新幹線連絡の月光号~早朝の尾道から岡山まで
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目が覚めたときには、列車は停まっていた。のぞき窓から外をみると、駅の向うに海が見える。どうやら、尾道に停車中の模様。寝台車には、さほど乗降客はいない。もっとも、すぐ後ろのグリーン車には、何人かの乗車客がいる模様。これから岡山まで移動して、そこから大阪や東京方面に向かう人であろう。この列車に乗れば、東京には昼前、大阪であれば8時過ぎには到着する。
程なく列車は動き始めた。
この時期の夜明けは早い。幾分明るくなってきた海の向うにある向島と造船所を右側に見ながら、列車は早朝の瀬戸内をひたすら東上していく。車窓の海も途切れたところで、教授はのぞき窓を閉め、もう一度目を閉じてしばらく横になったまま、考えるともなく考え事をしていた。うとうとしていたら、また列車が停まっていた。ここは福山。グリーン車に何人かが乗り込んでいく。いちいち斥候兵よろしく見に行くつもりもないが、どうやら、朝早くから関西方面への出張で出向く人たちであろうと思われる。
再び列車は走り始める。まだ早朝の6時前。すでに、夜は明けている。再びうとうとすること約20分。
ついに、車内に設置されたスピーカーから鉄道唱歌のオルゴールが流れ始めた。
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皆様、おはようございます。本日は昭和49年9月*日*曜日です。現在、当列車は定刻で運転いたしております。列車は只今、玉島駅を定刻で通過いたしました。間もなく列車は、倉敷に停車いたします。・・・(以下略)。
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ついに、この1日がスタートする。そんな気にさせられるのが、夜行列車の朝の放送。それに伴い、減光されていた車内の照明が一斉に通常に戻された。ここから先、もうトンネルはない。高梁川も、すでに先ほど渡り切った模様。車内放送が終わり、再び鉄道唱歌のオルゴールが流れた頃には、列車は西阿知を通過している。のぞき窓の向こうには、岡山県立水島工業高等学校がある。
目覚めの珈琲といきたいものだが、博多発車時の案内放送で、この列車は、食堂車は連結されているが営業を休止しており、車内販売も全区間にわたり乗車しないと告げられている。だが、あと十数分もすれば終着の岡山である。珈琲を飲むなら、行きつけのあの店に行けば飲めるだろう。
列車は程なく水島臨海鉄道と並走し始め、その始発駅である倉敷市駅を横目に見つつ、倉敷に到着。ここではさすがに、乗車客はいない。岡山までわずか15・9キロしかないから、わざわざ特急のそれもグリーン車に乗るほどのこともない。もっとも、降りる客もほとんどいない。倉敷を出発すると、次は終着の岡山である。
倉敷到着を前に、堀田氏は浴衣の帯をほどき、昨晩着てきた服に着替えた。
終着駅が近くなったこともあり、便所と洗面所の使用がやたらに増える。まして今は朝の寝起き。身だしなみを整えるべく車両の端の洗面所に客が押し寄せてはいるが、今日はそれほど混んでいないため、スムーズに人が入れ代わり立ち代わり、洗面所を利用している。これが昼間の特急列車の車両なら、洗面所はこれほど多くもないから、ごった返して落ち着いた身づくろいも出来まい。着替えを済ませてトイレで用を足し、ついでに洗面所で顔を洗った。
歯を磨くほどのゆとりはない。それは到着後でもいいだろう。
いったんパンタ下の寝台に戻った堀田氏、ベッドで上半身を起こして身支度を整えた。ここに来てこの寝台、高さがある分、ゆったりと着替えなどができる。
列車は庭瀬駅に差し掛かる。
そのとき、再び鉄道唱歌のオルゴールが鳴り響いた。
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最後の案内放送が始まった。定刻で岡山到着の予定。各方面への列車の接続案内が始まる。新幹線は7時5分発のひかり54号東京行が、この列車の接続列車。東京着は11時35分。ちなみに最速列車のうちの1本でもある6時40分発のひかり2号は6時40分発。いかんせん、接続時間が3分では間に合わない。あとは、各在来線の接続列車が淡々と案内される。
貨物駅と操車場の端を通過し終える頃には案内放送も終り、最後のオルゴールが流された。