#13 この靄を抜けて
拡がるのは毒の白霧。
一息吸えば死が待っている。
ゲレグはそれを、身を以て知っていた。
恐怖と緊張、そして〝鼓舞奮心〟の副作用である発狂効果……それら全てを噛み締めて、堪えて──
怒りという名の力に替える。
「レェザラ」
「分かってる。ゼルちゃんはまかせろ」
「頼もしい事です」
二人の頼れる戦士に背を預けられるこの状況で、何を恐れる事があろうか。
一手差し違えれば即ち死であるのにも関わらず、それを自覚出来た途端に、ゲレグは内臓にかかっていた負担のようなものが薄れていくのを感じた。
脳が冴え渡る。記憶が定かになる。蓋をした思い出がフラッシュバックする。
それなのに──未だかつてないほどに、ゲレグはこの状況下で落ち着いていた。
呼吸を整える。
深く息を吐く。
血煙の混ざった呼気。
逃れられぬ鉄の味。
やがて、全ての感覚が『伸びていく』。
この感触を、この現象を、ゲレグはよく知っている。
これは前触れだ。
避けられる運命の予兆。
唯一無二、自分に与えられた、誰かの命を救う手段。
──ゲレグの目は、土から出る無数の触手の刃を観測した。
「下!!!」
「──!」
簡潔に伝えられたゲレグの警報は、正しく二人の戦士達に反射を齎した。
その直後、青が入り混じった黒色の触腕達。ロナークの貯蓄エーテルが如実に減って来ているのが分かる。
事実、その初速を見てレェザラは『弱っている』と直感した。
初めに動いたのはバブ=イルだった。
彼にとって回避は意味を為さない形骸化した行為。だが長年の経験が、その怠慢を許さなかった。
彼の眼前に現れたのは六本の触手。その全てが、高低差や角度を無視して彼に襲い来る──が。
「シィッ」
その全てを、数瞬で叩き落とし、切断する。数秒間蛸の足のようにジタバタさせて、それらは完全に動かなくなる。
時間が止まっているかのような感覚の中で、バブ=イルは僅かに高揚していた。
「掴まれよゼルちゃん──〝樹蔓〟!」
一方レェザラは、破裂する土に身を任せた。
そしてゲレグもまた、そんなレェザラに身を預ける。
一見自殺行為にしか見えないそれは、地中から出る触腕の他に、極太い樹木の根が存在する事で否定される。
〝樹蔓〟は、植物の根を自在に操る呪法。《集落》は樹木に囲まれている。発動にはもってこいだ。
レェザラの目的は戦う事にない。ゲレグを守る事だ。ゲレグの『未来視』があろうとなかろうと、まず毒霧を抜ける事を念頭に置いていた。其処こそが、ゲレグの安全地帯に他ならなかったから。
だがそれは、結果的に悪運を呼ぶ事になる。
台風の目を抜けて空に出たレェザラ達は、眼前の事実を一瞬拒絶した。
何処かに消えていたロナークが、こちらに視神経の触覚を向けていた。
──ロナークにとって、〝隠者の濃霧〟の発動は、まさしく恥の上塗りだ。
暇つぶしの調査、暇つぶしの蹂躙。今までもこれからもそうするだけだと、軽薄な感情で始めた戦闘が、まさかここまで苦戦を強いられるとは思っていなかった。
それに、これは卑徒に使うべき技ではない。対天使陣営のために温存しておくべきもののはずだった。
大呪法は魔臓一つ分の貯蓄エーテルを使い潰す、燃費の悪い大業というのもあるが、一番の理由は──下奴たる卑徒如きに、これを使いたくなかったのだ。
この秘奥義を使わずとも縊れるという驕りと矜持ゆえの事だった。
(まずっ、誘い込まれた!!)
だからこそ、この切り札を切ったからには、もはや形振り構ってはいられない。
どのような姑息な手を使ってでも、眼前の卑徒には勝たねばならないのだ。
その思考を遮るように、ゲレグの直感が『未来視』を開始する。
「え──こ、これ──!?」
……しかし。ゲレグの直感は、絶望を映した。
未来を視たとて、対処の仕様がない攻撃をすれば良い。
至極簡単なこの事実に、ロナークは距離を置いて初めて気付いたのだ。
三六〇度、全方位からの触腕攻撃。
残った触腕の全てを使った、必殺不可避の速攻撃。
さしものレェザラも、これらを完全に御する事は出来ない。
──だが今なら、一人だけを生かす事はできる。
(──頼むぞ、ベビーちゃん……!)
