【0日目:夕~夜】粗末な寝床と安っぽいおセンチ
・・・
砂浜に戻ると、いくらかの人が集っていた。
有坂が小川の存在を示すと揃って顔が華やいだ。
もう太陽が沈もうとしている。「行くなら今のうちだ」と体力のある、水を貯めることができる容器を持った数人を有坂が率いる。
「そろそろ拠点とか決めたいよね。」
金子が言う。
「…っスね」
本格的にこの島で生きていくのか。
「あ、あの・・・!」
黒髪の女性が声をかけてきた。泣きやんだようだが顔色が悪い。
「萩野谷さんが、あ、えっと…あの方です。萩野谷康さん。が、一緒に波打ち際を散策しよう、と声をかけてくださって。色々集めたんですよ。」
あの方、と示された先には小太りの中年男性がいた。まだ散策しているのか流木を手に持っている。
「流木、結構いい形の物がある!網とかも使えそうかも!」
金子が物色している。
ロングヘアを揺らして、女性が近づいてきた。
「萩野谷さんと、火を起こそうとしたんですよ。私たちも…。でも着きませんでした。凄いですねそちらは。」
「いやあ・・・」
照れてしまった。俺は何もしていなかったのに。
黒曜石のような濡れた瞳に見つめられると何も言えなくなる。綺麗な女性だ。
「私は 沢田夏未サワダナツミです。…あなたは?」
「あ…俺は志太白李、っす…」
敬語が使えないのを今ほど恥ずかしいと思ったことはない。綺麗な女性。綺麗な名前。綺麗な自己紹介。
“綺麗”の暴力に気圧されて萎縮してしまう。
「ハクリさん…いい響き。ねえ、私、ずっとベッドにいたからお友達がいないの。仲良くしていただけませんか。って変ですよねいきなり…。此処へ放り出されてからあんなに悲しかったのに、今は気持ちが凪いでいるんです。今まで死んだように生きてきたから、此処で死ぬのも同じことだって気づいたんです。だから・・・どうせ死ぬなら誰かと一緒がいいなって、思ったんです。」
「志太!手伝ってくれ!」
有坂の声にハッとする。沢田と俺のいる空間だけ、時間が止まっていたような、変な心地だ。
「…呼ばれたから。」
沢田の「お友達になって」は嬉しいお誘いだが、その後に続く話をどこかぼんやり聞いていた。
容姿のわりに少し子供っぽい印象に気を取られてしまっていたみたいだ。
沢田は何か言いたそうな顔をしていたが、手を振って俺の後ろ姿を見つめていた。
「そっちはそっちでやることでもあったんだろ。悪いな。」
有坂が落ち葉を抱えている。
「今から簡易シェルターを作るのは無理だ。めちゃめちゃ粗末な寝床を作ろうや。」
「リターフォール量結構あるのよねー。やっぱり緯度は日本と同じか、それ以南かな?」
金子がなにやら腕を組んでつぶやいている。
「寝床ってこれを敷くんスか?」
「めちゃめちゃ粗末だろ?」
「めちゃめちゃ粗末っスね。」
有坂は木の幹に添えるように落ち葉を敷いていく。
海岸と森の境目の木。そこに海側に身体が来るようにする。
俺たちも有坂に倣う。もうヘトヘトだ。そのまま寝てしまいたかった。
有坂は他の人たちにも声をかけているようだ。
「もっといい寝床の作り方、あるのになー。でももう身体が動かないのよね…」
金子に同感。自室のあの自分の匂いが染みついた布団。綿の飛び出した布団が恋しい。こんなんじゃ眠れる気がしない。
「はあ、ダメだった。全員に声かけようとしたがそもそもの人数を把握してなかった。」
有坂が戻ってくる。そのまま幹に身体を預けて空を睨む。
他の人はどこで寝るのか。自分も今日、ここに集められた無職たちの顔を思い返す。
目の細い、眉の薄い金髪の女。彼女は俺たちを煽ったあとフラリと姿を消した。誰も見ていないと有坂が教えてくれた。
有坂泰典。今は砂浜にも焚火を作っている。皆が最初に倒れていた場所。そこを拠点とするのか?
