第17話
2050年5月下旬、ゾンビ襲撃から約3週間と少し。
隔離施設での黒い大男とゾンビの襲撃を切り抜け、氷川弘さんの装甲車で陸上自衛隊の駐屯地にたどり着いた私たち――桜、皐月、早希先生――は、広場で父さんと母さんに再会した。
あの抱擁の温もり、涙で濡れた母さんの頬、父さんのたくましい腕。
今も、胸の奥で熱く響く。でも、喜びの裏で、黒い大男の赤い目が、頭の片隅でちらつく。あの怪物は、皐月の念動力で潰したマンションの瓦礫の下で死んだはずなのに、隔離施設で再び現れた。氷川さんの銃弾で膝をついた彼は、まだ生きてるかもしれない。
駐屯地の広場は、コンクリートの地面に仮設テントが並び、迷彩服の自衛隊員が忙しなく動く。
霧が立ち込め、遠くのバリケードから銃声が響く。
ゾンビのうめき声が、霧の向こうでかすかに聞こえる。
私は皐月の手を握り、彼女の冷たい指を感じる。
彼女の青ざめた顔、汗で濡れた前髪。念動力の負担は癒えたけど、黒い大男の咆哮が、彼女の心に影を落としてる。
私は彼女の肩を抱き、囁く。
「皐月、大丈夫だよ。父さんと母さん、いるよ。私たち、守られてる」
彼女が、弱々しく微笑む。
「うん、桜…でも、なんか、怖い…また、来るよね、あの大男…」
早希先生が、私たちの背に手を置く。眼鏡の奥の目は、疲れてるけど、教師の優しさに満ちてる。
「二人とも、よく頑張ったわ。ここは安全よ。少し、休みましょう」
私は先生の目を見つめ、頷く。彼女がいたから、ゾンビ、黒い大男、マンションの倒壊、隔離施設の襲撃を乗り越えられた。
彼女の覚悟が、私の炎を強くする。
父さんが、大きな手で私の頭を撫でる。
「桜、皐月、移動するぞ。寝泊まりする建物に案内してくれるってさ」
母さんが、皐月の手を握り、微笑む。
「家族で一緒にいられるよ。もう、離れないからね」
私は、皐月の目を覗き、笑う。家族が揃った。この温もりが、どんな闇も燃やしてくれる。
自衛隊員に案内され、私たちは駐屯地の奥へ進む。
コンクリートの道、鉄のバリケード、監視塔のサーチライト。
駐屯地は、まるで要塞だ。
霧が濃く、朝日が薄く差し込む。ゾンビのうめき声が、遠くで響く。
案内役の若い自衛隊員が、硬い声で言う。
「ここで、残りの隔離期間を過ごしてもらいます。期間が終われば、輸送ヘリで安全な場所へ移送します」
私は、皐月の手を握り、頷く。
あと2週間。父さんと母さんに会えた今、希望が胸を熱くする。でも、黒い大男の咆哮が、頭から離れない。
新人用の建物は、駐屯地の端に立つ2階建てのコンクリート造り。
灰色の外壁、鉄の扉、狭い窓。
普段は新人の隊員が暮らす場所だ。建物に入ると、消毒液の匂いが鼻をつく。
廊下は殺風景で、蛍光灯の白い光が冷たく照らす。床は磨かれ、埃一つない。
部屋は6人用で、私たち――父さん、母さん、桜、皐月、早希先生――の5人で使う。
部屋は、シンプルだ。
鉄製の2段ベッドが3つ、灰色の毛布、薄いマットレス。壁には何の装飾もなく、コンクリートがむき出し。窓は小さく、鉄格子がはまる。机と椅子が一つ、プラスチックのコップと水差し。殺風景だけど、掃除が行き届いていて、清潔だ。私は、皐月の手を握り、ベッドに座る。
「皐月、ここ、ちょっと寒いね。でも、家族でいられるなら、十分だよ」
彼女が、微笑む。
「うん、桜。父さんと母さん、先生がいる。喫茶店の絵、ここで描こうかな」
先生が、荷物を机に置き、眼鏡をかけ直す。
「二人とも、落ち着いたわね。ここなら、ゾンビも来ないわよ」
父さんが、ベッドに腰かけ、笑う。
「自衛隊の要塞だ。安全だよ。な、桜?」
私は、父さんの笑顔に頷く。でも、胸の奥で、ざわめきが消えない。あの大男が、バリケードを破ったら? 家族の誰かが、死んだら? 私の炎が、恐怖で揺れる。
隣の部屋のドアが開き、男たちの声が聞こえる。氷川弘さんの低い声、部下たちの笑い声。
そして、どこか気弱そうな声。
私は、好奇心に駆られ、廊下を覗く。
氷川さんが、迷彩服の部下4人と話してる。
30代の屈強な男たち、銃を肩にかけ、汗と硝煙の匂いが漂う。その中に、場違いな男がいる。
背が低く、小太り、30代半ばくらい。
紺色の警備員の制服が、よれよれだ。
彼は、自衛隊員に囲まれ、居心地悪そうに肩をすぼめてる。
父さんが、隣に立ち、囁く。
