#8 使者か、死者か
《アマゾンの集落》には、外部の人間は基本的に入れない。アマゾネス達の厳戒な警備体制が敷かれている事、《ガルガンチュア》付近では見られない特異な植生に加え、一番の難敵は『霧』だ。
《集落》は、《ギガスの霊峰》と《大鉱山》との狭間にある。《霊峰》の北西には活火山があり、これらの山脈地帯を《ソラエ山脈》と呼んでいる。
盆地ということもあり、《集落》は日陰になりやすく、濃霧が毎日のようにかかっている。もはや霧が無い日の方が珍しいほどだ。
土地勘の無い者が入れば、二度と戻って来れない迷いの樹海。そこを根城にするのが、《アマゾンの集落》なのだ。
「いやー全くきりが無ェな!!!」
「……何か寒くないですか?」
「いい加減シバきますよ」
「ウゥーン……」
「ぅひん……」
だが、本日の《集落》付近は霧が無い。
……それを口にしただけなのに、皆から罵倒される始末。レェザラはちょっと泣きそうだった。
さて、《集落》に至るには山を登らなければならないのだが、《酒場》は調査の名目での自然破壊を善しとしていない。ウォールブリッヂの巨体と長足を活かせるのは、樹海に入る目前というところまでだ。
ウォールブリッヂが手に持っていた鳥籠──《酒場》をゆっくりと置く。ずずん、という揺らぎの後、酒場は正常に着陸したようだ。
「お疲れ様でした、ウォールブリッヂ」
「なんのなんの、これくらいお手のもんすよ。
さーて……肩を組もう、明日を謳おう。
先見えぬ闇を共に歩もう。
──〝収縮〟」
統領が礼を言い、ウォールブリッヂは文字通り縮こまった。ウォールブリッヂは比較的最近《酒場》に入って来た者だ。無詠唱での呪法発動は、熟練でないと難しい。
そして、何と言ってもやはり、オーディナル大だとウォールブリッヂは小さい方だということが分かる。何せ下手したらゲレグよりも背が低いかもしれないのだ。
「おそらく、凄惨な場面を目にするでしょう。最悪の場合、悪魔との戦闘も考慮してください。ガーラ、口を覆う布を」
「ン」
さて、いよいよ本来の目的である調査の時間がやって来た。
普段は《酒場》の壁内に仕舞っている各々の得物が、その全貌を現す。両端の二つの壁は、プッシュオープン式の扉になっており、その中にウェポンスタンドが設置されているのだ。
剣、棍、槍、盾……あらゆる武具を取り出して、戦士達の準備がほとんど整う。ガーラはその呪法ゆえに、基本的に調査には行かせてもらえない。なので今回も留守番をする事になる。
残っているのはあと一人……生き残った少女・ゲレグだ。
統領はゲレグの心情を慮り、一つの提案をする。
「ゼルネレス、きみにはつらい光景になるでしょう。ここでガーラと……」
「いえ、行きます」
だが、ゲレグはその提案を跳ね除けて、決意のように、口元を布で覆う。ただ一人だけ己の味方をしてくれた、母親の事を思いながら。
「お母さん…………」
弔おう。たとえどのように命が壊れていても。
それが、生き残ってしまった者の義務、その最たるものだから。
-▼-
樹海の中は、やけに蒸し暑かった。常に何らかの虫の羽音が耳を横切り鬱陶しい。草木が擦れる音は、もう一生分聞いた。
歩みを進めるたび、帰りたいという思いは増していく。帰って冷たい水を浴び、度の強い酒を呷りたい。そう願ってやまなかった。
戦士達は、もはや獣道ですらない山道を進んでいる。かれこれ二〇分は歩いたという所で、木造の柵を見つけた。拒馬という戦争用に考案された木槍の柵だ。
かなり堅牢に作られており、それが長く、二重、三重に連なっているのだ。どうしたものかと統領達が手をこまねいていると、前に出たのは何とゲレグだった。
何をする気だ、と問おうとして──それは、呪文の詠唱によって遮られる。
「欲するは刃、求むるは熱。
罪断つ鉄、歪な十字。
惑うな迷うな、五つの目と手。
研がれた誇りで敵を討て。
──〝剣舞刃轍〟」
ゲレグの体内から放出されたエーテルが、空中で剣の形を成した。その数はなんと五本。剣達は舞うように、目の前の拒馬を叩き切っていく。
〝剣舞刃轍〟は、剣の数を増やせば増やすほど、その扱いも難しくなる呪法だ。
一本の剣につき、一本の腕をもって操るところを、一気に五本。背中から不可視の腕が伸びて、それらを振るうのを想像してみてほしい。想像だけでも、かなり難しいはずだ。
しかしゲレグは、何の気無しにやってのけて見せたのだ。それだけで、紛う事なく天才と言える才能だ。
やがて一分と経たずにそれらが粉々になると、統領含め、《酒場》の皆達は驚愕の声を上げた。
「凄い……きみの歳でこれほどの呪法を使えるとは」
「え、へへ……皆からは、使って良いのは〝鼓舞奮心〟だけだって、怒られたんですけど……」
……この時、ゲレグは自覚無く嘘をついた。
怒られた、どころの話ではない。むしろ、それだけで済んでいたら、どれほど良かった事か。
……一概に言えないからこそ、ゲレグは記憶に蓋をしたがるのだ。
隠すように、ゲレグは呪法を終了した。
この拒馬は、アマゾネスの最初の砦だ。一番《集落》に近い山の山頂ともいえる。つまり、《集落》まであと半分という所まで着いたのだ。
そこから歩く事さらに十五分。一番最初に異変に気付いたのはレェザラだった。森と共に生きるエルフのレェザラは、自然の違和感を決して逃さない。
飽きるほど嗅いだ鉄の匂い。
