#1 さよならを言おう
かつて、神に至ろうとする男がいた。
男は愚鈍であるが、何より真っ直ぐだった。世の不平等を嘆き、怒っていた。神に至ろうと思ったのは、偏に、神に一言だけ申したいことがあったからだ。それさえ為せれば、この身はどうなっても良いとさえ思っていた。
だが男は、神門にさえ至る手段すらも持たなかった。神はいと高き処におり、決して降ることはない。男は、遥か遠く空を飛ぶ、最も神に近い所にいる鳥を妬んだ。
男は無論、そもそもヒトは鳥の翼を持たぬ。
だがヒトには、翼は無くとも湯水の如き知識があった。
故に、男が取った手段は〝天にさえ届く塔〟を建てる事だった。
男には建築の知識は無い。何が必要で、どこに、どうやって建てるべきなのか……それすらも分からなかった。
だが男の真っ直ぐで嘘偽りの無い性格が功を成し、縁が縁を生み、彼の思惑と計画に賛同する者は大勢集まった。
建築は滞りなく進んでいた。途中、ヒトの所業に怒る神の妨害もあったが、男の熱意はそれさえ凌駕した。
嵐が吹いて来ようと、目盛の基準がちぐはぐであろうと、言葉さえも違うようになろうと。
男が新たに基準を作り、何度も、何度でも抗った。
斯くして、〝塔〟は完成した。
生きたヒトが天の国に至るという赦されざる蛮行。
それは、男にとってただ一つの大切なこと──なぜ己の弟は、幼くして病に伏せなければならなかったのかを、それを神に問いたいというだけの、大いなる蛮行になる……はずだった。
これを機と見た、とある熾天使──否、魔神の率いる反乱軍の天使達は堕天。
さらに地の国の悪魔達も蜂起した。
ただ一人の神による独裁の支配を疎う彼らは、神と争い、抗い、魔神の死を以って、これを屠る事に成功した。……成功してしまったのだ。
後に《神の堕ちた日》と語られるこの事変により、旧い世界は終わりを告げたのである。
しかしながら、それは神による秩序の維持──すなわち、天と地の崩壊も意味していた。
神亡き時代、混沌が世を覆っていた。
天の国は失墜し、獄の国は浮上した。
海は嵩を増し、ヒトの住まう地は、一つの狭い大陸のみとなった。
やがて世には、かつての神に取って代わり、ヒトを、秩序を、世界を支配しようとする者が、己の種や立場を顧みずに鬨の声を上げた。
未だ戦火の絶えぬ、《混沌戦争》の序幕である。
そこで、ようやくヒトは気付いたのだ。
〝塔〟を造り、神に至り──そして神は、そんなヒトに愛想を尽かし、諦めるように死んでいったのだと……。
天の御国は崩れ落ち、
羅生の門は開け放し。
世界は、まさしく終わりを迎えて……
……それでもまだ、ヒトは滅んではいなかった。
本日の天気は曇り。時々、活性化したエーテル。
運が良ければ──あるいは悪ければ、天使と悪魔ら二者間の縄張り争いも見れるだろう。犬猿の仲である彼奴等の戦いぶりは、見る分には迫力満載だ。
闘技場があれば娯楽施設としての利益も考えられただろうが、生憎天使も悪魔もヒトの天敵。
大人しく軍門に下り芸者になるはずもなし、そもそも彼奴等に同心協力の思考もない。こんなものを見に来たがるのは、命知らずに肝試しをしに来た馬鹿か、あるいは自殺前の物見遊山者か。
だが男はそのどちらでもない。無論、愚者の一人に違いはないだろうが。
男はボロの外套を翻し、左腰に降ろした木剣の柄に手を掛けて、木陰からジッと機を伺う。
ここは《ギガスの霊峰》西南の開けた岳陵。静かでのどかで平穏なのが、この地帯の売り文句。山河の流れに沿えば、ヒトが安心して暮らせる唯一の多種族国家《古都ガルガンチュア》へと行き着く。
非活性のエーテルに満ちており、その恩恵を受ける自然は活き活きしていた。
今となっては、青く茂っていたはずの草木は燃え尽き、息吹を吹き返すほどに栄養に溢れていた土は割れている。以前までの水々しさはどこへやら。
その原因こそが──男の眼前に広がる、この天使隊と悪魔隊の戦闘行為によるものだ。
隊、とあるように、双方を合計したとしても、その個体数はそこまで多くない。精々が十体ほどだろうか。
見よ、特に目を引く彼奴等の姿を。
一体は、頭部に天蓋を纏って双眸を覆い、竪琴を抱え、頭上には輪を二重に浮かべる天使。
もう一体は、六本腕に剣、槍、鞭、棍、金槌、数珠を握らせ器用に操る深緋色の悪魔だ。
二重輪を有する天使は、下位天使の中ではそこそこやる者の証だ。
奴が聖句を唱えれば、それは今は亡き神に肖る《祝福》となり、不破の乱光線となって地へ降り注ぐ。
