神を殺す剣を持った司祭
「感謝なさい、美しき世界があるのは我らが神の思し召しによるものなのだから」
司教が信徒の前で演説するのを司教の後ろで祈りを捧げながら聞いていた。
トールトーラ様、我らを導く唯一の女神。
司教はさらに熱を乗せて、説いている。私はどこか晴々とした気持ちで言葉を聞いていた。
数刻をかけた演説が終えると早足に孤児院へと向かう。美しい石の名を貰ったトパーズ孤児院。
私の大切な兄弟達と先生が住まう場所。
いや、だったで締めるべきだろうか。
変わらずにもぬけの殻になったままの孤児院の一室に入り一冊の本を広げる。
─────聖書と言われるそれは凡そこんな場所には置かれるはずのないもので。しかも原本と来たら神殿の奥の更に奥に祀られるものだろう。
「“はじめましてと神は降り立った”」
最初の一文を読み始めると聖書は淡く光る。日が落ち暗くなる部屋にその灯りだけがぼやぁと浮かび上がった。
《はじめまして、と私は言った》
そして言葉が返され力を込めないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「“神は女神であった”」
《そう、私は男神ではなく女神であった》
聖書の光がさらに強まる。
あのくだらない救いのない演説をしていた司教はいつこの事実を伝えられるのだろう。
「“女神は言った”」
《私は言った》
「“あなた達の命を持って世界に祝福を与えましょうと”」
《世界を壊した種族である人間の命を対価に世界を生き返らせると》
憎しみ、恨み、悲しみ、──後悔。私が聖職者にならなければ奪われなかったのではないかと何度後悔し涙を流し、血を流したか。
「“事実として、世界に祝福が与えられ、まるで神の世界に繋がったようであった”」
《数多の命を世界に与え、再び古き世界を取り戻した》
聖書から溢れる光がだんだんと人の形をとる。力を入れすぎて顎からはギシギシと音が鳴ったが、それでも言葉を紡いだ。
「“女神は名乗った”」
《私は名乗った、ヒトに理解できる名に置き換えて》
「“偉大なる女神の名はトールトーラ”」
《正しくは であったが、彼らは理解することが出来なかった。》
人の形がだんだんとハッキリしていく。美しくとも言えるその光景がただ憎くて。
「“女神は我らに救いをもたらした”」
《私は定期的に干渉することにした》
「“美しき、唯一の女神”」
《もっと他に神はいたけれどそれが私の仕事だった》
やがて光が収まり幼い褐色肌の少女が光の中から生まれ、少女は私を空に浮いたまま見下ろす。
「“女神は祝福をくださる”」
《対価として命が消える》
小さな少女の姿で出てきたのは私への当てつけか。憎々しい思いのままに懐から出した小さな剣は聖書から溢れた光とよく似たものを帯びている。
《懐かしい、恐れぬか》
「──あなたを殺せる唯一のものだからあなたから貰った時離さないと決めていた」
女神を殺す為に。
十年前のあの日、女神による祝福が世界に施され、飢饉の年が豊作の年に変わった日。
世界にとっては小さなこの孤児院の私を除いた全ての人の命が奪われた。他ならぬ祝福を授けたこの女神によって。
《いままで、その想いを持ったものも少なからず居たが大抵はすぐに諦め、できたとしても信仰をやめる程度だった》
「でしょうね、私も何度この道を諦めようと思ったか」
手に握る剣を見下ろす。淡い光をともすそれは間違いなくこの女神が救いとして私に渡した。
自害するならばよりよい来世を生きれるように。身を守るならばけして折れぬ剣として。
憎しみが捨てられぬのであれば───。
《神をも殺せるように》
心の中を覗いて女神は言葉を繋げる。
どうして、どうしてこのヒトは人の心が覗けるというのに、命を容易く奪えるのだろうか。
《救いはあってはならない》
「どういうことですか」
《人は人の生きる世があり、私はこれを外れたものであり、本来救う事はゆるされぬ》
ふわふわとゆっくりと下りて床に足をつけた女神は私を見上げて、愛しげに目を細める。
《だが人は神に救いを求める、それは間違いではなく、人の理でもあるが》
《神が力を振るうならその対価は小さい事が あってはならない、大きくてもならない、そのことを人が理解してはならない 》
それもまた理なのだと女神は剣を持つ私の手を優しく包む。
《対価のない救いは人を堕落させる》
「そんなことはない、人はそれぞれの生活の中でも祈りを捧げている! 献身的に清く正しくあろうといきている!」
