#9 現れた悪魔
「全員退がれ!! できるだけここから離れろッ!!」
「「「了解!!!」」」
統領の死を悲しむ事もなく、レェザラは《酒場》のメンバーに撤退を命じる。それを疑う事もなく、レェザラ以外の戦士達は、来た道を迅速に走り抜け、五秒と経たず気配さえ消し去ってしまった。
レェザラは北東《酒場》の第二マスターに任命されている。いわゆる所の『副長』のような認識で構わない。
そして《酒場》の幹部とは、それだけ能力を有する指折りの戦士という証左だ。
そのレェザラが、真っ先に撤退を命じるという非常事態。得意の木槍を構え、いつでも攻撃に転じられるように精神を張り詰める。
……しかし、頬を流れる冷や汗が、レェザラの焦りを可視化している。
その大きな理由──ロナークという異形の悪魔が、《爵位持ち》であるからだ。
(伯爵にゃ、アイツらが束になっても勝てねェ!!
オレでも勝てるかどうか……ッ!!)
地獄の悪魔らは──天使らもそうなのだが──階級制度を設けている。
階級が高ければ高いほど、それだけの実力を有するという事だ。
一番地位と実力が低い悪魔を、下級悪魔と呼び、全ての悪魔はまず騎士へと階級が位置付けられる。
その後は『男爵・子爵・伯爵・侯爵・公爵』と、順々に《爵位持ち》を目指していくのだ。
そして最上位の悪魔の二つ名は《王》。
今や唯一無二となってしまった、《混沌戦争》最後の生き残りだ。
爵位の議席は、《戦争》最盛期は六十三席あったとされるが、苛烈極まる《戦争》の戦火に焼かれ、今やその数も激減してしまった。《王》でさえ、九席あったのにも関わらずだ。
さらにここ百年、《爵位持ち》になった悪魔もいない。
ゆえに悪魔陣営は、近年天使陣営に劣勢がちだ。
……しかし安易に天使らが地獄へ攻め込まないのは、未だ《爵位持ち》の力を恐れているからが大きい。
──ロナークは、一五〇年ほど前、子爵から伯爵に成り上がった悪魔だ。
「身の程を弁えているのは良い事だ。鳥頭達はそれが分からんゆえな、その分だけは優秀と言ってやろう。
ところで、一つ聞きたいのだが」
「あ?」
──伯爵は、爵位の中でも中程度の実力を有する。幹部でない《酒場》の戦士達は、多対一による大人数での物量作戦で、ようやく爵位の中で最下位の『男爵』に勝てる。無論、死傷者も出すだろうが。
「先の男は、あの程度で貴公らの長を勤めていたのか?」
「──死にてェんならそう言えこのタコ!!」
──そして《酒場》のマスターが単体で勝利出来るのも、せいぜい四位の『子爵』までが良い所だ。
それが分かっていたとしても、レェザラは自ら囮を買って出た。
並大抵の事では死なない体だから、というのもあるが。
飲んだくれのへべれけでも、命を賭ける覚悟はいつでも出来ているのだ。
レェザラの槍術は、《ガルガンチュア》の垣根を超え、人界で最速とさえ言わしめる。単純なスピードなら、レェザラに敵う者はいないだろう。
レェザラの最も得意とする型である下段。下段からの発生はかなり読み辛い。視線の先が穂先と目に二分化されるのもそうだが、何より搦手に繋げやすいからだ。
最速のスピード、最高の槍術。
その二つから繰り出される刺突は、正しく音速の一撃足り得る。狙うは脳天のただ一点──!
「ほう、中々やる」
(クソッ!!)
……だがレェザラ渾身の音速の槍を、ロナークは神速の手で迎えた。
統領が不意を突かれ殺されたのも、この神速の触手があったため。
次はこちらの番だ。そう言わんばかりに、ロナークは二〇の触手を、頭上から大きく振りかぶった。レェザラが下から攻めるなら、こちらは上から攻めるまで……そう思い至ってのことだった。
避けられない──そう悟ったレェザラは、回避よりも往なして逸らす事に注力する。
だが、ロナークの一言で気を緩めてしまう。
「守りながら戦うのはさぞ辛かろう?」
「は──ッ!? なんで逃げてねェんだよバカ!!」
レェザラからの叱責。だが今のゲレグには怒りと憎しみしかなかった。
今にも噴火しそうなほどに発狂直前の理性を必死に抑え、あるはずのない隙を伺っていたのだ。
自らの手で、彼奴の命を縊る隙を。
土を握る掌から、血が滲んでいた。
果たして生まれた隙は、ロナークのものではなかった。ゲレグに一瞬気を取られたレェザラは、触手が襲って来るであろうタイミングを見失った。
(クソッ、何も思い通りに行かねェ!!
