第12話
私たち――桜、皐月、早希先生――は、早希先生のコンクリート造のマンションの最上階で、束の間の安全を享受していた。
昨日の夕方、黒い大男の襲撃から逃れ、自宅を失い、ショッピングモールで車を乗り換えてここへたどり着いた。あの2メートルを超える巨体、墨汁のような肌、赤く光る目が脳裏に焼き付く。氷川拳志の跳び蹴りと一本背負いがなければ、私たちは生きていなかった。
リビングのテーブルを囲み、私たちは作戦会議を開いた。窓から差し込む朝日が、埃の舞う光の筋を床に落とす。外では、霧に包まれた町が静寂に沈む。
焼け焦げたビル、ゾンビの死体が転がる道、遠くで響く低いうめき声。だが、このコンクリートの部屋は、まるで要塞だ。ゾンビも、黒い大男も、今は遠い。
早希先生が、地図を広げ、眼鏡をかけ直した。
彼女の声は、教師らしい冷静さに満ちている。
「二人とも、方針を決めましょう。両親を探し、脱出口を見つけるのは変わらないけど、黒い大男の追跡リスクを考えると、一時的な拠点も探すべきね」
私は皐月の手を握り、頷いた。
「先生、賛成です。あの大男、家のタイヤ痕を追ってきた。次は、もっと慎重に動かないと…」
皐月が、弱々しい声で続けた。
「うん…父さんと母さん、街の外にいるはず。でも、あの大男が近くにいたら、怖い…」
私も皐月も超能力の疲労から完全に回復したとはいえない。
でも、両親のメモ――「街の外への脱出口を探す」――が、希望の炎を灯す。私は先生を見た。
「先生、拠点は、このマンションを起点に探せますか? ここ、頑丈だし、しばらくは安全ですよね?」
先生は、苦笑いしながら頷いた。
「そうね。このマンション、ゾンビが来ても簡単には侵入できないわ。でも、食料や情報収集のために、動く必要がある。今日は休息と情報整理に充てて、明日から動くわよ」
私たちは、地図に印をつけた。両親が向かった可能性のあるルート、脱出口の候補、食料が残っていそうな廃墟。
黒い大男の追跡を避けるため、移動は最小限に、タイヤ痕を隠す工夫も必要だ。会議を終え、私は皐月の手を握り、微笑んだ。
「皐月、父さんと母さん、絶対に見つけるよ。一緒なら、どんな敵も怖くない」
彼女は、目を潤ませながら頷いた。
「うん、桜。あなたがいるから、私、諦めない」
皐月の視点
夕方、作戦会議を終え、私たちはリビングで休息を取った。早希先生が、缶詰のスープとパンを用意してくれた。
コーヒーの香りが、部屋を温かくする。私は桜とソファに座り、彼女の肩に凭れた。白いセーラー服が、埃で少し汚れている。
制服は、私たちの決意の象徴だ。両親と会うまで、気を引き締めるための儀式。
夜が深まり、窓の外は闇に沈む。ゾンビのうめき声が、遠くで響く。
私は桜の手を握り、胸の奥の恐怖を抑えた。黒い大男の赤い目が、夢に現れそうで怖い。
拳志は、彼に勝てたのか? 父さんと母さんは、どこにいる? 不安が、冷たい霧のように心を覆う。
「桜…今夜、先生と一緒に寝てもいいかな…?」
私の声は、震えていた。桜が、私の目を見つめ、優しく微笑んだ。
「うん、皐月。私も、そうしたい。先生なら、許してくれるよ」
私たちは、先生の寝室へ向かった。先生が、ベッドで本を読んでいた。彼女は眼鏡を外し、驚いた顔で私たちを見た。
「二人とも、どうしたの? 何かあった?」
私は、恥ずかしそうに言った。
「先生…今夜、一緒に寝てもいいですか? ちょっと…怖くて…」
桜が、力強く続けた。
「先生、私たち、先生がいてくれると安心なんです。お願いします」
先生は一瞬、目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「わかったわ。ベッド、狭いけど、3人なら大丈夫よ。疲れてるんだから、ゆっくり寝なさい」
その言葉に、私は胸が温かくなった。
先生の優しさが、恐怖を和らげる。私たちは、制服を脱ぎ、下着姿でベッドに潜り込んだ。
疲労が、体を重くする。桜の温もりと、先生の穏やかな呼吸が、私を包む。私は、すぐに眠りに落ちた。
早希の視点
翌朝、朝日がカーテンの隙間から差し込み、ベッドを柔らかく照らす。
私は目を覚まし、驚きで息を呑んだ。私の両サイドで、桜と皐月が下着姿で眠っている。
白いブラとショーツ、華奢な肩、穏やかな寝顔。一瞬、頭が真っ白になり、教師として一線を超えてしまったかと焦った。女子中学生とこんな状況…!? 心臓がバクバクする。
だが、冷静になり、昨夜の記憶を掘り起こす。桜と皐月が、怖いから一緒に寝たいと頼んできた。私は、それを了承し、疲れ果てていたからか、下着姿のままベッドに潜り込み、眠りこけてしまったのだ。
私は安堵の息をつき、彼女たちの寝顔を見た。
桜の力強い眉、皐月の繊細なまつ毛。超能力の疲労が癒え、顔色が良くなっている。彼女たちの無垢な姿に、胸が温かくなる。
