幕間
日本のどこか、都市の喧騒から遠く離れた場所。コンクリートと鋼鉄でできた無機質なビルの地下深く、薄暗い部屋が広がる。
空気は重く、消毒液と埃が混じった匂いが鼻をつく。
壁は灰色のコンクリートで、ひび割れが蜘蛛の巣のように走る。天井の蛍光灯は一つだけ、チカチカと不安定に明滅し、部屋の中央に置かれた大型スクリーンに青白い光を投げかける。
スクリーンの前には、黒いガラス製のテーブル。テーブルを囲む5つの椅子には、影のような人物たちが座る。誰も動かない。
誰も声を上げない。静寂が、部屋を支配する。
私は、スクリーンの横に立つ。黒いスーツ、黒いネクタイ、磨かれた革靴。メガネのレンズが、スクリーンの光を反射し、表情を隠す。私の名は佐伯。組織の「調整役」。
この部屋に集まった者たちの思惑を繋ぎ、計画を進めるのが私の役目だ。胸ポケットのペンが、唯一の装飾。だが、このペンは、ただの筆記具じゃない。
必要なら、喉を突く武器になる。
スクリーンに、映像が映し出される。荒廃した街。
焼け焦げたビル、ひび割れた道路、ゾンビの群れ。そして、2メートルを超える黒い大男。墨汁のような肌、赤い目、鋼材を握る筋肉質な腕。
映像は、彼の視界を捉えたものだ。頭部に埋め込まれたカメラが、戦闘の全てを記録している。
陸上自衛隊の駐屯地。コンクリートのバリケードを叩き砕く彼。自衛隊員の銃弾が、肉に食い込む。
だが、彼は止まらない。怒りに燃える目が、標的を探す。
私の手が、リモコンを握る。
映像が、一時停止。黒い大男の顔が、スクリーンに凍りつく。部屋の空気が、冷える。私は、静かに言う。
「以上が、今回の戦闘実験の記録になります」
テーブルを囲む5人のうち、中央に座る男が、初めて動く。
茶色の迷彩服、肩に階級章。50代半ば、浅黒い肌、鋭い鷲のような目。外国人だ。
アメリカ人、名前はロバート・クラーク。民間軍事会社「ヘリオス」の幹部。
この組織の主要な出資者であり、黒い大男――コードネーム「タイタン」――の開発計画の監視者。彼の声は、低く、抑揚がない。
「ふむ、パワーと耐久性は申し分ないようだな…あとは…」
彼の指が、テーブルのガラスを軽く叩く。トン、トン。音が、部屋に響く。
他の4人は、黙ったまま。顔は影に隠れ、表情が見えない。だが、彼らの気配は、計算と欲望に満ちている。
私は、メガネをかけ直し、答える。
「はい、課題は俊敏性と武器を扱えるだけの知能の向上になります。そこはおいおいに…」
私の声は、平静を装う。だが、クラークの目は、私を突き刺す。彼は、結果を求める男だ。失敗は許さない。
タイタンの開発には、数十億ドルの資金が投じられている。ゾンビの脅威が世界を覆う中、タイタンは「究極の兵器」として、戦場を支配する存在になるはずだ。だが、まだ、完成には遠い。
クラークが、スクリーンに目を戻す。
映像は、タイタンがバリケードを破壊する瞬間で止まっている。
「それよりも、面白い人間が日本にもいるようだ…まさかニンジャがこの時代にいるとはな…」
彼の口元が、わずかに歪む。嘲笑か、興味か。私は、彼の言葉に反応する。
「はい、我々も想定外の出来事です。上手くすれば、彼女らも兵器に転用できるかもしれません」
私の言葉に、部屋の空気が変わる。他の4人が、微かに身じろぎする。彼女ら――桜と皐月。双子の姉妹、超能力者。桜の発火能力、皐月の念動力。
映像の後半、タイタンが突然倒れる瞬間が映っている。口から血を吐き、心臓を握り潰されたように崩れ落ちる。皐月の念動力だ。私たちの計算にはなかった変数。
スクリーンが、映像を再開する。駐屯地の正門。霧に覆われた朝。タイタンが、バリケードを粉砕し、侵入する。自衛隊員の銃弾が、肉を裂く。
だが、彼は止まらない。赤い目が、標的を探す。
映像は、タイタンの視界を忠実に再現する。突然、彼の動きが止まる。胸を押さえ、口から血が溢れる。
ガクンと膝をつき、前のめりに倒れる。カメラが、地面を捉え、映像が途切れる。
部屋が、静寂に包まれる。私は、リモコンを置き、言う。
「タイタンの心臓は、強化繊維とナノマシンで保護されていました。それを、外部から破壊する力…皐月と名乗る少女の念動力です」
クラークの目が、細まる。
「彼女たちの体は、利用できる。簡単に壊さないでくれよ? 君らの国には、もったいないオバケなるものがいるのだろう?」
彼の言葉に、私は苦笑する。
「ええ、その存在を信じる者はいませんが…ともかく、彼女たちのことを少し探らせていただきます。あくまでタイタンの実験のついで、失敗したときの次善の策として、ですが」
私の声は、慎重だ。桜と皐月は、駐屯地での戦いの後、輸送ヘリでゾンビ隔離エリアの外へ移送された。今、彼女たちは「平和な世界」にいる。だが、彼女たちの超能力は、組織にとって宝だ。
兵器として、あるいは、研究材料として。
クラークが、テーブルのガラスを再び叩く。トン、トン。
「ふむ、彼女らはいまや注目の的だからな…すぐに事を始めれば、良くない結果にならないからな…そして実験の費用も、おいそれと出せるほど安くはないからな」
彼の目は、警告を発する。組織の資金は、クラークの会社と他の出資者――この部屋にいる影のような人物たち――から出ている。失敗は、資金の打ち切りを意味する…
私は、頷く。
「はい…新たな進展があれば、ご報告させていただきます」
クラークが、満足げに頷く。
「ああ、良い報告を待っているよ」
私は、リモコンを手に、スクリーンを消す。
映像が途切れ、部屋が漆黒の暗闇に包まれる。蛍光灯の明滅が止まり、完全な黒。テーブルの周りの5人が、静かに立ち上がる。足音もなく、気配だけが動く。
クラークの迷彩服が、かすかに擦れる音。影のような4人が、ドアへ向かう。
彼らの顔は、最後まで見えない。組織のルールだ。互いの正体は、知らない方が安全。
ドアが、静かに閉まる。気配が、消える。
私は、一人、暗闇に立つ。
メガネのレンズが、冷たい。胸ポケットのペンを、軽く握る。
桜と皐月。彼女たちのデータは、既に集め始めている。
駐屯地の戦闘記録、自衛隊の報告書、隔離施設の監視映像。
彼女たちの超能力は、タイタンを超える可能性がある。
だが、クラークの言う通り、慎重に動かねばならない。
彼女たちは、ただの少女じゃない。家族、絆、希望。それが、彼女たちを強くする。
私は、暗闇の中で呟く。
「ニンジャ、か…面白い」
部屋は、静寂に包まれる。漆黒の暗闇だけが、私を包む。計画は、始まったばかりだ。