「え、レェザラさん!?」
レェザラは迷わずゲレグを手放し、ゲレグは〝樹蔓〟の根に──ちょうど、触腕の範囲外の部分にしがみ付いた。
この時のゲレグは知らなかった。己の『未来視』の能力が、二つの性質を有していることに。
「レェザラさ──」
一つは、『過程』を映す『未来視』。
この場合、ゲレグの行動次第では、『過程』の先にある『結果』を如何様にも出来る。良い方向に転向するかもしれないし、はたまたその逆の結果になるかもしれない。全ては、ゲレグの行動に委ねられるのだ。
だがもう一つの『結果』を映す『未来視』が厄介だ。
この場合、『過程』をどのように過ごしても、『結果』が既に確定していて、決してそれは変わる事がない。ゲレグがどうしようとも変えられない運命に成り下がる。
ゲレグの目は、針串刺しのレェザラを視た。
「──────────ぁ、あっ!!」
ロナークの頭部から生えていた触手が開く。
そこにあったのは、縦に開かれた、もはや口と呼ぶべき部分。
噛み合わせなど考慮されていない鋭利な犬歯のごとき触手が、疎らに並んでいる。
手を伸ばしても、レェザラの未来には届かない。
犬歯が、一斉に彼女へと射出され。
肉の音が、無惨にも空に響いた。
骨と関節を無視して突き刺さった触腕、肉と肉の隙間から、ゲレグに向けて血を垂らす。
嫌な温もりを頬に感じて──
今、一人の命が終わる。
また、守れなかった。
その一事が、ゲレグの脳を支配した。
幼い精神は、その現実に耐えられない。
憤怒と絶望で埋め尽くされた心が、暴走を始める──
「……ゥオオヲオオオオッ、ラァッ!!!」
「な、あ゛あああっ!?」
──唯一エーテルを満たしている魔臓に、レェザラの木槍が投げ込まれなければ、の話だったが。
その雄叫びに、ゲレグはハッとさせられて上を見る。
貫かれながら、血反吐を吐きながら、死に物狂いに笑うレェザラがそこにいた。貫かれて尚、生きていた。
レェザラは後に語る。今日この日ほど、エルフという死ににくい体で良かったと思った事はない、と。
「カカカッ! やりぃ、魔臓ブチ抜いたァ!!
テメェのケツはテメェで拭くっての!!
ゲホッ──さァ、お膳立ては充分だろ?!」
「──ええ、良くぞ射貫きました、レェザラ!!」
そして、レェザラの最後の遠吠えは、バブ=イルの心に届いていた。
〝樹蔓〟の根を勢い良く登る、最後の希望がそこにいる。
固定された根を跳躍し、やがてレェザラを追い抜き、彼女を貫いていた触腕を斬り落とす。
重力のなすがままに落ちていくレェザラを、ゲレグはその隆々の細腕で掴み抱き寄せる。
血で汚れようが関係ない。その温もりこそ、レェザラがまだ生きている事の証左だった。
「レェザラさん……!」
「ゲボッ……あー、心配すんな。
ベビーちゃんほどじゃねェが、オレもオレで死ににくいのよ」
「良かった、ホントに……!」
「カカッ」
然して刮目せよ、彼の男は天を駆け上がる。
愛刀たるその木剣を握りしめて、縦横無尽に根を登る。
「統領さん!!」
「行け、ベビーちゃん!!」
──バブ=イルの持つ木剣は、謂わゆるところの『聖剣』だ。
あらゆる肉と鉄を断ち、刃毀れを知らぬ、人界最鋭の業物の一つ。現時点でこれ程の名剣を鍛てる者はおらず、もはやオーパーツに近い。
刃渡八〇センチ、柄二〇センチ。鍔は素朴な意匠ながら、頑丈な作りをしている。ちょっとやそっとでは、砕ける事はおろか傷一つさえ付けられない。
銘を《聖樹剣エルルエル》。
永きに渡り、バブ=イルの窮地を救ってきた、人界最高の一振りだ。
「この、卑徒風情がああああああッ!!!」
獣のように吠える。
最後の最後に悪足掻きをする。
百を優に超えて生えていた触腕を、レェザラを貫通していたそれらを、彼に向けて発射し──
「──せィあああああッッッ!!!」
──その絶望を切り伏せて、バブ=イルはロナークの上を行く──!
ゲレグは『未来視』を頼らずとも、その結果が見えていた。
振るわれた刃は、ロナークの継戦と生命を両断する。
術者を失った毒霧が、エーテルの粒子になって掻き消えていく。
空は、深淵よりも蒼く晴れ渡っていた。
遅れてごめーーーーん!!!!!
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