命を奪わなくともほかに落とし所があったはずなのだ。たしかに対価のない救いは価値が低くなり、手を出しやすくする…だが。
「あなたは私の心を見ているだろう!?」
《ああ、見ている、聞いている。剣をさずけた時から──私を殺そうと努力しているお前を見てきた》
聖職者になることを目指した。神に祈りをささげ、毎日その祈りは丁寧に行うことを心がけ、飢饉の年に豊作になるようにと祈った。
─────それをまさか私の前に降臨し、叶えるために私の周りにいた全ての人間の命を奪うなんて、きっと私に教えた先生も思っていなかっただろう。
「憎い存在を崇め奉り、伝道する。それを繰り返し司祭にまでなり、やっと聖書の原本を盗み出せた」
聖書の写は多くでまわっているが、原本は読み上げると神が降臨し、救いをもたらすと伝わっている。
だからこそこの本が必要だった。そして神を殺す場所はこの場所ではないとダメだと決めていた。
「私はあなたを殺す」
《あぁ、だから私はお前の前にやってきた───神殺しの資格あるものよ、その剣で私の体を貫けばその望みは叶うだろう》
剣を持った手をゆっくりと女神が自らの胸へと誘導させ微笑む。
「…怖くないのか? もしくは神にそんな感情いらないのか?」
《怖いという感情はしっているが必要ないのも事実、さぁ》
決断をしろと小さな女神は俺を急かす。もとより、そのつもりであった。
消えてはくれない記憶が俺を責めたてた。
光となり消えていく大切だった人々、嫌いな人も、喧嘩して気まずい友も。
────母と勝手に心の中で慕っていた先生も。
すべてが光となり掻き消えた。
その様が悔しいほど美しく、また憎らしく、自分の存在を恨んだ。
「あなたが死んだら世界はどうなる?」
《元々神とはそういうものだ、生き物が、世界が必要だとしたなら生まれ、必要としないならば消える》
そして本来なら神を目にするものはおらず、消えたことにも気づかない。
「私は間違えていると思うか」
《それは見方によって変わる、善も悪も全ては表裏一体なのだから、気に病むことも必要ない》
お前にとっての正義なら正しいのだろう。
────私は女神の手を解き剣を収める。
「もし、私がこの剣と聖書を持ったまま消えたら教会は私を探すだろうか」
《…どういうことだ、理解できない、なぜ剣を納めた…間違いなくお前は私を殺したいと思っている、ならなぜ》
なぜを繰り返す少女のような女神。どこかその姿は焦っているようで。
「死にたかったのか、神が」
何処か腑に落ちて。肩の力を抜く。なんだ。神もなかなかに堕落しているじゃないか。
《お前が殺さねば…》
──────私の償いはいつやってくるのだ。
「トールトーラ」
《…》
「私と旅に出よう、この本を盗んだ時点でもう居場所など私にはない」
だから旅に出よう。答えが見つからないんだ。神に祈った昔の記憶が。友と先生と遊ぶように神に問いかけた時の楽しさが。嬉しいことがあって祈った時の清々しさが。
十年前、この孤児院は終わりかけていたのだ元々。飢饉による死が疫病をもたらし、風がそれを運び、緩やかな死がこの孤児院にもやってきて。だから私は祈ったのだ。死にたくなくて。
『トールトーラ様、お願いですみんなを救ってください…みんなが苦しそうなんです、僕も苦しいんです…神様…見えているんでしょ…神様っ』
光となり消えるみんなの顔は安らかだった。苦しむことなくこの世界から解き放たれた。置いてかれた私だけがそれを苦しんで恨んだ。確かにこの神は私の大切な人を殺した。殺して世界をとった。
私は世界じゃなく見える範囲にいる、私の大切な人を救って欲しかったのに。
心の中を覗く女神が目を見開き私を凝視する。
「本当にあなたを殺して苦しみから解放された私の大切な人が喜ぶのか、分からない…だってあなたは神だから」
《理解できない》
「する必要も無い、私は常にあなたのそばに居る…常にあなたを見てあなたが間違いだと確信したならばその時は今回のように躊躇することなく殺すことにします」
《つねに、、?》
まるで舌っ足らずの本当の子供のように女神は惚けて何故か頬を赤らめた。
「…なんですかその顔」
《お、お前が変な事言うからだろう!?》
「私のせいなんですかそれ」
女神と旅に出る。
許すか許さないか。もう手が届くところに仇がいる。そして救ってくれたヒトでもある。
正しさがわからずに先延ばしにして、臆病だと笑われるかもしれない。だけどいいのだろう。
私は英雄でも魔王でもなく。
ただの人なのだから。
神を憎む司祭の話がかきたかった