そっとベッドから抜け出し、朝食の準備をしようと部屋を出ようとした瞬間、彼女たちがもぞもぞと動いた。起こしてしまったかと振り返ると、驚くべき光景が目に入った。
桜と皐月が、眠ったまま、まるで恋人同士のように抱き合っていた。桜の腕が皐月の背中に回り、皐月の手が桜の腰に触れる。
二人の寝顔は、穏やかで、どこか幸せそうだった。
私は、思わず顔が熱くなった。
そちらの(気)はないはずなのに…! むず痒いような、気恥ずかしいような気持ちが胸をくすぐる。
姉妹の絆が、こんな親密な形で現れるなんて。
教師として、彼女たちの純粋な愛情に、微笑まずにはいられない。
私は、彼女たちをそのままにして、キッチンへ向かった。
桜の視点
朝日が、ベッドを温かく照らす。私は目を覚まし、皐月の温もりに気づいた。彼女が、私の胸に顔を埋め、腕を絡ませている。下着姿のまま、まるで恋人のように抱き合っている。私は一瞬、顔がカッと熱くなった。
「皐月…!? 何!?」
私の声に、皐月が目を覚まし、驚いたように叫んだ。
「きゃっ! 桜!? え、な、なに!?」
彼女の悲鳴とも嬌声ともつかない叫び声が、部屋に響く。私は慌てて彼女から離れ、シーツを引き寄せた。
「皐月、落ち着いて! 寝ぼけて、くっついただけだって!」
彼女も、顔を真っ赤にして頷いた。
「う、うん…ご、ごめん、桜…なんか、安心しちゃって…」
私たちは、気まずく笑い合った。皐月の恥ずかしそうな笑顔が、愛おしい。
姉妹なのに、こんな親密な瞬間が、胸をドキドキさせる。ゾンビ襲撃や黒い大男の恐怖の中で、こんな穏やかな時間が持てるなんて、奇跡みたいだ。私は彼女の手を握り、囁いた。
「皐月、こんな時でも、あなたがいるから、幸せだよ」
彼女は、目を潤ませて微笑んだ。
「うん、桜。私も。あなたがいるから、どんな怖いことでも耐えられる」
キッチンから、早希先生の笑い声が聞こえた。彼女が、リビングに入ってきて、くすくす笑いながら言った。
「二人とも、朝から賑やかね! 朝食、できてるわよ。コーヒーもあるから、起きておいで」
私は、恥ずかしさを隠して笑った。
「先生、聞いてたんですか!? もう、恥ずかしい…!」
皐月も、顔を赤らめながら笑った。
「先生、意地悪! でも、コーヒー、楽しみです!」
早希の視点
リビングのテーブルに、缶詰のフルーツ、パン、コーヒーを並べる。桜と皐月が、白いセーラー服に着替え、ソファに座る。
二人の顔色は、休息で良くなり、超能力の疲れも癒えたようだ。私は、教師として、彼女たちの変化に微笑んだ。
朝の親密な光景――姉妹の抱擁――は、彼女たちの絆の深さを教えてくれた。
超能力を隠し、目立たないように生きてきた二人。
ゾンビ襲撃の中で、彼女たちは戦士になった。
そんな彼女たちに、未来の希望を与えたい。
「二人とも、今日は休息と情報整理よ。両親の手がかり、脱出口、拠点候補。地図を見ながら、じっくり計画を立てましょう」
私の声に、桜が力強く頷いた。
「はい、先生。父さんと母さん、絶対に見つける。黒い大男にも、負けない!」
皐月も、目を輝かせて言った。
「うん、先生。私たち、諦めない。新たな拠点も、ちゃんと探すよ!」
私はコーヒーをすすり、彼女たちの笑顔を見た。ゾンビ、黒い大男、封鎖された町。全てが、彼女たちを試す。
だが、彼女たちの絆は、どんな闇にも負けない。
私は、彼女たちを守る。両親との再会を叶える。それが、私の務めだ。
窓の外で、霧が晴れ、町が姿を現す。ゾンビの死体、焼け焦げたビル、遠くの咆哮。私は、拳志の戦いを思い出した。
彼は、黒い大男に勝てたのか? だが、今、桜と皐月の笑顔がある。このコンクリートの要塞で、希望がある。私は、彼女たちを信じる。
皐月の視点
朝食を囲み、桜と私が笑い合う。コーヒーの香りが、部屋を温かくする。
白いセーラー服が、まるで新しい自分を象徴している。朝の気まずい抱擁は、恥ずかしかったけど、桜との絆を強く感じた瞬間だった。
ゾンビ襲撃の中で、こんな幸せな時間が持てるなんて、夢みたいだ。
「桜、父さんと母さん、見つけたら、どんな話したい?」
私の声に、桜が目を輝かせた。
「いっぱい! ゾンビと戦ったこと、先生と逃げたこと、拳志さんのカッコいい戦い! 皐月は?」
私は、微笑んで言った。
「うん、私も。でね、先生の喫茶店の話もしたい。エプロン着て働く私たち、見てほしいな」
桜が、くすくす笑った。
「絶対、似合うよ! 父さんと母さん、びっくりするね!」
早希先生が、コーヒーカップを手に、微笑んだ。
「二人とも、いい夢ね。その夢、絶対に叶えましょう。ゾンビも、黒い大男も、私たちが乗り越えるわ」
その言葉に、私たちは頷いた。桜の手を握り、決意を新たにした。
父さんと母さんを探す。脱出口を見つける。喫茶店の未来を掴む。どんな闇が待っていても、私たちには希望がある。桜と皐月の絆、早希先生の覚悟。それだけで、十分だ。




