#12 切り札
バブ=イルの剣術は独学で編み出されたものだ。
彼には師とする者がおらず、その動きには一定性、つまり『型』と呼ぶべきものが無かった。
謂わゆるところのバブ=イル流剣術の理念とは、ただ『勝つ事』。
勝利するためならば、逃亡も搦手も容赦無く使い、それを至上の理とする……言ってしまえば、卑怯者の剣だ。
少なくとも二千年前、その流派を立ち上げた時──否、我流で鍛え始めた時はそうだった。
やがて友と呼び合える相手と出逢うと、着々とその鋭さを増していくようになる。
ただの一つの曖昧な『理念』に、少しずつ『理論』が加わっていく。
師なくして弟子は無いが、弟子なくして師も無い。
バブ=イルにとって、その相手こそが師同然だったのだ。
そうして研鑽を重ねる事二千年。
ただ愚直だったその手には、理が握られていて。
遂にバブ=イルの剣術は、人界最優の武術の一つとなっていた。
「くぅっ……!」
ロナークが攻撃に使っていた五〇の触手は、今や二〇も無い程にその数を減らしている。
地を見ると、そこには、役目を果たせず絶えてしまった触手が斬り飛ばされていた。ざっと四〇以上はあるが、どう見ても、先に繰り出した本数と合っていなかった。
その理由は、ロナークを支える触脚の数が先より減っていることから分かるだろう。
ロナークの触腕は、その一本一本を自立して動かせるほどの精密さを持っている。腕一本につき一つ脳が備わっているようなものだ。伸縮硬軟自由自在の鞭あるいは槍となる腕が、超高密度かつ超高速で飛んでくる事を考えると、為す術はないように思えてしまうだろう。
しかしその触手達は、ロナークがここぞと言う時に見せる直情的な性格さえも由来してしまう。
ゆえに意表を突くようなテクニカルな使い方が出来ておらず、そして愚直に飛んできたその腕を、バブ=イルは着実に一本一本処理して行ったのだ。
「ハァッ……!」
だがバブ=イルも無疵というワケにも行かないようだった。
見ると、新調してもらった真紅のローブは既に穴空きさえも目立つようになり、更にはその躯体にさえ風穴が空いている。ロナークが付けた数多の傷跡は痛々しくバブ=イルを蝕んでおり、もはや、己の血液でローブを紅く染めている状態だ。
その一歩は、脚を軋ませる。
その一手は、腕を乖離させる。
先の触手による鞭打の弾幕は、確実に、バブ=イルの『今回の』命を削っていた。
……だが、その痛みがいかに常軌を逸していようと、もはやバブ=イルは止まれない。
自分が奪った命の方が、もっと痛かったはずだから。
両者が睨み合う。二者間に、呼吸を整える隙は無い。
レェザラの参戦が無ければ、の話だが。
「よぅ、苦戦してっか、ベビーちゃん!?」
「ワケないでしょう……そっちこそ、随分長い休憩でしたね!」
互いに軽口を言い合いながらレェザラがバブ=イルに合流し、そしてロナークに相対する。
〝治癒〟の呪法は、悪魔達も使用できる。ロナークともなれば、無詠唱での発動さえも可能だろう。
だが〝治癒〟は、失われた器官丸ごとの修復を想定していない。
ゆえにロナークには、現時点での失われた魔臓の修復方法がない。
悪魔にとって、戦闘中に魔臓を潰されるという事は、それだけ自身の力が弱まり、劣勢になるという事に他ならないのだ。
勝負の天秤は、バブ=イルに傾きかけていた──
「よもや、卑徒如きにコレを使わねばならんとはな……!!」
──ロナークに、切り札が無ければ。
「試練の零番、無謀の崕。
焔々の三番、怠惰の黄。
炭屑の六番、誘惑の蛟。
逆様の九番、灰の雲耀。
祝されぬ我らが十八番の九。
──〝隠者の濃霧〟……!!」
その呪法の正体を、バブ=イルは知っていた。
「拙い……! レェザラ、目を閉じて呼吸を止めなさい!」
「あ? 何んぐっ!?」
バブ=イルの言葉の真意を測ろうとするレェザラの口を手で塞いだ。
エーテルの粒子を操り、ロナークは足元に円陣を形成する。長い年月をエーテルへ向き合ってきた者は、こういった芸当さえも可能にするのだ。
二重の円と、それらに接する四つの数字を内包する円。そして、正方形で繋ぐ環。
調和したサイクリック・スクエア。
ロナークが誇る最大の儀式の用意は整った。
──爵位を有する悪魔の基準の一つに、『大呪法を唱えられる』というものがある。ガーラのオリジナルである〝全地鳴動〟のような、比較的近年に作られたものではない。
古くから悪魔達にのみ伝わる、本来は二十二番からなる大呪法。
爵位持ちでも、実力不足ゆえに十八番までしか唱えられない禁呪。
その九番目が、この〝隠者の濃霧〟だ。
ロナークが唱え終わったその瞬間──バブ=イルとレェザラの視界から輪郭が消える。その白に歯向かうように、直ぐに瞳を閉じた。
世界が、濁った白色に染まっていく。
上空から見下ろした時、《集落》全体が、まるで煙にも似た濃霧に包まれていた。
《集落》の中、バブ=イル達の戦闘を遠目で見ていて、その霧を吸った、とあるネズミがいた。
それは、弱肉強食の生態系では下から数えた方が早かった、なんて事の無い、ただの一つの小さな生命だった。
そのネズミは、《集落》付近の樹木の中に巣を作っていた。ゆえに激しい戦闘から逃れんと、その巣穴から這い出てきていたのだ。
ネズミは、不意に現れたその濃霧を吸い──
そして、二度と息を吹き返さなかった。
〝隠者の濃霧〟。
毒性……否、もはや細菌に近いものを発露したエーテルを混ぜ込んだ濃霧。
視界を奪うだけでなく、霧を吸い込んだ者の命を蝕み、体内へと急速に澄み渡らせ、そして死に至らせる。
二人はその霧の濃さゆえに、ロナークの姿どころか、互いに互いの居場所さえも見失ってしまった。早々にレェザラの口を押さえていなければ、バブ=イルは確実に彼女をも喪っていただろう。
(早く、〝威風〟の呪法を……!)
