3色目
私のお母さんは
とっても綺麗で
とっても優しくて
とっても…寂しい人なの。
「ま、まって!お姉ちゃん!」
小さな小さなたくさんの手が、小さなわたしに向かって伸ばされている。
《私はここ、どこにも行かないよ》
思う言葉は声にならず、見下ろすわたしはみんなの手から逃げるように遠ざかる。
《どうして…》
遠ざかるわたしに、必死に追いかけるみんな。
やがて一人が諦め、その場に崩れ泣いてしまった。
それを見てみんな足を止め、その子を慰め包み込む。
「待ってるよお姉ちゃん…。ぼくたちはいつまでもここで…いつまでも…いつか…」
ふ、と目が覚める。
時計を見ればまだ夜中の3時頃。船が到着するにはまだまだ時間がある。
嫌な夢を見ていた気がしたが、冷や汗と頬の涙だけで、内容はまったく思い出せない。
ただただ、寂しく悲しい夢だった気がする。
《心まで凍ってしまっているから、いつもあんな顔なのよ》
と、よく言われるが、心が凍っていたら悲しいやら寂しいやらの感情も抱かないのではないか?と、私は思っている。
そんなことを思いながら、少しだけ圧迫感のあるお腹の辺りを覗けば、白い布団の中で更に白く、淡く光っているようにすら感じる程の、白い小さな丸いもの。
目には涙を浮かべているように見え、嫌な夢でも見ているのかと、抱き寄せ、目元を拭う。
「母様……わたし…わたしはここよ…」
寝言が聞こえた、本当の母の夢でも見ているのだろうか。
少しだけ悲しい心を押し殺し、優しく優しく子を愛でる。
この子は、元々は捨て子だ。
数ヵ月前、ギルドの裏庭の隅の、見たことのない蕾の根本にこの子たちが置かれていた。
なぜか私は放っておけず、なぜか誰にも頼らずひっそりと、自室で世話をしていた。
自己満足かもしれないが、子どもができない身体の私には、とても幸せな時間だった。
髪の短いその子と、両端だけ長いその子は、身体の大きさこそそこまで変わらないものの、日々色んな言葉を覚え、たくさんの仕草や表情をしてくれるようになった。
昨日、一人が消えていた。
文字通り消えていた。
可愛く仕立てたお揃いの、髪色に合わせた黒い服を残したまま。なにも、何もなくなっていたのだ。
私は悲しみに暮れた。
だが、悲しむまもなく残った子も、その日突然こう言った。
「これからかえってくる、小さなつよいひとといっしょにお空に行きたい」
いつもとは違う、しっかりとした言葉、顔つき。
この子はその為に、私のところへ来たのだと、そう思えて仕方なかった。
歳もわからぬ小さな身体で、あなたは何をしようとしているの。あの子も、そういう子だもの。あの子のところへ行きたいと言うことは、きっとなにか、特別なことが始まるんだわ。
親ならば、子の主張は尊敬してあげねば。
親の役目は、何もできぬうちの保護と、正しい道への誘導よ。
二つの気持ちの葛藤は、自分自身では決着をつけられず、最終的には、引き合わせた時に、この子たちの判断を見守ろうと誓った。
そんな想いに耽っていると、腕の中から話しかけられた。
「ぷるー?…なかないで、よしよし」
小さな手がわたしの頬を撫でた。
よーしよーしと、眠いような、幸せなような顔で笑いかけてくれる。
思わず涙が溢れそうになるが、今はそっと心にしまおう。
短い間だったが、私を親にしてくれたこの子には、感謝してもしきれない。この子の望みだからこそ、笑顔で行って帰ってきて欲しい。
「なんでもないわ。少し、悲しい夢を見たの」
そういいながら、この子の頭を撫でる。
さらさらなその銀髪は、撫でたら消えてなくなってしまいそうな程さら、さらと流れていく。
「ぷるー、わたしいなくなるの、かなしい?」
他人の感情に敏く、他人を想いやれる優しい優しい自慢のこの子は、心配そうな顔で私の頬を撫でる。
私は大丈夫よ。と声をかけ、抱き寄せたまま立ち上がり、ふと大きな窓辺に吸い寄せられるように近付く。
外は-250℃の世界。
この耐熱ガラスの二重の大窓でさえ、安易に素手で触れれば肌を離してくれない。
この星は、太陽から一番遠く、光さえ届きにくい。
無論、熱など届くわけもなく、私のような者か、他の星からの追放者、船の故障からの移住者等、訳ありの者ばかりが住む、最端の星。
その一角に猛々しく立つ私のギルドの一番奥。
私のギルド長としての、執務室の椅子の下。
一部だけガラスでできた床の秘密の扉を開けて入った先、私の唯一くつろげる場所。