「……血の匂いだ」
「……っ」
「……ゼルネレス、本当に良いのですね」
「……はい。行きます」
──この決断を、ゲレグは生涯後悔する事になる。
《集落》の文明レベルは、《ガルガンチュア》と比べるべくもなく低い。
木で造られた『雨風を凌げればそれでいい』と言わんばかりの木造建築が──血の雨を凌げずに、破壊されていた。
口布を外して、ゲレグは呼吸を失う。
正直、少しだけ期待していたのだ。僅かな生き残りはいないか、出来れば母親は生きていないか。悪い夢でも見ていたのではないか……と。
そんな一縷の淡い希望を、ゲレグは抱いていたのだ。
それが今、粉々に砕け散った。
──山だった。それは、腐った肉の山だった。
褐色で、筋肉質で、顔に刺青が入った女達の、蝿の集る肉の山。
老いも若いも、婦人も赤子も、関係無い。
切断されたような、綺麗な断面さえ見受けられる。
もはや五体満足で死ねている方が珍しい。
まさしく、死屍累々というべき地獄絵図だった。
供養しようとして、近寄ろうとして、ゲレグは何かを蹴飛ばした。
覚えがあった。
見たくなかった。
目を逸らせなかった。
……見てしまった。
首から下を千切られている、ヒトの頭。
見間違えるはずもない。
それは、ゲレグの母親の頭だった。
「惨い……」
「う゛ッ、ううう゛……え゛ぇ……!!」
あまりにも凄惨な現場に、ゲレグは胃の中のものを全て吐き出した。
それらを受け容れるには、彼女の心はまだ幼く。
だが目の前に広がっているそれらは、残酷にも、彼女に現実を突きつけるのだ。
彼女の一番近くにいたレェザラの介抱も、何の気休めにもなりはしないほどに。
「……もう、無理すんな」
「いえ゛っ……やります……! やらな゛い゛と……!」
……なぜこうまでして、ゲレグは供養を急くのか。
ゲレグには、言葉に出来ぬ罪悪感があったのだ。
生き残った事ではなく……どちらかといえば、死ねなかった事によって。
「少し、骨が折れそうですね……」
さしもの歴戦の戦士達でさえ、この地獄絵図には息を呑んだ。それは、戦士達を束ねる統領であってもだ。
だが、頭が正常に機能しなければ、末端は動かないし動けない。一度深く息を吐いて、戦士達に指示をする。
……おそらくこの先も、惨状が広がっている。早急に遺体の供養をせねば、いつまで経っても死者達は報われないし、病の温床になりかねない。
ゲレグは幼いながらも、その事をよく知っていた。
ゆえに立ち上がり、一歩ずつ歩もうとしたのだ。
「先に行きます。皆さんは、彼女を護りつつ着いてきてください」
「では、貴公から死ね」
──先導していた統領の、胸部を抉られるところを見るまでは。
肉の音が木霊した。血の音が耳に残っていた。
ヒトが、命を奪われる音だ。
「殿が自ら先頭を歩くとは、愚かな事だ」
「ごばっ……ぎ、ざまっ……!」
突如として現れた影は、抉り取った統領の心臓をそのまま抜き取り、握り潰す。失った所から滝のように溢れ出す血液が、統領の倒れる体に潰され……統領は、ぴくりとも動かなくなった。
一瞬の出来事だった。あまりにも唐突すぎて、精鋭の戦士達ですら、何が起きているのか理解するのに、一秒以上の時間を要した。
死んだのだ。
目の前で。統領が。
心臓を握り潰したその手は、ヒトの手と呼ぶには、あまりにも艶かしく、そしてウネウネとして気色が悪かった。
しかも、ただの手腕ではない。関節どころか骨すら無い痩せこけたヒトの手腕を、三、四本束ねたような形をしている。『腕そのもの』が筋肉と言わんばかりの構造だ。細々とした指先はとても鋭利で、まるでピックのよう。
声の出所を探した。腕の根本を探した。
探した事を、一瞬悔いた。
──そこにいたのは、得体の知れない化物だった。
伸びていた四本ほどの手腕は、ただの一部に過ぎなかった。頭だけの体を支える、何十……いや、百はあろうか、漆黒の手と足の群れがあった。
手足の群れは、一際大きい肉塊に全て繋がっていた。一点に繋がっているのではなく、いや集中している所も確かにあるが、所々産毛のように生えているところもある。
頭部というべき肉塊は向こう側が見えるほど透明で、中に入っていたのは一つの脳と五つの臓器。それらは、まるでフラスコの中に入っているだけのような印象を受ける。少なくとも、臓器特有の生々しさ、生気は感ぜられない。
肉塊からは、脳から伸びている一本の触角が伸びている。おそらくそれは視神経だろうか。よく見ると、触角は先端が二股に別れ、それぞれが独立した動きを伴っている。
直視すればするほど、精神がすり減って行く。
こんなものを、ゲレグは同じ生き物とは呼びたくなかった。
やがて戦士達を一瞥したかと思うと、一本の触手を口に変えて、徐に自己紹介を始めるではないか。
「初めまして、卑徒の諸君。私の名はロナーク。爵位は伯爵だ」
気味の悪い事に、百本はある触手を器用に使い一礼をこなした。彼奴はロナークと、更には伯爵とさえ名乗った。
つまり、下級悪魔などよりもずっと格上の存在だということだ。
ヒトの『ヒ』にアクセントが着いた物言いは、人外達独特の……ヒトを見下した呼び方。
ゲレグには見覚えがなかった。だが察したのだ。そう思わざるを得なかったのだ。
「では、さよならだ」
こいつが、皆をめちゃくちゃにしたのだ、と。
感想レビュー℃℃募集中です!!
他の呪法や詠唱も出していきたい