行ってねェのに……!!)
ゲレグの行動は倫理的に正しくとも、戦術的には正しくない。足手纏いである事を、ゲレグは自覚出来ていない。
戦場では冷静なレェザラでさえ、この時は焦りを感じた。
──にも関わらず。
「いつになく体の調子が良いな、クソが!!」
一秒。その時間に繰り出した穂先の数は十八合。呼吸さえ漏らせない短い時間の中で、ここまでのポテンシャルを発揮できた経験は、さしものレェザラにもなかった。
叩き、往なし、躱し……負った傷は、薄皮を撫ぜるような浅い傷のみで済んでいた。
そしてロナークも、それをただ傍観するだけではない。先の二十を優に超える、五十もの神速の手刀を以て、レェザラの命を刈り取ろうと試みる──が、それさえもレェザラには見えていた。
全ての攻撃が致命傷足り得るロナークの攻撃は、果たして一つもまともに当たる事はない。
不完全な拮抗に、ロナークの脳細胞は、一つの結論を導き出した。
(そうか、〝鼓舞奮心〟か!)
そして、その推察は当たっている。
ゲレグはこの時、無詠唱の〝鼓舞奮心〟を発動していた。
ゆえにこそ、レェザラは伯爵クラスを相手にして、まだ奮戦出来ているのだ。
脳内物質の過剰分泌による身体能力の強化、その果てに究極の集中状態──謂わゆる『ゾーン』を強制的に発現させる。
それこそが〝鼓舞奮心〟の効果だ。
〝鼓舞奮心〟は、アマゾネスが一番得意とする呪法であり、アマゾネスはそれ以外の呪法を使わない。それにこれは、使いこなせるかは別として、アマゾネスなら幼子でさえも無詠唱で使えるほどに、簡単で陳腐な呪法だ。
だが〝鼓舞奮心〟を《集落》の外へと持ち出した者がいないゆえ、《ガルガンチュア》には〝鼓舞奮心〟の呪法は伝わらなかった。
──アマゾネスらは、祖先が定めた古き掟を忠実に守っていた。
《集落》の外を意味する『外界』の文明を、そしてそこに住まうヒトを信用せず、自分の身は自分で守る。信じて良い他種族は、古くから共生関係にあるゴブリンのみ……といったもの。
アマゾネスの祖先には、暗い過去から得た教訓を礎に、ゴブリンの祖先と、これらの掟を定めたのだ。
さて、アマゾネスはゴブリンと共生関係にある。
年に一度の成人の儀では、同じく成人になったゴブリンとの親善試合が行われていた。
察する者もいるだろうが、この親善試合は婚礼も兼ねた成人の儀式。
男しか生まれないゴブリンと、女しか生まれないアマゾネス。生息地域が近いという事もあり、種の繁栄には一番合理的だった……というのは建前なのだが、今は語るまい。
ゆえに極めて薄いながらも、ゲレグには、ゴブリンの血が混ざっている。
そして、その遺伝子には、ゴブリンとしての野生的な感覚──『直感』も刻まれているのだ。
エネルギーの源であるエーテルにより、脳内物質を分泌。細胞を活性化させ身体を強化するこの呪法は、現代のアマゾネスにとっては、最高に相性の良い呪法だった。
〝鼓舞奮心〟は、身体能力だけでなく、ゴブリン譲りの『鍛え抜かれた直感さえも』強化するのだ。
つまりそれは、ただでさえ強力な直感が、通常では考えられないほどの超人的な直感にまで強化されるという事。
この時のゲレグには、数瞬先の未来が見えていた──!!
「首!!!」
「──ッ!!」
触手の一つが、地面を突き破り、レェザラの喉に突き刺さろうとしている未来。
果たしてゲレグの掛け声で、レェザラは木槍で触手を受け止め防ぎ切る。しかし勢いを殺せず、ゲレグの近くまで吹き飛ばされてしまった。
背中から木へとぶつかり、衝撃に咳き込みながらも、しかしレェザラはまだ立っていた。
首を刎ね飛ばされるよりかは明らかにマシな結末だ。なにせ、五体満足で生きていたのだから。
最悪の未来を、ゲレグとレェザラは回避できた。
「はは、未来視か、稚児!」
「……っはぁっ、そのおかげでオレは助かったワケだ」
──だが、ゲレグにもレェザラにも、この未来は見えなかった。
「面白い! なるほど、ただの稚児ではないようだな。
……そうか! 貴公ほどの実力を有するのならば、この絵図を作れてもおかしくはない……!」
「……え?」
あたかもアマゾネスを滅ぼしたのはゲレグであるかのような、ロナークのその言葉だけは。
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