掠っただけでも木々は燃えていき、存在していたはずの物質は消え失せた。一呼吸するだけでも肺が焼かれる熱量に、男はむせ返りそうになるのを我慢する。
惜しむらくは、彼奴が所詮どこまでいっても下位天使でしかないという点だ。
天使は生後間も無く成体へと成長し、能力や才能はその時点で決定付けられる。そして生まれてくる大抵が底辺層の下位だ。
並々ならぬ努力を以ってしても、階級や実力はほとんど覆らないのが彼奴等の残酷な現実。
彼奴は生まれてから死ぬまで、ずっと下っ端のままなのだ。
さて、奴が放った光線の悉くを、深緋色の悪魔は避け続ける。一秒間に放たれる光線の本数は十を軽く越えるというのに、悪魔には傷一つすら付いていない。
黒に近い体色は、それだけ非活性のエーテルを大量に含んでいることの証左。それもそのはず、悪魔はエーテルを溜め込む魔臓を、最低でも三つ有するのだ。
奴が簡素な呪文を唱えれば、元々筋骨隆々だった肉体が更に膨張していく。
振り下ろされた金槌に土が割れ、少しでも鞭に触れた空気は破裂し、大気に含んだ極小のエーテルさえも剣に裂かれる。
惜しむらくは、これだけの力量を示しながら、彼奴の体色には赤色が混ざっている事だ。
悪魔の生後の体色は赤色が基礎色であり、発達するにつれて魔臓も機能して体色に黒色が混じり、さらに《呪法》を使うことで活性化したエーテルの痕──青色のシミが混ざっていくのだ。
唱える呪文が長ければ長いほど──つまり、高度な《呪法》を使うほど、その青色化は加速していく。
つまり体色が赤色のままであるならば、それだけ《呪法》を使っていないという事を意味しており、これは肉体と《呪法》の両立を重んじる悪魔の流儀に反している。低知能の下級悪魔によく見られる傾向だ。
──にも関わらず。
「──! ──、──!!」
「██、██──!!」
やがてそれぞれの《祝福》と《呪法》が混ざり合う。活性化したエーテルが大地を破壊し、森を焼いていく。
下っ端、木っ端でしかない彼奴等でも、使えば、現代のヒトの技術では到達出来ない破壊力を有し、ちょっとした災害足り得る。既にこの岳陵の豊かな自然は見る影もない。
まさに、ここは地獄だ。──それでも、《混沌戦争》の戦火とは比ぶべくもない。
どうやら二者の形相から分かる通り、もはや形振り構ってはいられないようだ。
……男には、天使の寿ぐ祈祷も、悪魔の嘯く甘言も、声にならぬ雄叫びと悲鳴にしか聞こえなかった。
これ以上は看過できない。もはや機を伺っている余裕も猶予も無くなった。木陰から出で、木剣を抜きつつ声を張る。
「双方、収められよ!!
ここが《ギガスの霊峰》と知っての狼藉か!!」
「──!?」
「████!?」
突然の第三者に、両者は驚愕の表情を見せる。男の風貌にもそうだが、『そもそもこの領域にヒトが潜んでいた』事──否、『ヒトが潜んでいた事に気付けなかった』事に。
男はそんな思惑など知らず、警告を続ける。
「これ以上の戦闘は、我々ヒトに対する宣戦布告と見做し、私は貴君らを殲滅せねばならない。
命惜しくば、立ち去られよ」
一瞬にも、永遠にも感ぜられた静寂──。
しかしそれを破ったのは、両者からの敵意ある叫声だった。
「──!!!」
「██!!!」
神と魔神が死んでから、実に二千年が経ち、世界は二分化された。神の死を受け入れた者と、受け入れられなかった者とに、だ。
そして、この世には受け入れられなかった者が大勢いた。生きる指針を失った者は行き詰まり、さぞ息の詰まる思いをした事だろう。……その命を絶った者もいた事だろう。
だが、事実から目を逸らす事は違う。
今の天使も悪魔も、それぞれが信じる神の死から目を逸らし、自らの行いを正当化するだけの、ただの走狗に過ぎない。
まだ我々は負けていない、我々には神がついている……そんな虚しいだけの盲信に縋りながら。
だが悲しいかな。彼奴等には聞く耳はあっても、その足を止める事は出来ないのだ。
どちらか一方が、完全に滅ぶまで……!!
「……なぜそうまでして争いを望むのだ、貴君らは」
この戦争に意味がない事は、双方も理解している。
だが彼らは、それでも戦う事を止められない。
それは、己の神の敗北を意味する事だから。
……さあ、愛刀たる木剣を構えよ。
「──混沌に世開けの在らんことを」
いつものように警句を唱え。
いつ終わるやも知れぬ戦いに、身を投じるのだ。
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