ちゃん、いいコンビだね。お客さん、君たちの笑顔、気に入ってるよ」
私は、照れ笑いする。
「ありがとう、マスター。喫茶店、夢だったんです」
皐月が、目を輝かせる。
「うん、マスター。いつか、私たちの店、作りたいな」
夕方、店が混み合う。窓の外は、夕焼けに染まる。街は平和だ。自転車で走る子供、犬を散歩させる老人、笑顔の家族。
でも、胸の奥で、ざわめきが消えない。黒い大男は、皐月の念動力で心臓を潰され、死んだはず。なのに、なぜ、落ち着かない?
テーブル5番で、2人の男が話してる。30代くらい、スーツ姿のサラリーマン。
コーヒーを飲みながら、声を潜める。私は、トレイを手に、近くで耳を澄ます。
「街の外れの山、知ってるか? あの洋館、変な噂があるんだ」
「洋館? ああ、廃墟になってるやつな。何の噂?」
「宇宙服みたいなの着た奴が出入りしてるって。でかい男が、暴れてるらしい」
「マジかよ。ゾンビ騒ぎの後だから、変な話、増えたな」
「それだけじゃねえ。二人組の女の子が、洋館で化け物狩りしてるってよ」
私の手が、震える。トレイが、ガタッと鳴る。皐月が、カウンターから私を見る。彼女の目が、不安で揺れる。私は、彼女に小さく頷く。
聞こえたんだ。二人組の女の子。
私と皐月? 黒い大男? 宇宙服? 頭が、混乱する。ゾンビパニックは、終わったはず。
なのに、なぜ、こんな噂が?
私は、トレイを置き、皐月に近づく。
「皐月、聞いた? あの噂…」
彼女が、青ざめる。
「うん、桜…洋館、大男…私たち、関係あるのかな…」
私は、彼女の手を握る。彼女の指が、冷たい。念動力が、微かに空気を震わせる。
シフトが終わり、店を閉める。マスターが、残りのケーキをくれる。
「二人、持って帰りな。家族で食べなよ」
私は、笑顔で受け取る。
「ありがとう、マスター。明日も、頑張ります!」
外は、夜。街灯が、柔らかく光る。星空が、広がる。
私は、皐月の手を握り、家へ向かう。噂が、頭から離れない。大男。
二人組の女の子。洋館。私たちの超能力が、また、試される? 黒い大男は、死んだはずなのに。
家に着くと、玄関で早希先生が待ってる。
カジュアルなコート、眼鏡の奥の目が、優しいけど、真剣だ。
「桜、皐月、話があるの。上がってもいい?」
私は、ハッとする。先生、噂を知ってる? 私は、頷く。
「うん、先生。入って。父さんと母さん、今、夜勤だから…」
リビングで、先生がソファに座る。私と皐月は、向かいで手を握る。先生が、静かに言う。
「二人、喫茶店で、変な噂、聞いたでしょ? 洋館の話」
私の心臓が、ドキンと跳ねる。
「先生、知ってるの? 宇宙服、大男、二人組の女の子…」
皐月が、震える声で言う。
「私たち…また、戦うの? 黒い大男、死んだのに…」
先生が、眼鏡をかけ直す。
「噂の出どころは、わからない。でも、街の外れの洋館、昔、研究施設だったって話があるの。ゾンビ騒ぎの前から、怪しい噂があった」
私は、息を呑む。
研究施設? 黒い大男は、ただの怪物じゃなかった。組織の存在、兵器。
あの薄暗い部屋での会話が、頭に浮かぶ。
「先生…私たち、関係あると思う? あの噂、私たちを狙ってる?」
先生が、私たちの手を取る。
「わからない。でも、二人だけで動かないで。私も、調べる。学校のカウンセラーとして、街の情報、集められるから」
皐月が、目を潤ませる。
「先生…怖いよ。また、家族が、危険に…」
私は、彼女を強く抱きしめる。
「皐月、大丈夫。私、守るよ。先生も、いる」
夜、部屋で、皐月とベッドに並ぶ。窓の外、星が光る。私は、彼女の手を握る。
「皐月、噂、気になるけど…喫茶店、続けようね。父さんと母さん、喜んでるよ」
彼女が、微笑む。
「うん、桜。エプロン着て、コーヒー淹れるの、楽しい。あなたと一緒なら、怖くない」
でも、胸の奥で、不安が消えない。
洋館、大男、二人組の女の子。あの組織が、私たちを追ってる? 黒い大男は、兵器だった。私たちの超能力も、狙われてるかもしれない。私は、炎を静める。
皐月に、気づかれたくない。
「桜、もし、また戦うなら…私、念動力、使うよ。あなたと、家族を守る」
皐月の声に、私は頷く。
「うん、皐月。私も、炎で戦う。先生、父さん、母さん、みんなで、未来を守るよ」
星空の下、私たちは眠る。
洋館の噂は、闇に潜む。でも、私たちには、桜と皐月の絆、早希先生の覚悟、家族の愛がある。