朝一番のつばめ号 1 岡山から広島まで
山藤氏に地下改札まで送られた堀田教授は、改札を越えてすぐのホームの階段を上る。ここは山陽本線下りホーム。
岡山操車場で一夜を明かし昼間の特急としての準備を整えたエル特急「つばめ1号」が、ほどなく入線。折戸が開かれ、客が続々と乗り込む。
とはいえ、岡山を朝1番のこの列車に、大阪方面からの乗継客はそれほどいないためか、定員の半分もいかない程度の乗車率になりそうな模様。
青とクリーム色のツートンカラーの581・583系電車の12両からなるこの系列の電車、夜は寝台特急として活躍しつつも、昼間はこうして座席を使った特急列車となっている。
普通車は夜に寝台となるため、昼間は少しゆったり目のボックスシートとなる。
混んでいればともかく、空いている車内では、一方向に向けられたロマンスシートと呼ばれる座席よりもゆったり過ごせる。
堀田教授は荷物を網棚に乗せるわけでもなく、進行方向に向かって確保した窓側の指定席の横に荷物を置いた。
そして、自分は指定されている席に座った。
今回の座席は、本州では海側になり、九州に入ると山側になる。
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7時35分の定刻。
列車は静かに、岡山駅を出発した。
ほどなく、車内に鉄道唱歌のオルゴールが流れる。
出発後の車内放送の開始。
3号車グリーン車に位置する車掌室から、年配の車掌長が案内を始める。
この列車の停車駅は、岡山発車後、順に倉敷、福山、尾道、広島。
広島到着は、9時37分。
続いて、岩国、徳山、防府、宇部、下関。
下関到着が12時30分丁度。
そのあと、小倉、博多に停車。
博多到着は13時37分。
そのあと久留米、大牟田に停車し、終点熊本。
熊本到着は、15時15分。
列車は前から1,2号車は普通車指定席、3号車はグリーン車指定席、4,5号車は普通車指定席、6号車は食堂車、7号車から9号車までが普通車指定席、10号車から12号車は普通車自由席。
乗車券の他に特急券が必要である旨アナウンスされる。
それに加えて、時間の都合で切符のない客には、後程車掌が車内に回るのでその時申し出よとの案内も加えられる。
再び鉄道唱歌のオルゴールが鳴ったと思うと、ほどなく、日本食堂の女性乗組員からのアナウンス。食堂車の用意が整ったので、どうぞとのこと。
案内が一通り終わって間もなく、列車は倉敷到着。
ここから乗ってくる客は、あまりいない。
もっとも、降りる客は全くと言っていいほどいない。ほどなく発車。
倉敷出発後、水島臨海鉄道の線路を海側にしばらく見て、球場の近くでお別れ。
市街地から少しずつ遠ざかり、やがて列車は西阿知を通過し、さらに、高梁川の鉄橋を渡る。このあたりになると、辺り一面に田園が広がる。
通路とその横の座席を挟んだ窓の向こう側には、来年開業予定の新幹線の高架が出来上がっていて、さらに工事が進んでいる。
まもなく列車は、玉島を通過。ここに、新幹線の新駅ができる。
何でも、夜行新幹線の計画もあって、山陽区間の三原までは幾分多めに駅を作ることになっているのだという。西明石や相生、それにこの玉島といった駅は、そのための「退避要員」的に新幹線が立ち寄ることになる。
もっとも現時点での玉島駅周辺は、駅前の一部を除き、一面の田園地帯である。
玉島を通過すると、列車はさらに田園地帯のまっただ中へ。山側の向うには、新幹線の高架が見える。どうやら、トンネルだらけになりそうだ。しかしこちらは、笠岡を過ぎるまでトンネルはない。
晴れの国と言われるだけあって、温暖少雨の肥沃の地である。
金光を過ぎたあたりで、堀田教授は食堂車に向った。
後ろに進むこと2両目。食堂側から入り、海側の中ほどの席に着いた。相席者もいない。先客は他のテーブルに数人。朝定食を食べているか、珈琲を軽く一杯、もしくは朝から一杯ひっかけている。どうせ車内は空いているから、珈琲一杯でこの地で粘ることもない。この食堂車の座席は、プラスチック製の良く言えば機能的な、悪く言えばいささか無機質な感じさえ抱かせる黄色の椅子。居住性なら、座席のほうが数段良いに決まっている。特に、空いている列車であればなおのこと。
ウエイトレスがやってきた。教授は、ビールを1本注文した。
特につまみを頼むでもなく、黙って一人でグラスにビールを注ぐ。グラスを口につけ、一口二口飲む。和定食でも食べようと思ったが、朝のモーニングのパンとゆで卵程度でも十分昼くらいまで持つだろうということで、もう、つまみもなしにビールだけを飲む。
ふと天井を眺める。寝台に使われる列車だけあって、屋根が異様に高い。
ビール大瓶1本を10分程度かけて飲み、堀田教授はそそくさと座席に戻った。
この度の座席はデッキに比較的近いところ。少しだけ周囲より屋根が低い。
列車は岡山県西部の駅を次々と通過し、やがて、岡山県最後の駅、笠岡を通過。
数年前廃止された井笠鉄道は、この駅から出ていた。
確かにここに小さな列車が出入していたことがわかる「遺構」はまだある。
ここからしばらく駅がない。県境ともなれば、さすがにトンネルもある。
やがて列車は国道2号線と並走し始める。
兵庫県との県境と異なり、こちらの県境は開けた道路の途上。
その標識で、列車は広島県に入ったことがわかる。
列車は岡山と広島の県境を突破し、広島県へと入る。大きなカーブの途上、広島県に入って最初の駅、大門を通過する。
しばらく進んで貨物駅を通過して間もなく、福山到着。
福山では、若干の降車客と乗車客が発生する。
備後赤坂、松永と通過してしばらくすると、瀬戸の海が見えてくる。
海の向いの向島には、造船所もある。
古ぼけた町中をすり抜けるように、列車は尾道に到着。
ここでいくらか降車客がみられるが、乗車客はさほどでもない。
ビジネスで動くには中途半端な時間であるし、特急列車で通勤するにも、いささか時間帯がずれているから、これは仕方ない(注:当時は在来線とはいえ特急列車で通勤する客は殆どいなかったし、定期券の特急利用設定もなかった)。
やがて列車は糸崎と三原を通過。この三原もまた、港町。駅前からは、近隣諸島に向うフェリーも出ている。ここから、呉線が分岐。
海側は呉線に任せ、山陽本線は、山間へ向う。
本郷、河内と、列車はさらに陸地へと入っていく。かつて東映が作成したブルートレイン化されて間もない特急「さくら」号を舞台にした映画「大いなる驀進」の舞台となった舟木隧道を超え、列車はどんどん山間へ。
数か月前近隣町村を合併して東広島市となった酒の町・西条を通過した列車は、かのセノハチと呼ばれる峠を滑走しつつ下る。
海田市、向洋を軽々通過し、車両基地の間をすり抜け、広島到着。
まだ朝の9時30分過ぎである。
かなりの乗車客と降車客の入替えが、広島では発生する。
3分間の停車の間に、乗務員の交代が行われる。
運転士はもちろん、列車によっては車掌もここで交代する。
なお、この「つばめ」を担当するのは、広島車掌区の車掌たちである。