新幹線連絡の月光号~博多-下関間。そして・・・
福岡市内での2日間にわたる学会の仕事を終え、O大学理学部物理学科教授で理学部長を兼務している堀田繁太郎氏は、学会の飲み会を終え、ひと風呂浴びて博多駅にやってきた。
時刻は23時を幾分回った頃。すでに駅前の売店は軒並閉っているが、駅構内のホームの売店はまだ営業中。弁当や飲物等も販売している。
彼は早速、缶ビールを2本買込んだ。これが彼の寝酒である。
一昨日前の朝もらったバーボンのボトルは半分以上残っているが、残暑の中、ウイスキーで体を温めるより、冷たいビールを風呂上がりに行きたいところだ。
程なく、寝台電車がホームに入ってきた。
乗車するのは、パンタグラフ下の中段寝台。ここに上段はない。
この知識は、彼が岡山に赴任してきた時に知合った米屋の山藤豊作氏の知人の酒屋の息子から得たもの。それを知った堀田氏は、早めに岡山を出る前に窓口に行ってその寝台券を購入しておいた。人気故取りにくいと言われていたが、特に混んでいる時期でもないので難なく確保できた。
2日前の往路は、「つばめ1号」に乗車した。岡山発朝7時35分。大阪方面からの新幹線の乗継もあるが、朝から動く人はさほど多くないこともあり、向い合せの寝台兼用の電車特急のボックスシートでゆったりと過ごせた。博多到着後は翌日に向けての準備を終らせ、その勢いで博多の街で同じ学会の知人らと旧交を温めていた。彼はその前夜祭の飲み会で、立命館大学理工学部教授の石村修氏と再会した。老母は70代後半だというが、まだまだお元気であるとの由。堀田先生によろしくとしきりに申しておりましたと、石村氏は堀田氏に伝えている。
学会も無事終り、さらにこの日も打上げと称して早くから飲んでいたが、翌日のこともあるから、堀田教授は博多の街から早めに帰路に就くこととなった次第。石村教授は、少し早い時間の夜行列車ですでに京都へ戻る途上。
博多駅前にはサウナもある。そこで堀田氏はひと風呂浴び、汗を流した。9月なので、まだ暑い。
そのサウナにはクリーニングサービスもあるため、これまでのワイシャツや下着などをすべてクリーニングしておいた。これで、さっぱりと帰れる。
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列車がホームに入るや否や、早速検札を済ませる。これは、遅く出て朝早く到着する列車なので、出来る限り早く休んでもらえるようにという乗客専務車掌らの配慮。検札が終わると、すでに荷物を置いていた寝台に登り、比較的ゆったりとした高さのある中段寝台に入り込み、カーテンを閉め、夏物の背広服一式を脱いで備え付けの浴衣に着替えた。
この電車寝台はB寝台車ながらも浴衣のサービスもある。
それに加え寝台の幅は70センチと、これまでの蚕棚と呼ばれた52センチのB寝台車に比べ格段に良い居住環境。三段寝台の中段は空間が狭く着替えにくいが、ここはパンタ下のため、1メートル少々の空間がある。
これくらいあれば着替えも楽。しかも、下段よりも寝台料金は幾分安い。
ベッドに備え付けられた灯りの横には、「寝台使用時は禁煙」という注意書がある。堀田教授は煙草を吸うが、のべつ吸うわけでもない。
窓側には、「のぞき窓」が備えられている。
ここから、上中段の寝台客は外の景色が拝める。
彼が一夜を過ごす寝台は、九州島内は山側、本州に入ると海側の、進行方向に対し右側に位置している。
「お待たせいたしました。寝台特別急行「月光1号」岡山行が発車いたします」
発車ベルがやむと、デッキの向こうの折戸が閉まる。
物悲し気なタイフォンの音とともに、電車は静かに動き始めた。
それと同時に、オルゴールの音が車内に響き渡る。
いささか大きな音だが、いらいらするほどでもない。
程なく、車内放送が始まる。
乗客専務車掌は岡山までの途中駅の到着時刻を案内した。