大きな背中。なんとなく頼りにしてしまう。ここで生きていけると…そう、思わせてくれる。
金子瑠依。寝ている。早い。黒髪黒縁メガネ黒いタートルネック。かなり暑そうだが、それをおくびにも出さない。ただ体力は俺と同等くらいか。植物が好きなのだろうかこの島に生えている草と同じくらい生き生きとしている。彼女の力強さは正直羨ましい。
萩野谷康。取り乱し、泣いていた沢田に声をかけた中年の男。
沢田夏未。彼女は今…さすがに周囲が暗くなっていて辺りを伺えない。どこにいるのだろう。長らくベッドにいた、ということは病気だったのだろうか。だとすれば顔色の悪さも心配になるくらいの細さにも納得がいく。彼女の声が耳に木霊する。お友達?になれるのだろうか…
それ以外の人達も、一様に暗く沈んだ面持ちだった。陰険で、懐疑的な眼差し。当然だ。
俺もそうだった。
無職。これから先の展望を一切描いていない、描いたとしても実現には至ってない、そんな人間。
国すら、身内すら見捨てた人間が今更、場所を変えたところで変わらない。このまま死を待つだけ。それでいいと思っていた。
…でも。
有坂。金子。光に満ちた人がいるなんて。
生きる。脱出する。そんなバカげたことを、と言えなかったのは自分には彼らが輝いてみえたからだった。
・・・日が落ちたら寝る。そんな習慣はとうの昔に真逆化してしまっていた。当然、寝付けない。
しかしこうも黙って何もしていない時間というのは思考が鋭敏化してしまうのだな。今までは何も考えないようにPCとスマホに向かっていたが、ここではそうもいかない。
自分について。他人について。色々見えてきてそれをまとめる時間ができてしまう。
それに…先ほどからガサゴソと背後から音が聞こえるのが耳につく。眠れない原因はその音が気になっていたせいでもあった。
地面に映る紅い光に伸びる黒い影。俺は身体を起こし、背後の森を振り返ると。
「・・・なにしてんスか。」
有坂が低木を伐っていた。
「いや、眠れなくてよ。身体動かしてンだ。」
寝ろ、63歳。
金子も音で目を覚ましたのか、俺の横で目をこすっている気配がする。
「んー…それ、松明?」
「そうだ。松脂を利用した。」
灯りの正体は松明か。有坂は「低木はなにか別の機会で使う」と言ったきり、別の作業に取り掛かる。
そこそこの深さの穴の中に、ビニール袋を伸して両端を石で固定する。…穴!?しかも数か所ある。
「そのビニール袋も漂着物なの?」
金子が訊く。いやいや疑問点別にあるだろ。
「穴っていつ掘ったんスか?」
俺がセンチになっている間は低木を鉈で刈っている音しか聞こえなかったハズ。
「このレジ袋はツナギに入ってたヤツ。何かと入用になるんだよ。…穴はこの島にきて、あの金髪のネーちゃんの話聞いてからすぐだ。俺の持ち物を確認したときにすぐ、必要になると思ったんだ。けどよ、やりたいことが色々あってそうこうしているうちに、忘れてたんよ。」
やりたいことの一つがカニ鍋だったらしい。
「やりたいこと、山ほどあんのに上手くいかなかったし全部出来なかったなァ。歳かね。頭ん中の計画じゃ、経常的に水を得られる装置をつくって簡易シェルターも完成させてたのにな。現実はそううまい事いかないもんだな。」
そう言いながらビニール袋を入れた穴にさらに大きめのシートを被せる。松明は俺が預かっているが、目が溶けそうなほど熱い。
「これって、結露で水を得る…みたいなコト?かしら。」
「たぶんそうだ。」
認識がフワッとしている。命が懸かっていることをフワッとした知識で乗り切ろうとし、実践に移せるところが凄いな。
他の穴には鍋を入れた。これなら深さもあって水を貯められそうだ。穴の上に被せたシートの中央を少したわませて、ちょうど鍋に入るように滴下させる。
「しまった。他にもやりたいことができた。」
俺が掲げる松明に照らされた有坂の顔には疲労が滲んでいた。もう寝てくれ。
最初にビニール袋を入れた穴に戻るとなんと上に被せたシートも中の袋も取り除いてしまう。
そのまま有坂は、裸になった穴には目もくれずにビニール袋とシートを持ったまま砂浜へと駆けていく。
「松明係ー!来てくれ!」
俺への認識もフワッとしている。
松明の台としては頼りない、疲労でブルブルと震える手足をなんとか動かして有坂の声のする方向へ進む。
屈んでいる有坂の背に近づくと、砂浜に穴を掘っている様子だった。穴、というか円錐形の浅い窪みだ。サラサラの砂を手を使って掻き分けている。
例によってツナギからハサミを取り出し、ビニール袋を袋ではない形へ切り開いていく。
アジの開きみたいになった、少し面積を広げたその元ビニール袋を窪みに沿わせる。
続いて先ほど穴を覆うのに使用したシートも、大きめの窪みに沿わせるように敷いた。
「雨とかを貯めるんスか。」
水を得る方法のなかで一番最初に思い浮かんだものだ。
「そうだ。…ふう。寝るか。」
急にスイッチが切れたようだ。寝てくれ。
俺たちがめちゃくちゃ粗末な寝床へ戻ると、木の根元に広げた落ち葉の中心にうずくまるようにして眠る金子の姿があった。先に寝ていたのか。この人は急に現れたりいなくなったりする。
「はぁーあ、俺も寝るか。」
有坂も倒れこむように身体を横たえた。
俺は今まで感じたことのない倦怠感に身体を支配されたまま、しかし到底眠ることができないという予感でいた。脳の一部が異様に活性化しているようだ。引きこもりが通常経験することのない肉体労働。それによって身体は疲れきっている、のに眠れない。火を間近でみたせいだろうか。
寝床に燃え移らないよう少し離れた地面に挿した松明。火の勢いは若干衰えているが未だメラメラと生きている。
火なんて見たことが無かった。コンロはIHだし焚火やキャンプなんてものは生まれてこの方やったことがない。
熱量。揺らめき。…「生きている」と思った。そして「美しい」とも思った。
生きているものは皆すべからく美しいんだ。「綺麗」とは違う、有坂や金子に感じるもの。
…俺は?傍からみた俺は「生きている」のだろうか。
医学的な生死ではない、かなり抽象的で観念的なもの。
今までの俺なら、考えるだけ無駄だと一笑に付していたであろうよくわからないセンチメンタル。
疲れが限界まで溜まるとこんな思考が押し寄せてくるのだな。
不思議と心地よい内省を受け入れ始めた自分と斜に構えたままの自分が相克する様を眺め続けたのちにようやく意識を手放した。
【0日目:夕~夜】了