「あの男、栗原さんだ。俺と同じ警備会社の社員だよ。自衛隊の地方協力本部の庁舎で警備員やってたんだ。ゾンビパニックの時、運悪く勤務中でな。銃に慣れてたから、生き延びて、ここまで来た」
私は、驚く。
「え、父さん、知り合いなの?」
父さんが、笑う。
「まあな。栗原、見た目は頼りないが、射撃と格闘の筋がいいらしい。自衛隊にスカウトされてるって噂だぞ」
氷川さんが、私たちに気づき、近づく。
「桜、皐月、落ち着いたか? ここで、しばらく過ごす。栗原は、街から一緒に脱出した生存者だ。ちょっと緊張してるが、悪い奴じゃない」
佐藤さんが、気まずそうに頭をかく。
「あ、えっと…栗原です。よろしく…」
私は、微笑む。
「桜です。よろしくね。生き延びて、すごいよ」
皐月が、恥ずかしそうに言う。
「皐月です。栗原さん、頑張ったんだね…」
栗原さんが、照れ笑いする。
「いや、運が良かっただけっす…自衛隊の皆さんに、助けられて…」
氷川が、肩を叩く。
「謙遜するな、栗原、射撃の腕、駐屯地でも評判だぞ」
私は、栗原さんのぎこちない笑顔を見て、胸が温かくなる。ゾンビの街で、みんな必死に生きてる。
部屋に戻り、私たちは荷物を整理する。
父さんが、毛布をベッドに敷き、母さんが、水差しに水を入れる。
先生が、持参したノートを机に置き、授業の計画を立て始める。
私は、皐月と一緒に、2段ベッドの下段に座る。
彼女が、スケッチブックを開き、喫茶店の絵を描き始める。エプロン姿の私たち、コーヒーカップ、笑顔のお客さん。
「桜、この絵、父さんと母さんに、見せようね」
皐月の声に、私は頷く。
「うん、皐月。喫茶店、絶対に作るよ。先生も、来てくれるよね?」
先生が、笑う。
「もちろん。あなたたちのコーヒー、楽しみにしてるわ」
でも、胸の奥で、不安が消えない。黒い大男の咆哮が、耳に残る。
隔離施設で、氷川さんの銃弾で膝をついた大男。
あの赤い目が、家族を狙うかもしれない。
父さん、母さん、皐月、先生。誰かが、死ぬかもしれない。私は、皐月の手を握り、炎を抑える。彼女に、気づかれたくない。
皐月が、目を伏せる。
「桜…私、怖いよ。また、あの大男が来たら…家族が…」
彼女の声に、私の心臓が締め付けられる。彼女も、同じ不安を抱えてる。私は、彼女を強く抱きしめる。
「皐月、絶対に守るよ。あなたは、あの大男を足止めしたんだから。私、信じてる」
彼女が、涙を堪えて頷く。
「うん、桜…あなたがいるから、私、頑張れる…」
夜になり、部屋の蛍光灯が薄暗く光る。
父さんが、缶詰のスープを温め、母さんが、プラスチックのコップに水を注ぐ。
簡素な夕食だけど、家族が揃ってるだけで、温かい。私は、皐月と並んでスープを飲み、父さんの話を聞く。
「街を脱出した時、装甲車でバリケードを突破した。ゾンビの群れに囲まれながら、なんとか…」
母さんが、父さんの手を握る。
「あなたたちが生きてるって、信じてた。」
私は、頷く。
皐月が、目を潤ませる。
「父さん、母さん、私、念動力で…マンションを潰した。黒い大男を、閉じ込めたけど…また、来るよね…」
父さんが、皐月の頭を撫でる。
「皐月、お前は強い。あの大男が来ても、家族で戦うさ」
先生が、静かに言う。
「二人とも、強かったわ。私、誇らしいよ。ここなら、自衛隊が守ってくれる」
私は、先生の目を見つめる。彼女の言葉が、不安を少し和らげる。でも、窓の外の霧が、黒い大男の影を隠してる気がする。
窓から、霧に覆われた駐屯地が見える。バリケードのサーチライト、遠くの銃声、ゾンビのうめき声。
私は、皐月の手を握り、ベッドに横になる。彼女の温もりが、恐怖を抑える。父さんと母さんが、隣のベッドで眠る。先生が、机でノートに何かを書く。家族が、すぐそばにいる。
「皐月、父さんと母さんに、全部話そう。ゾンビと戦ったこと、拳志さんのカッコいい戦い、氷川さんの救助、喫茶店の夢!」
私の声に、皐月が微笑む。
「うん、桜。エプロン着て働く私たち、見てほしいな」
私は笑う。コーヒーの香り、笑顔のお客さん。そんな未来が、待ってる。
でも、黒い大男の赤い目が、夢に現れる。家族の誰かが、死ぬかもしれない。私は、皐月の手を握り、炎を燃やす。どんな闇が来ても、私たちは戦う。家族と一緒に、未来を掴むために。