この列車の食堂車が営業を休止していること、それに加え、車内販売もないことが告げられる。そして今日の最後に、明日朝6時過ぎまで緊急の場合を除き案内放送を中止する旨告げられ、再びオルゴールが鳴る。
それとともに、車内の灯りが暗くなる。
夜行列車に乗ったら必ず経験する「減光」。
寝る時間が来たことを伝えてくれる。
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堀田氏は、放送の途中にも缶ビールの栓を開け、飲み始めた。
サウナに入った後でもあり、黄色い液体は勢いよく身体に入り込んでいく。
ビールを飲みつつも、のぞき窓から外を見る。
暗闇と、ぽつぽつと見える民家や建物の灯り。
福岡市内こそそれなりに明るかったものの、街を外れるに従い、段々とそれも少なくなってくる。時々通過する駅の照明が意外と明るい。
折尾、黒崎、八幡、枝光、戸畑・・・。
電気に照らされた駅名標を見るにつけ、今、旅をしている感覚が湧きあがる。
1本目のビールを飲み、2本目を開ける。それを、ちびちびと御猪口で日本酒を飲むかのように飲む。つまみは特にない。夕方までにも打上げで飲み食いしていることもあるから、あまり食べたいという気も起らない。
時折踏切の音が聞こえてくる。ここはデッキに近い位置にあるから、そういう音も拾うわな。
そんなことを思ってみる。
2本目のビールも飲んだし、もう飲むようなものもない。ここはひとつ、小用を足すついでに水分補給を兼ねて、水タンクの水を飲もう。堀田教授は寝台を降り、備え付けのスリッパを履いてデッキに向った。便所で用を済ませ、手を洗うついでに水タンクに備え付けられている紙コップを一つ取り、水を入れて飲む。今回は2杯ほど飲んで紙コップをくずものいれに入れ、寝台に戻った。ここは寝台車。車内は寝静まっており、特に人と会うことも、ない。
少しうとうとしていたら、列車が止まった。折戸の開く音が、デッキの向うからわずかに聞こえる。
この列車には、グリーン車が1両ついている。そこでは幾分、乗客の出入りがある。短距離客はここに乗れば寝台料金まで払うことはないから、案外、電車寝台特急は重宝されている。そんなことを、あの酒屋のアンチャンが言っていたナ。
屋根上で、何物かが動く音がする。やがて、鉄と鉄とが触れ合う音が聞こえた。
ここは小倉。もうすぐ交流区間から直流区間に入る。
教授が乗っていた寝台の上は、この小倉でパンタグラフの昇降に関わる場所だったのだ。岡山以東の関西方面からの電車特急のパンタグラフのある車両は、下りはこの小倉でパンタグラフを一つ下ろし、上りは逆にパンタを一つ上げる。これは、直流区間は両方パンタを上げないと走れないが、交流区間は片方でも走れるため。ただし、交流区間は両方上げていても走れるのだ。
「そうか、このことが、中段で屋根が高くなっても特別料金を取らない理由や」
何かを発見したときの喜びのような感情が、教授の胸に飛来する。来る時のあのパンタグラフの下ろされる音ほどではないが、今は真夜中の寝る前だけあって、その音が耳から体に染入る。
電車は再び動き出した。特に案内放送などもない車内は寝静まっている。今日は特に起きて話のひとつもしている区画さえ見当たらない。少なくとも、この車両は。
その数分後。廊下の灯りがただでさえ暗いにもかかわらず、さらに暗くなったような気が。 もっともそれは数秒のこと。室内灯は程なく減光時の通常の明るさに戻った。ここで、交流から直流へと切り替えられたのである。程なくして、勾配を下がっていく感覚が横になった体に染み入ってくる。
外を見やると、明らかに暗い。これが関門トンネルやな。
勾配はやがて上りになり、車外の音も幾分変わり、再び列車は止まった。ここは下関。しばらく停車しているうちに、堀田氏はうとうととし始めた。ちなみにこの列車の下関着は0時57分、発車は0時59分。発車した頃には、もう寝入ってしまった。
ようやく、寝酒の効果が出てきたようである。