#10 真実とは、消えない罪の証
世界の時が止まったような、そんな静寂が数秒続いた。
思考を放棄したくて、でもそれが出来るほどゲレグは愚かにはなれなくて。
まさか。そんな、馬鹿な。ありえない……その言葉だけが、頭の中でループしている。
アマゾネスの生き方は、ゲレグにとって息の詰まるような閉塞感を味わわせていた。それに不満を覚えていた事は認める。
そしてその生き方を強要してきた、自分を否定する人々を嫌っていたのも。
けれど、死んで欲しいだなんて思った事はなかった。殺したいほど憎いだなんて、一瞬でも考えた事はないのだ。
ゲレグが捻り出した言葉は、しかし虫の声のように小さく。
「な、にを……言って……」
「ん? おかしな事を聞くものだ。
──これらを屠ったのは、貴公だろう?」
だがロナークは、嬉しそうに、この地獄をむしろ寿ぐように、そう紡いだ。
それを否定しようとして、レェザラも少ない語彙をどうにか絞り出した。
「……はっ、下手なハッタリはよしやがれ。ゼルちゃんはテメェらから逃げて来たんだ」
「私は先ほどここに初めて来た。先行調査の下級悪魔も、事を知って直ぐの夜になってから行かせたのでな」
「悪魔の言葉を信用出来っかよ……!」
「はあ。一から説明しないと分からんのか?」
一丁前にヒトらしく溜め息を吐きながら、ロナークは触手を用いてレェザラとゲレグに諭し始める。
「つまり、入れ違いなのだ。
これらの死に我々は関与していない。むしろ、本来の目的は貴公らと同じ──『原因不明なまま絶滅したここいらの卑徒の調査』だ。
そしてその原因は、先ほど分かった」
ロナークの言葉に嘘はない。淡々と語るその口調から、それが嫌でも分かってしまう。
「ちが……私、確かに……悪魔に……」
「否である。先行させた下級悪魔に、これほどの力は無い」
レェザラの疑いは、最悪の形で晴れていく。
「じゃあ何でッ、皆、殴られた跡だけじゃなくて切り傷も!?」
「貴公の使用していた呪法〝剣舞刃轍〟によるものだ。そも、いつ死んでも良い最底辺の下級悪魔に、得物なぞ渡すわけがなかろう」
手足の甲に付いていた擦過傷は、殴打の時に付いたもの。
全身に付着していた血痕は、その全てが、同胞の殺傷の際に付いた返り血。
「私は……気絶してたのに……っ!」
「正確には発狂していたのだ。〝鼓舞奮心〟は、戦士として訓練を積む事で凶暴化を抑える事が出来るようになる。ここにいる卑徒どもであれば、特段気にならんだろうがな。
貴公が悪魔に襲われたと勘違いしたのは、発狂が終了した瞬間に、下級悪魔と鉢合わせたためだろうな」
ゲレグが悪魔と邂逅するまでの記憶が薄いのは、〝鼓舞奮心〟の副作用による発狂が原因。
アマゾネスが幼い頃から始める、いついかなる時も平静でいられる訓練……忌まれ嫌われる立場のゲレグだけは、まだ十全で無かったのだろう。
「〝鼓舞奮心〟なんか、私一度も使ってません!!」
「〝鼓舞奮心〟は、一人が使えば、その者が『味方と認識している者皆に自動的に掛かる』という、そういう術式になっている。その方が都合が良いのでな。
大方、貴公の親類か誰かが使ったのだろうよ」
……アマゾネスは『己一人の力だけを頼りに生きる』事を何より誇りとし、『誰かに頼る行為』を何より恥としている。近年はその思想が強く、『強い女でないならばアマゾネスの資格は無い』とさえ思っていたようだ。
レェザラには分からないが、何らかの理由でゲレグを襲ったアマゾネス達は、おそらくそれぞれが自分自身だけにに〝鼓舞奮心〟を唱えたのだろう。
そしてゲレグの親類とは、おそらくゲレグの母親。ゲレグの母は、〝鼓舞奮心〟を、ゲレグを守ろうとして発動し……意図せずして、ゲレグにもそれが発動したのだ……。
「…………なんで、そんな事知ってるんですか……」
「私達が、そう作ったからだ」
……曇天が晴れた時、空に広がっていたのは深淵だった。
完全に抜けた腰と、粉々に砕けた意思。
ゲレグの魂に、もはや感情という名の波はない。
もはや彼女は、ヒトの形をした、空っぽのナニカだ。
許しを乞うように、頭から傾れ込む。
罰を耐えるように、両腕を抱える。
空っぽになった自分からは、吐き出すものなんて微塵もない。
それが分かっていながらも、ゲレグは許しを乞う事をやめられない。
誰もお前の罪を赦しはしないのに。
全ての真実は、自分が招いた。
あまつさえ、その罪を忘れようとした。
己を蝕む全てから、逃げようとした。
なら、その報いは、罰で受けなければ。
「お母さんも、わたしがころしたの……?」
けれど、ゲレグには、それ程の勇気さえ無い。
今更、母の死の意義を求めた所で、
死んだ人が蘇る事なんて無いのに。
何よりゲレグ自身が、それを分からないはずもないのに……。
「そうだろうな」
「違うッ!」
だがレェザラは──《酒場》は、ゲレグの贖罪を否定する。
「良いかゼルちゃん、これだけは言える!!」
レェザラはこういう時、上手く言語化する方法を知らない。手先以外は不器用な女だ。
だからこそ、レェザラの言葉は真っ直ぐに、ゲレグの心を貫く。
空っぽの心だからこそ、その器は大きく響くのだ。
「お前のおかーさんの首の断面は、無理やり千切ったような傷だった!! 剣のような切り傷じゃねえってこった!!