……しかし、霧は体内だけでなく、体外でも微弱ながらに効果する。
ヒトは痛みに耐える訓練をしていても、内臓だけはどうしても鍛えられない。体外だから耐えられているこの微弱な痛みの連続を、例えば肺の中にそれを許容してしまったなら、どうなるか分からない。
バブ=イルが亡き神にかけられた呪いの名は〝矛盾律〟。
これは、被呪者の命が終わる時、被呪者の思考に応じて、その効果を発揮する不死の呪い。
正しくは、不死というより『遡行』の性質を持つ。バブ=イルに髭や髪がボサボサに生えているのはその所為だ。
死ねない、という意味では不死そのものだ。
だが〝矛盾律〟は、『被呪者の状態を呪いをかけられた時点まで戻す』という性質を有した『不死』なのだ。
そして、遡行が効果するのはあくまでも『バブ=イルの性質を有するもの』に限られる。死因となった病気や細菌といったものは、そのまま体に残ったままなのだ。
死んでも元通りになるバブ=イルでさえも苦しむ事になる。
そう言う意味で、〝矛盾律〟は〝隠者の濃霧〟と頗る相性が悪い。
加えてバブ=イルは、〝矛盾律〟以外の呪法や祝福の発動を、凄く苦手としていた。
それはもう、『円陣を描き、詠唱を行わなければ』、満足に展開できないほどに。
レェザラに唱えさせるのは、バブ=イルにとって論外の事だ。自分が死ぬのならまだしも、レェザラは死なせられない。
自分以外のヒトは、死ねばそこで終わりなのだから。
……万策尽きたか──
「過ぎる陽、終わる宵!
追いつかれぬまま追い越していけ!
──〝威風〟!」
──と思ったその刹那、バブ=イルは後方に衝撃を受ける。
吹き荒ぶ旋風は、バブ=イルの周辺にあった死の霧を発散させ、十分な呼吸をレェザラに齎した。
レェザラが発動してくれたのだろうか、とバブ=イルは一瞬思ったが、先まで彼女は己の手で顔を青くしていた。『殺す気かテメェ』と視線で訴えて来て──と、そこまで分かって、二人はハッとさせられ、後ろを向いた。
「まさか、ゼルちゃん……!?」
「ひう゛ぅ、ゲホっ! ゴボッ!」
〝威風〟の呪法で極小の台風を作り出したのは、先ほどレェザラが逃走を促したはずの、ゲレグ・ゼルネレスその人だった。
肺の中に流入した、霧に混ざる細菌状態となったエーテルが、ゲレグの細胞や組織、果ては気管に至るまでを次々破壊していく。咳とともに、ゲレグは大量に喀血してしまった。
「っ──〝解毒〟!!」
レェザラが〝解毒〟の祝福を発動していなければ、ゲレグの命は無かっただろう。
ゲレグは今、フラフラになりつつも、どうにか意識を保っている状態だ。
「バカな、ゼルネレス! なぜ……!」
「っ……焚べるは心臓、燃やすは魂……!
一片の使命を手放すな……!!
──〝鼓舞奮心〟!!」
レェザラの〝解毒〟は助かったが、バブ=イルの心配は今はいらない。
そう断じ、ゲレグは忌まわしき〝鼓舞奮心〟を、完全詠唱で発動する。
同胞を殺害する要因となってしまった、忌々しい呪法。だが、現状を打開する方法も、これ以外に無い。
「バカ、逃げろっつったろ!」
「嫌です……!」
「はァ!?」
レェザラの叱責に返すように、ゲレグも叫ぶ。
「罪の重さも、罰のつらさも、何だって受け入れます!
もうこれ以上、誰も死なせたくないんです!!」
空っぽだったはずの心に残っていた、最後の感情を吐露する。
失ったがゆえに得たものを。
──止め処ない怒りを。
己への、怒りを。
「ぜエッ。あの伯爵は、何でか私の〝剣舞刃轍〟の事を知っていました! 多分、エーテルか呪法のどっちかを探知出来るんだと思います!
今の〝威風〟と〝鼓舞奮心〟も、きっと探知されてるはず!」
「──!」
「──私が『目』になります……! 次の攻撃、見切って見せます!! 二人は、そこを反撃してください!」
「……!」
ゲレグが発露した、〝鼓舞奮心〟を発動中での『未来視』という切り札。
フィジカルを資本とするバブ=イルと、搦手の対象を見失ったレェザラに残された、最後の手立て。
この現状を打破するには、これしか方法がない事は、二人にも分かっていた。
「くそ、それしか無ェか……!」
「……頼みます、ゼルネレス!」
「はいっ!」
いつ何時でも奇襲に対応出来るよう、三人で背中を合わせる。
自身の体さえも見えなくなるような濃霧に、一筋の光明が差す。
それが希望なのか、あるいは絶望なのか。
どちらにしろ、切り札は切られたのだ。
果たして──
感想レビュー℃℃募集中です!!
次回クライマックスだぜ。




