朝一番のつばめ号 2 広島から博多まで
広島を出発した列車内に、再び、鉄道唱歌のオルゴールが流れる。
どうやら、広島で車掌が交代した模様。広島を定刻で出発した旨の事実報告の後、岩国以西の停車駅と予定到着時刻の案内、それに加えて全車両の案内がなされる。
再度オルゴールが流れて間もなく、再び、日本食堂の案内。食事時間帯のはざまであるし、客も相違ないこともあって、案内に余念のなささえ感じさせられる。
瀬戸の海とはここからも適度な距離感を維持しつつ、列車は九州へとひた走る。
一部停車する特急列車もあるが、宮島への窓口・宮島口は通過する。
堀田教授は車站部にある水タンクに赴き、持参したプラスチックのカップになみなみと水を入れた。そしてもう一つ、持参したグラスを持出して洗面台で軽く洗い、少し低くなっている屋根の下の座席に戻った。水入りのカップとグラスをテーブルの上に置き、今朝年長の友人から拝領したバーボンのふたを開け、グラスに半分近くを注いだ。瓶は、鞄の中にもどした。
バーボンの香りを楽しみながらちびちびやりつつ、時にチェイサーとして用意した水もすすりながら、彼は、列車での時間を過ごしている。
「これが、天下の特別急行「つばめ」と言えたものかねぇ」
バーボンの入ったグラスをテーブルに戻し、ぽつりとつぶやく。客はおおむね4割程度か。広島から福岡方面というのは、関西圏や東海道ほど客がいるわけでもない。
乗客専務車掌が、車内巡回を兼ねて食堂車方面に向かっていったが、程なくグリーン車方面に戻っていった。列車はやがて、岩国到着。ここでも乗降は発生するが、広島ほどではない。
列車はつい先程より、山口県内に突入している。
岩国を出ると、列車はいささか大回りになる海側を走る。かつては内陸を走っていた今の岩徳線が山陽本線に編入されていた時期もあるが、さほどの短縮効果がなかったこともあってか、戦時中に山陽本線に再度戻された区間が、ここから徳山の手前の櫛ケ浜まで。
途中の大畠駅からは国鉄の連絡船も出ている(注:大畠航路。これより数年後に廃止)が、特急はこのような小駅は当然通過する。柳井、光、下松と、急行クラスなら停車する駅さえも、特急を仮にも名乗るこの列車、わけもなく通過していく。
櫛ケ浜で岩徳線と再合流した列車は、ほどなく徳山停車。
食堂車は11時以降13時までを昼食の時間帯としているが、11時すぐの今頃から満席となるようなことはない。
堀田教授は、すべて飲み切ったグラスとプラ製のカップを鞄に戻して網棚の上に置き、再び、食堂車に向かった。客はあまりいない。早めに食事をと思い、カレーライスを注文した。さほど時間を置かず注文の品がやって来た。ライスとルーを別に盛る、いささかの高級感を与えるビーフカレーである
食堂車で軽く食事を済ませた教授はそそくさと会計を済ませ、自席に戻った。これで、夕方まで持つだろう。席に戻って間もなく、車内販売がやってきた。ここで、珈琲を頼む。食堂車よりもこちらのほうが幾分安いのと、何より、気楽でいいから。ブラックで飲むこともしばしばあるが、今回は、砂糖とミルク一式ももらい、それらも珈琲に入れて混ぜて飲む。
列車は山口方面への玄関口である小郡も通過した。その代わり、セメントの街・宇部に停車。ビジネスマンの降車がある模様。宇部に停車する以上、隣の小野田や厚狭には停車しない。この3駅、特急・急行を問わず、先ほどの小郡も含めて停車駅がまちまちである。新幹線と交差する長門一ノ宮(現在の新下関)と幡生を通過し、本州最後の停車駅、下関には、定刻の丁度12時30分着。ここでさらにいくらかの下車客もあるが、乗車客も増えてくる。博多方面のビジネス目的の移動であろう。
下関では運転士が交代する。広島でのこの列車同様、「あさかぜ」のように下関車掌区が担当する列車であれば、ここで車掌の交代が発生することもある。数分の停車の後、列車はいよいよ九州入り。
やがて車窓が暗くなり、ほどなくして下り坂から上り坂に。明るくなったと思ったら、今度は、車内の照明がいったん暗くなる。それもつかの間、車内の明かりは元通りに。
ただし、車外の走行用の電流は、直流から交流へと変わっている。ほどなく門司駅を通過し、次の小倉で再び停車。屋根のほうで、何やら音がする。ドスンと、いささか重い何かが屋根上に降ってきたような音。ここで直流から交流に代わるにあたり、パンタグラフ2台のうちの1台を下ろしてもよい状態になるのだ。交流区間は両方上げて走ることは可能だが、無駄に上げておくこともないので、交流区間の最初の停車駅で一つパンタを下ろすことになっているのである。
食堂車は丁度昼食時。食事に向う客も増えている。小倉では、降車客とともにかなりの乗車客がある。もっとも、堀田教授のボックスには誰も来ない。それでも、その車内はおおむね6割程度の乗車率になった。
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小倉を出発すると、再び鉄道唱歌のオルゴールとともに案内放送。博多、久留米、大牟田各駅及び終点熊本の到着時刻が告げられ、引続き、車内の案内と車掌の検札が向う旨の案内も流れる。
またも、食堂車の女性従業員からの案内。それに従って、何人か食堂車に向かう客も見受けられる。
同時に、車内販売の女性もワゴンを持ってやってくる。
本州とは車内外の雰囲気も変わってきたことが、肌身で感じられる。
教授の座る座席の反対側の窓の向うには、玄界灘が広がる。今まではこちらの窓が海側だったが、ここから先は逆になる。ふと、通路の向いの窓の向こうを見るともなく見ると、やはり、海は瀬戸内海よりも荒いようである。そのうち八幡製鉄所なども見える。
これまで海側だった車窓は山側に。その先には、九州の諸炭鉱が控えている。車窓の雰囲気もまた、本州を走っていたときに比べて明らかに変わっている。
車内の雰囲気も、明らかに変わった。話され飛び交う言葉も、かなりの割合で九州地方の人たちのそれである。幼少期から慣れ親しんだ関西の言葉は、もはや、ほとんど聞こえてこない。
昼過ぎの北九州を滑走した列車は、やがて、福岡市の郊外へと入っていく。車窓の向こうに、九州大学が見え始める。再び、鉄道唱歌のオルゴールが流れる。列車は定刻で走っており、間もなく、博多に到着する旨が告げられる。到着ホームとどちら側のドアが開くか、そして、接続案内が丁寧になされた。手前の吉塚を減速しながら通過して間もなく、定刻13時37分、博多到着。
ホームの向うは、翌年の開業を控えた新幹線ホームの工事が進んでいる。
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堀田氏はなんとなく、この列車を見送りたい気持ちになっていた。数分の停車の後、彼のいるホームを滑り出した青と白のツートンカラーのこの電車は、約100キロ少々先の熊本に向け、タイフォンを鳴らして去って行った。方向幕に「つばめ」と書かれた電車を見送った後、彼は改札を通り、駅員に切符を渡して福岡の街中へと出た。