ふわもこ抱き枕
「ディー……?」
名前を呼ぶ声が、最後に疑問形になったのには理由がある。
目の前のふわふわの体積が、記憶と食い違っていたからだ。
白銀のヒョウ柄は変わらない。でも、体の大きさが全然違っていた。子ユキヒョウが、いつの間にか体長1メートルを超える成体に変わっていた。
「本当は、神官の姿で寄り添いたいところなのですがね。今の女神の力では、これがせいいっぱいなのです」
ぺろ、と頬をなめられた。
涙をすくいとられて、今までひたっていた感情が全部ふっとばされる。
「ディー……」
「ほら、休むならちゃんとベッドに横になってください」
「でも食事とか、お風呂とか」
「そういうのは後でなんとでもなりますから」
ぐいぐい、と袖をひっぱられて。されるがまま、私はベッドに横になった。
大人のユキヒョウは私の横までくると、抱き枕の要領で私の体を抱きかかえる。
もふ、と顔がふわふわの毛に包まれた。
「私が抱っこするのはダメなのに、自分が抱っこするのはいいの?」
「ダメですか?」
「……ダメじゃない」
むしろ、すごくいい。
ユキヒョウのお腹の毛はどこもかしこもふわふわだ。あたたかな体温がひたすら気持ちいい。
しかも、春の花畑のようないいにおいがした。
「ユキヒョウって、こんなにおいするんだ」
「まさか」
ふん、と頭の上で鼻息がたてられる。
「肉食獣そのままの体臭だと生臭すぎますからね。調整して、フローラルブーケの香りに変えています」
「なにそれ。芳香剤じゃないんだから」
「もともと大きなぬいぐるみみたいなものですし、大差はないんじゃないですか」
なんなのその謎理論。
屁理屈は嫌いじゃないけど。
ぽんぽん、と巨大な肉球が私の体をたたいた。まるっきり、子供のねかしつけである。
体は猛獣なのに、仕草だけは妙に人間くさい。
でもそのアンバランスさが、ちょうどよかった。
人みたいだけど人じゃない。
その距離感に安心する。
「あのね……」
「はい」
「私……実は、イースタンとの縁談がきたとき、うれしかったの」
「……はい」
もこもこの胸毛に顔を埋めながら、私はぽつぽつと胸のうちを言葉にしていく。
「お姫様って、お嫁に行くのが仕事じゃない? お嫁にいったらその家の子供を産んで、子供の成長を見守って、それでおしまい」
「今のサウスティの常識ですと、そうなりますね」
「でも、私はそれだけじゃ嫌だったの」
ぎゅ、とディーの体を抱きしめる。
「子供を産むことは大切だけど、私はそれ以外のことだってできる。本を読むことも、計算することも、誰かと話すことも」
「……そうですね」
「イースタンに、異国に嫁げば私には新しい役割ができる。ふたつの国を結ぶ、架け橋となることが求められる。外交官、とまではいかなくても窓口となる仕事ができる、って思ったの」
じわ、とまた目に熱いものがこみあげてくる。
「だ……だから……一生懸命、準備して……勇気をふりしぼって……イースタンに行ったの。でも……でも……!」
ぽんぽん、と肉球がまた私の体を叩いた。
すり、とふわふわの毛並みでほおずりされる。
「あなたはもともと、努力家ですからね」
「どうしてそう思うの」
ディーとの付き合いは、つい最近だ。
婚約破棄されたあの日から一か月と経ってない。
訳知り顔をされるのはなんだか釈然としなかった。
ふ、とディーが口元だけで笑った。
「あなたのことは、紫苑の時から存じ上げてます。工学部に進学したのは、介護補助用のロボットを開発するためでしょう? 適正があったのもあるでしょうけど、あの世界で女子が機械系の職を志したのは、誰かのための何かを作りたい、という想いがあったからのはずです」
「……女神って、私の何をどこまであなたに共有してるの」
進学の志望動機を知られてるなんて、女神のキャラデザインセンスはどうなってるんだ。
「でもばれてるなら、取り繕わなくてよくて楽かもね」
はあっ、と胸にため込んでいた空気を吐き出した。
もう一度ふわふわの毛並みに顔を埋める。
「そう。私は誰かのために何かしたかった。アクセルに婚約破棄されて……すごくショックを受けたのは、恋とか愛とかじゃなくて、将来の夢を閉ざされたからなんだわ」
嫁入りのことを思って、出てくるのが取られた物や、居場所のことばかりなのは、そのせいだろう。
そういえばアクセル自身のことはあまり気にしてなかった。
怒りはあるけど、エメルに乗り換えられて悔しい、という気持ちはあまりない。
「……勝手かなあ」
私は自分の夢のためにアクセルを利用していたとも言える。
「気にする必要はありませんよ。誠実に王女としての責務を果たそうとしたあなたを、裏切ったのはあちらです」
とん、とん、と肉球がゆっくりと規則的に私の体に触れる。
ちょうどゆったりとした心拍と同じリズムだ。
「あなたは十分ひどい目にあったし、十分怒る権利があります。泣いたって、わめいたっていいんですよ」
「ん……」
「私の体にくっついてる分には、声も外には届きませんから」
「それも、女神の奇跡の力?」
「ちょっとしたオプションです」
「なにそれ」
は、と笑ったとたん、張り詰めていた最後の糸が切れた。
今まで抑え込んでいた激情が一気にあふれてくる。
「ううううう……!」
大きなユキヒョウの体にしがみついたまま、私は気がすむまで泣き続けた。
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