その部屋の一辺、大きな窓の外に、私が温度管理をし、外星から種を取り寄せ、時間をかけて育て上げた楽園。
私だけの庭がそこにある。
「貴女はね、この庭のあの花の所にいたのよ」
私は何を思ったのか、庭の角に生えた大きな蕾を指しながら、この子に生い立ちを話し始めた。
今まで誰にも話したことのない、この子たちとの出会いを。
「この星で一番暖かい日に、庭の手入れをしに私自らこの庭に立ち入っていたの。貴女はその日に見つけたわ」
そう言って庭に出て、件の花の前へ。
-200℃だろうが、私には関係のない事。私の周りだけ-1℃まで上げ、寒さを和らげる。さらに、この星の生物から作った服を着ていれば、-1℃など、すこし暑いくらい。
この花は、地球という星で見た、虹色の花畑からの帰り道に、偶然ポケットに入っていた種を植えたものだ。
もう10年以上前に植えたこの花は、ちょうど4年前に目を出し、3年かけて蕾になり、そこから1年変わらない。
「この花は、あなたと違ってすくすく育ったわね。まるで、あなたに変わって成長しているみたいだったわ」
近寄って触れてみる。
すると、腕の中から手を伸ばし、その子も花に触れる。
「さいて」
そっと腕の中から発せられたその言葉を合図に、その花は大きく大きく蕾を開く。
中からは、白い光が零れ、ポタポタと地面を濡らす。
濡れた場所からは、小さなその花が咲き、裏庭は一面その花に埋め尽くされてしまった。
「これは…!」
幻想的な光景に私は言葉を失い、力の抜けた腕から、その子がするっと抜け出す。
あっ、と声をあげる間もなく、その子は大きな花の中へ吸い込まれていった。
白いその子を吸い込んだその花は、花を閉じ、蕾を垂れる。
垂れた蕾は、裏庭中に咲いた花から光を集め、より一層蕾を輝かせる。
その気になればこの花を壊してあの子を救うこと等容易いはずなのだが、花からはむしろ楽しそうなあの子の気持ちが伝わってくるようで、私はそこから動けずに、ただ見守ることだけしかできなかった。
光の収まった頃には、裏庭中の花は枯れ消え、大きな蕾だけが、淡く光を溢すのみになっていた。
そっ、と触れてみると少し温かく、無性に母の温もりを思い出してしまう様だった。
暖かい…。そう思うと途端に瞼が落ち、蕾にもたれ掛かり、母との思い出を思い出していた。
いつまでそうしていただろう。
いつの間にか空が薄暗く、星が輝き始めようとしていた。
ドクン
蕾が揺れた。
私は名残惜しく、そうっと身体を離す。
触れていてはいけない気がして。でもまだ少し触れていたい気もして。あの子が出てくる気がして。
「ぷるーは、わたしのおかあさんよ…」
なにかが蕾の中から聞こえた。
何かはわからなかったが、私の心は幸せで満ちた気がした。
「咲いて」
日が沈みきった直後、まだ空の明るい夜と昼の境目。
その蕾は花を開き、半透明の白い花びらは、明るい星空を反射する。まるで、元々そういう花びらかの模様かの様に。
中から出てきたその子は、全ての色を瞳に宿し、真っ白な 羽をもった、空想上の妖精のような姿だった。
「ぷるー、わたしはこのせかいを消したくないの。そのために、わたしは力を取り戻したわ。でも、これはわたしとぷるーの内緒」
ふわっ、と私の肩へ座りそんなことを言う。
世界を消したくない…ちからを取り戻す…。混乱する私をよそに、キラは私に微笑みかけてくる。
「ここまでお世話をしてくれてありがとう。助かったわ。貴女をえらんでせいかいね」
ふふっ、と手を口に当てて笑うキラ。
その仕草と口調が子どもっぽく、でも話の内容は大人びていて、そのちぐはぐさに、少しだけ頬が緩む。
「今はわからなくていいわ。いつか、わたしがみんなにおはなしするから。貴女はその時わかればいいの…」
ぐら、っとキラの身体が揺れる。
羽は薄まり、目も元の銀色へ戻ろうとしている。
「時間切れね…他のみんながいれば、もっと長いのだけれど…」
そのまま肩から崩れ落ちるキラを、とっさに抱きあげる。
抱えたその身体は冷えきっており、急いでベッドへと戻った。
戻った時にはもう、羽は無く、光を帯びていた髪も元の白へ。瞳は閉じてしまっていてわからないが、もとに戻っているのだろう。
ふと、窓のそとを見れば、あの花は枯れ、空もいつもの暗い夜空へと移り変わっているのだった。
「あの花は、貴女の一部だったのね…」
まだ船の到着には時間がある。
もう少しこの幸せを噛み締めていようと、私はキラの寝顔を見ながらベッドに入るのだった。