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メッセージ  作者: 柿崎スズ
9/20

World's Magic

ここにいてもすることがないので、とりあえずそこらへんから出ている水上バス、イタリア語でヴァポレットに乗ることにした(ゴンドラは料金がめちゃくちゃ高くて諦めた)。




チケットを買って乗ってみたはいいが、寒い。非常に寒い。ヴァポレットは3月の海を、風を切って水飛沫をあげながら走る。室内は人で混み合っているから入れず、一体どこを走っているかも分からない。


身体が凍えはじめた頃、「Murano」と付く停留所に到着した。そういえば、ガイドブックにムラーノ島はベネチアングラスで有名な島だと書いてあった。






その停留所でムラーノ島に降りたものの、そこの雰囲気はわたしにあまり合わないことが分かったので、長居せず島をすぐに出た。


わたしの経験したムラーノ島は、ベネチアングラスの高級店が並ぶハイソサエティだった。観光客ばかりで地元民の姿が見えず、その観光客もどこか上品な上流社会の人々だった。わたしだけその場所に馴染んでいない気がして、居心地が悪かった。


再び寒い思いをしてサンマルコ広場に戻り、街中をぶらぶらする。洋菓子屋のカラフルなメレンゲ、雑貨屋の個性的な照明、本屋のおしゃれなポスター、洋服店のマネキンなどを目で楽しんでいると、ある一軒の店の前で足が止まる。クッションやテーブルクロスなど、赤と白のチェック柄を基調とした、可愛らしく入りやすい雰囲気のリストランテだった。


今は午後の1時。今朝はビスケットひとかけらしか食べていないので、おなかも鳴った。






現在のわたしは、暖房の効いた店内で、本場のボロネーゼスパゲティを食し、至福のため息をついている。


周りではイタリア語が飛び交っていて、もちろん日本語や英語は聞こえなく、安心する。地元の人はみな夫婦やカップル、友人同士でここを訪れ、わたし以外におひとりさまの姿はない。


この店のメニューには英語の表記はなく、すべてイタリア語だったので、唯一読むことのできた「Spaghetti Bolognese」をウェイトレスに注文した。


ソースの風味もパスタの茹で加減も挽肉の塩気もバッチリで、フォークで巻いてひとくち口に含むごとに、うむ、うまい。と唸らせる味。




まずいものはまずいと言う。おいしいものはおいしいと賞賛する。


あるおばあちゃんの食に対する信念だ。彼女はドロドロのミキサー食しか食べることができないが、食に対しては人一倍貪欲だった。


ミキサー食は、例えどんな味がしたとしても、口に入れれば誰もが「まずい」と思うだろう。食べても食感がまったくないというのが人にまずいと思わせるし、料理名を聞かないと一体何を食べているのかさえ分からない見た目だ。ミキサー食の白米を食べさせると、彼女は「これは糊だ」と言う。


「おいしいもの食べさせてると思うと嬉しいし、まずいもの食べさせてると思うと悲しいな〜」と言ってみても、「まずいものはまずい」と強情な彼女。そして食後に必ず「もっとうまいもん持ってこーい!」とのたまう。




その日も、3時のおやつの時間に彼女の居室を訪問した。とろみをつけたレモンティーを飲ませると、「おいしくはないけどまあ食べられるな」と彼女。


スプーンでもうひと匙すくってまた飲ませる。「これ、わたしが淹れたんだよ」と言いながら。


すると、寝たきりで普段あまり表情を変えない彼女が、目をまんまるに見開いて驚いた。


ごくんと飲みこむと、「すごくおいしいなあ!」と先ほどの発言と一転して一言。さらに「あんた、淹れるの上手だね」と何やら慌てながら付け足してくれた。




おいしいものはおいしいと言う。まずいものはまずいと言う。


いつも自分のこころに素直な彼女なのに。






ブロンドの髪をしたウェイトレスが、わたしの皿を下げる。「すごくおいしかったです」と率直に感想を伝えると、彼女は店の雰囲気に合った可愛らしい笑みを返してくれた。





おなかを満たして再びまちを散歩していると、偶然にゴンドラ乗り場を発見した。しかも、料金がたったの2ユーロと書いてある。これは乗るしかないと思い、ボーダーの服を着たゴンドリエに声をかけた。


「こんにちは。ゴンドラに乗りたいのですが」


「オーケー。ちょっとここで待っていて」


桟橋に並んで待機すること五分弱。


向こう岸からゴンドラが到着した。列が動く。舟は波に揺られ動いていて、桟橋から舟へ足を踏み出すときに少し緊張する。


「お嬢さん、気をつけてね」


ゴンドリエが腕を支えて安全に乗れるようにエスコートしてくれる。これだけで萌える。


他の三人の客と同じように、板のうえに腰かける。すぐにゴンドラは出発した。


同い年くらいのゴンドリエが、櫂で舟を漕いでいく。このゴンドラは観光客用というよりは、運河を渡るというただの交通手段として機能している感じだった。スーパーの帰りに乗っている中年女性などの地元民に混じっていると、わたしもこの街に馴染めているような気がしてくる。


舟の旅はたった三分弱で終わり、すぐ向こう岸に着いてしまった。もっとゴンドラの上から見る街並みを堪能したくなり、わたしはこの運河を往復することにした。




「また乗るの?」


再び列に並んでいると、先ほどのゴンドリエに笑われてしまった。


彼の腕を借りて乗せてもらい、端のほうに座ると舟が動きだす。見上げると、ベネチアの空は東京より広く感じ、薄く雲がかかっていいる。寒空の下、揺れる舟にスッと立ち、慣れた手つきで舟を操るゴンドリエの姿は格好いい。見ていると目が合った。


「乗ってて楽しい?」


地元の人にとっては、ゴンドラは毎日の単なる交通手段かもしれない。


「もちろん」


「それはよかったね。また君を乗せたのは、君が好きだからだよ」


さすがイタリア人。からかわれている感があるが、冗談であっても〝Because I like you 〟と言われれば素直にうれしい。


「わたしもあなたのこと好きです」


日々、人々を対岸へと運ぶために大運河を走っているゴンドラの上でそう言うと、彼は快活な笑顔を見せた。





合計たった五分ほどの舟旅だったが満足したわたしは、スーパーマーケットでボディーソープや歯磨き粉など必需品を買い、夕食としてマクドナルドで一番安いハンバーガーを調達してからホテルに戻った。


部屋でひとりハンバーガーにかぶりつきながら、開いた窓の外から聞こえる夕暮れ時の喧騒に耳をすます(昨日わたしがホテルの場所を尋ねたバーがすごく盛りあがっているらしい)。


孤独だけど、すべてが自由な旅だった。

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