分かるか!? お前の事を守るために、ずっと体張ってたんだよ、お前のおかーさんはよ!!」
レェザラは、少し荒療治に出る事にした。
ゲレグが《集落》で何をしたのかの詳細は知らない。ゆえにこれは、ほぼゲレグの傷を抉る行為。
だがその傷の記憶には、確かな思いがあったはずだ。
不確定なソレを信じるしかない。
それだけが、《酒場》の一員として最大限に出来る事だった。
「傷つけられて、許せなかったんだろ!? 助けたかったんだろ!?
ならそう信じてやれよ、まずテメェをよ!!!」
ゲレグが蓋をした記憶。途切れかけの記録。
ゲレグはソレを否定したかった。
希望なんて甘い蜜はいらない。
ただ、絶望の渦中で死にたいのだ。
けれど、一度、その蓋を開けて仕舞えば。
悔恨と怨念しかない《集落》の中に、ソレはあった。
永別する前の、母との最期の会話を。
『生きて、《酒場》を頼れ』という、母が示した道筋を。
記憶の蓋を開けて、大して重みもない箱の底に残っていたのは──母を思う気持ちだった。
微かでしかないけれど、希望は確かにそこにあったのだ。
染み出した希望は、やがて涙となって吐き出されていく。
ああ、それだけは否定出来ない。
そして、これだけは否定出来る。
大好きだったお母さんを、自分で殺すような真似などするものか、と!!
「──そうだろ、ベビーちゃん!!!」
「は?」
「え?」
──予期せぬヒトの名前を呼ばれ、ロナークとゲレグは一瞬体を強張らせる。それは、そこにいないはずのヒトの声だった。
だが二人には相違点があったのだ。
「ぐぅっ……!?」
それは痛覚だった。ロナークはその風船のような頭部に激痛を感じ、自身の五十を超える手を以て必死に振り払う。
異物感と激痛は抜けない。内臓をいくつかやられた。それも、失ってはいけない臓器──五つもあった魔臓を三つも。
聞こえてくるのは、低いのに優しさを含んだ聞き心地の良い声。
そして、もう二度と聞こえないはずだった声……!
手に握りしめた木剣は、まさしく彼を象徴する得物──!
「いつになく、良い事を云うじゃないですか。レェザラ」
「カカッ! おっせーんだよ髭ダルマ! ベビーちゃんの名が泣くぜ!?」
「……きみにこう言われるから、あまり死にたくないんですがね」
レェザラが常日頃ベビーちゃんと揶揄うその人、統領が、何事もなく立っていたのだ。
……否、彼が死ぬ前の清潔な風貌はどこにもなくなっていた。
ゲレグが《酒場》に来て直ぐの、色素の薄い髪と髭がやたらと長い時の彼。
まるで老人かとさえ思えてしまうほどの毛量の統領がそこにいた。
「統領……さん?」
「……ゼルネレス。きみのしてしまった事は、決して赦される事ではありません。
だからこそ、きみは生きて罪を償い続けなければいけないのです。
この私と同じように」
それは、どこか憂いを含んだ目。その目はロナークの方へと向き、敵意──否、殺意を込めた目に切り替わった。
「……そう、か。貴様……その風貌、思い出したぞ……!」
──世界には、地域によって、同じ発音でも意味が異なる言葉がある。
その一例が《混沌戦争》。
その由来となった男の名。
神に与えられ、しかし名乗る事を赦されない字。
「天の戸を叩き、神と魔神の死因となった、あまねく卑徒の先導者……!!」
本来の姿は、《神門》の意味を持つバブ=イル。
だがそれは、長い長い時を経て、その本当の姿を失った。
亡き神の、呪いそのものとなってしまったのだ。
ただ一人『神門』を叩き、世を『混沌』に陥れたそのヒト──
「バベル……!!!」
──それは、古き言葉で《混沌》を意味する。
ずっと統領と書いていましたが、彼には名前がありました。
なぜ名乗れないのか。なぜ誰も本来の名を呼ばないのか。
乞うご期待。




