#7 ゲレグの謎
「んじゃ、行きますよー」
ウォールブリッヂの掛け声と共に、《酒場》は本格的な移動を始める。
わずかに上下に揺れる事はあっても、さほど左右に揺れない事から、ウォールブリッヂが丁寧に、足を、そして《酒場》を運んでいるのが分かる。
これで遠方の《集落》に三時間ほどで着くというのだから、驚きだ。
さて、ゲレグがそんな事を考えていると、先ほど統領の真紅のローブを手渡した、女性のドワーフがやって来る。
「アンタが、駆け込んできたアマゾネスの生き残りかい?」
「えっ、はっ、はいっ!」
「そーかいそーかい……ほら」
そういうと、彼女はゲレグに布のようなものを手渡した。見ると、それはゲレグが初めて《酒場》に来た時に着用していた、ボロボロのローブだった。
ただし、ほつれや穴あき、付着した血液さえもが完璧に修繕されている。もはや新品同様のそれだ。
どのような技術があれば、このような裁縫が出来るのだろう。ゲレグは凄く気になった。だがまずは、直してくれたお礼を言わねば。
「私のローブ……直してくれたんですか?」
「ああ。ドワーフは手先が器用な種族でね、こういった裁縫も得意の一つさ。お代は出世払いで頼むよ」
「あっ、ありがとうございます!」
そう言って、気さくに去っていくドワーフの彼女。
裾の短いブラウンのローブ。母から貰ったプレゼントだ。《集落》から出る時、このローブだけは持って来たかったのだ。
さっそくブラウスの上にローブを重ね着てみれば、ほんのり暖かかった。まるで心さえも暖めてくれるかのように。
……これ以上思い出すのはつらいだけだ。そう思って、ゲレグは窓の外へと視線をやった。
「ベビーちゃん」
「ん? 何です」
その様子を見ていたレェザラは、統領の男を、まだ誰もいない二階の展覧席に呼びつける。
男は心底不思議な様子で、レェザラの後をついて行った。
「ゼルちゃんの言ってる事、お前どんくらい信用してる?」
やがてたどり着いたテラスで、レェザラはゲレグの看病に使っていたベッドに腰掛け問い掛ける。
──レェザラ・エルフィンは、普段はへべれけの飲んだくれなのだが、ああ見えてヒトの中でも随一の医術を持つ、国宝と呼ぶべきヒトの一人なのだ。
彼女の偉大な功績は、《治癒》という呪法の開発が挙げられる。
《治癒》とは文字通り、エーテルにより細胞を活性化させ、人体の傷を癒す呪法。
だがこれはただの呪法ではない。発明された当時は、まさしく革命と呼ぶべき代物だったのだ。
──呪法は他者を傷つけるための手段でしかない。
彼女がこれを発明するまで、ネフィリム含む人々は呪法を、文字通りの『呪詛』としてしか認識していなかった。
その固定観念を、レェザラは百八十度ひっくり返してしまったのだ。
さらに彼女の《治癒》がなければ、ヒトの戦死者は圧倒的に増えていた。欠損こそ治せないが、創傷や打撲などはこれさえあれば解決する。
《ガルガンチュア》も、今のように栄えてはいなかっただろう。
だからといって、欠損を治す手段が無いとは言っていないのだが。
患者の身体を診察し、看病したレェザラは、だからこそ、ゲレグに疑いを持っていた。それは統領も同じ事だったようだ。
「……いえ、まだ何とも。正直なところ、彼女には疑わしい点が多すぎます」
「ああ……オレもそう思ってる」
レェザラの中で、ゲレグを疑うべき要素は以下の三つが挙げられる。
①悪魔に襲われた時、なぜかゲレグは気絶していた点。
②手足の甲、指の背など、通常では考えられない所についていた擦過傷。
③全身に付着していた、比較的に新しい血痕。
以上の点から、レェザラは──ゲレグが《酒場》に対し『何かを隠している』と考えているのだ。
その『何か』を暴くには……ゲレグのトラウマを刺激する事になる。それではゲレグの心が持たない。
ゆえに統領もレェザラも、ゲレグに一歩を踏み出せずにいた。
疑いたくはない。だが怪しい。
そのせめぎ合いの中、しかし統領はゲレグを信じていた。
「ですが、少なくとも敵ではない」
「……ハッ。経験則ってか?」
「ええ。天使も悪魔も、彼らは涙を流さない」
彼らの神が死んだ時、彼らは悲しみの涙を──そして怒りの涙を流した。
そして誓ったのだ。
彼らは自らの神の仇を討つまで、例え誰が死のうと泣く事はない、と。
己の神と、己が正しいと証明出来たとき、ようやく彼らは喜びの涙を流す事が出来るのだ。
「決して泣かないヒトをこそ、私は信用しませんよ」
だからこそ彼らは、一飯に涙を流せるような人間を、悪だとは思いたくはないのだ。
間も無く、《集落》へと辿り着く──。
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