第9話
皐月の視点
私は呆然とその男を見つめた。黒い大男の前に立つ彼は、大男より一回り小さいが、一般的な男性より二回り大きい。
半袖から伸びる腕は、筋肉が丸太のように膨らみ、大男と遜色ない迫力だ。
夕陽が彼のシルエットを赤く縁取り、鋭い目が大男を睨む。彼は私たちに振り返り、低く力強い声で言った。
「コイツは俺が受け持つ。さっさと逃げろ!」
その言葉に、私はハッと我に返った。桜が私の手を握り、炎を呼び起こそうとする。私は念動力を集中させ、助太刀しようとした。
「桜、私たち、戦える! 彼を助けなきゃ!」
だが、早希先生が私の腕を掴み、叫んだ。
「二人とも、ダメ! 彼なら大丈夫よ! 私たちが逃げないと、彼も逃げられない!」
先生の目は、恐怖と決意に満ちていた。私は桜と顔を見合わせ、彼女も一瞬迷ったが、頷いた。
「皐月、先生の言う通りだ。逃げよう」
私たちはSUVへ飛び乗った。先生が運転席に滑り込み、エンジンが唸る。
その瞬間、男が大男に飛びかかった。大男が立ち上がり、拳を振り下ろす。彼はそれを軽やかに避け、カウンターで拳を叩き込む。ゴッという鈍い音が響き、大男がよろける。
彼はさらに跳び蹴りを繰り出し、大男の鳩尾を直撃。
夕陽に照らされた彼の動きは、まるで獣のようだった。
大男が拳を突き出す。彼はそれを掴み、肩を軸に一本背負いを決める。大男の巨体が、頭部からアスファルトに叩きつけられ、地面が砕ける。
轟音が町に響き、埃が舞う。私は後部座席から振り返り、その光景を見た。だが、SUVが急発進し、戦闘の場は視界から消えた。
桜の視点
SUVが、夕暮れの町を突き進む。窓の外では、焼け焦げた建物が赤く染まり、ゾンビの死体が道端に転がる。
私は皐月の手を握り、震えを抑えた。あの大男が、私たちの家を荒らし、待ち構えていた。あと一瞬遅かったら、私たちは…。私は皐月の肩に凭れ、囁いた。
「皐月…生きてる…私たち、助かった…」
彼女は私の手を強く握り返し、涙を浮かべて微笑んだ。
「うん、桜。あの人が…助けてくれた…」
車内は、静かだった。エンジンの唸りだけが響く。私は、先生に尋ねた。
「先生…あの男、大丈夫ですか? あの大男に、勝てるんですか?」
私の声は、震えていた。あの男の戦いは、圧倒的だった。でも、黒い大男は、警察署でさえ倒せなかった怪物だ。彼は、本当に大丈夫なのか?
早希先生は、バックミラーで私たちを見た。彼女の声は、冷静だったが、どこか驚嘆が混じっていた。
「正直、噂でしか聞いたことがないの。本人かどうかもわからないけど…近くの武道や格闘技で有名な高校に、氷川拳志って生徒がいるって話よ」
私は息を呑んだ。氷川拳志? 先生が続けた。
「高校生なのに、規格外の筋肉と武術の腕を持つって。公式試合には出てないけど、素手での戦いなら、勝てる人間はいないって噂されてる。尾ひれがついた話だと思ってたけど…あの戦い方を見ると、案外、本当かもしれないわ」
私は、拳志の姿を思い出した。丸太のような腕、鋭い目、大男を圧倒する動き。彼は、ただの高校生じゃない。まるで、戦うために生まれた戦士だ。私は皐月と顔を見合わせ、彼女も同じことを考えているのがわかった。
「桜…彼、助かっててほしい…」
皐月の声に、私は頷いた。
「うん。彼が戦ってくれたから、私たち、逃げられた。絶対、生きててほしい」
早希の視点
SUVは、夕焼けの中を走り続ける。窓の外では、荒廃した町が赤く染まり、遠くでゾンビのうめき声が響く。私はハンドルを握り、桜と皐月の寝顔をバックミラーで見た。二人の手は、固く握り合っている。彼女たちの超能力は、どんな危機にも立ち向かえる。でも、彼女たちは中学生だ。こんな恐怖に晒すなんて、教師として許せない。
氷川拳志。あの男が、本当に噂の高校生なら、彼は並外れた存在だ。でも、黒い大男は、ただの怪物じゃない。
人工兵器かもしれない。そんな敵に、彼は勝てるのか? 私は、拳志の戦いを思い出した。一本背負いで大男を叩きつけた瞬間、彼の目は、まるで勝利を確信しているようだった。私は、彼を信じたい。
新たな拠点を探す旅は、始まったばかりだ。両親の手がかり、街の脱出口。桜と皐月の希望を、絶対に守る。私はアクセルを踏み、夕焼けの中を走り続けた。遠くで、低い咆哮が響く。黒い大男か、それとも別の脅威か。
だが、今、私たちには希望がある。桜と皐月の絆、私の覚悟。そして、拳志の戦い。
それだけで、十分だ。