センチメンタル・ジャーニー
物音で目が覚めると、どうやらわたしが寝ているこの部屋は自分の部屋ではないみたい。
ここはベネチアのホテルだ。イタリアだ!
起き上がり、まだやや寝ぼけた頭で部屋を見渡すと不思議な感じがした。
ブラウンの髪をひとつ結びにしているイタリア人らしき女の子が、ベネチアの街に繰り出す準備をしているようで、朝から部屋の中を動き回っている。
もうひとつのベッドはまだ膨らみがあり、栗毛が覗いていた。
わたしの手の爪は、少し剥がれたところはあるが、イタリアの国旗の色に染まっている。
夜のあいだに、イタリアに来てまでも金縛りにあった。金縛りは体は寝ている状態なのに頭が突然覚醒してしまうと起こるらしい。日本でも最近になってたびたび金縛りにあっていた。まだぐっすりと安眠できないほどに精神状態は良くないのだ、きっと。
時間を確認しようとiPhoneを見ると、今は9時半で、ラインと着信履歴が残っていた。
どちらもキミちゃんだ。
ラインを読むと、「スズ、具合わるいの?大丈夫?お見舞いにいこうか?」とあった。
施設には健康診断のときに精神病を告白しており、現場で最も立場が上の係長はそのことを知っているので、彼女には突然病状が悪化したためしばらく休ませてほしいと伝えてあるが、他のスタッフには正確な欠勤理由を知らせていないのだと思う。
心配してくれているのがうれしかったが、返事を打つ気にはなれず、一旦保留にすることにした。
キミちゃんにも、統合失調症のことをまだ言えていない。距離を置かれる気がして、どうしても怖くて。
シャワーを浴びたいが、シャンプーなどを持ってきていない。ベッドを出てバスルームに探しにいくが、置いていなかったので、メイク中の同室のイタリア女子に「ここではシャンプーとボディーソープを借りれる?」と聞く。彼女は「あっちのバスルームに置いてあるよ」と教えてくれた。
廊下を歩いていき「あっちのバスルーム」のドアを開けようとしたとき、ちょうど向こうからドアが開いて、腰にバスタオルを巻いた太っちょの白人男性が出てきた。上半身は裸だ。
「Good morning.」
彼はそう言うと廊下を堂々と歩いて男性用ドミトリーの方に去っていった。
......肌の色がほんとに白いんだなーという感想を持ちました。
わたしはバスルームからハチミツ色のシャンプーをゲットし、シャワーを浴びた(ボディーソープは見つからなかったのでシャンプーで身体を洗った)。
室内でもブーツを履いていると違和感が大きい。ドライヤーは無いので、乾くまで待たなければならない。
何かで時間をつぶそう。
共用キッチン兼ロビーにいくと、イタリア人らしき男性がソファでスマホをいじっていた。指の動きと音楽からゲームをしていると分かる。
「おはようございます」
挨拶すると、黒い瞳と視線が合って、挨拶を返された。
「おはよう。......よければコーヒーを淹れようか」
昨日の人とはまた別のホテルスタッフだろうか。
イタリアンコーヒー、ぜひ飲みたい。
「お願いします。ありがとう」
濡れた髪のまま、ソファに座ってコーヒーを待つ。
二人きりの室内で、キッチンカウンターの向こうでは、カールした黒髪のイタリア男性が作業してくれている。
外人との新婚を妄想してしまった。
「そこにお菓子のボックスがあるから、好きに食べていいよ」
さっそく手を伸ばして、ビスケットを一口食べてみるが、やはり日本のものとは違う味で口に合わなかった。
「どうぞ。砂糖とミルクはここだよ」
コーヒーが出てきた。多めに砂糖を入れ、香りを楽しんでから、一口飲む。
美味しくてホッとする。
しばらく飲んでいると、大きなキャリーバッグを持った若い男女二人組がこの部屋に入ってきた。コーヒーを淹れてくれた彼は、チェックインの仕事をする。
二人の旅行客は、話している言葉と容姿から韓国人だと判断できた。おそらくカップルだ。
恋人同士で海外旅行なんて楽しいんだろうな。
わたしは、柚樹の制止を振り切ってここに来てしまった。
二人はとても幸せそうに見え、生まれて初めてできた彼氏と別れてきたわたしとは大違いだと思った。
○
廊下に出ると、ガイドブックが棚に置いてあるのを発見した。英語とイタリア語と韓国語のものに埋もれて、日本語のものもあった。
部屋に数冊持ちこみ、ベッドに腰かけて本を開いてみる。どの本にも、『サンマルコ広場』がおすすめの観光スポットとして書かれていた。
調べてみると、ここから徒歩15分で行けるらしい。ガイドブックの写真を眺めているうちに、サンマルコ広場を今すぐ訪れてみたくなってしまった。
わたしはコートを着こみ、ショルダーバッグを肩にかけて、生乾きの髪のままホテルを出発した。
道中、やはり運河や街並みが美しく、歩行者の目を楽しませてくれる。家に川が浸水しているように見え、家々のあいだを走る川を、小舟が荷物を積んで進んでいるのを見て、これぞわたしの思い描いていたベネチアだと思う。
服や雑貨やお菓子の店々のショーウィンドウにも目移りするが、生憎まだどこも開店時間ではないらしい。帰りに寄っていこう。
歩いていくうちに、だんだん道に人が増えてきて、とうとう広場に出た。
サンマルコ広場に着いた。海に面していて、とても広い。わたしはヨーロッパに来たのだ、という実感が湧くこの建築物群の雰囲気。中世から集会が開かれてきた場所、人々の集まるところ。
わたしは木の板が積まれているところに腰かけハトと共に休憩し、サンマルコ寺院をじっくり眺めた。中央に宗教画が描かれており、こまかな装飾も美しく、荘厳だった。
わたしはただぼーっと寺院を眺めて、日本でのこの一年間の社会人生活を思い返していた。
わたしが特別養護老人ホームで働きはじめたとき、「狂気の世界に迷いこんでしまった」と思った。みんな、狂っていると。みんな、なんて不幸でかわいそうな人たちなんだろうと。死んでしまったほうが幸せなんじゃないだろうかと。実際、もう死にたい、殺してくれと言う人は少なからずいた。
22才のわたしは、人間がやがて迎える終末期を直視した。
朝になったら起こす。朝飯を食べさせる。人間は食べれば糞が出るから下の世話をする。水分を飲ませる。風呂に入れる(大抵の施設で風呂は週に二度しか入れないので、ジジババの数少ない楽しみのひとつだ)。下の世話をする。昼になれば昼飯を食べさせる。午睡のために横にする。下の世話をする。おやつを食べさせる。下の世話をする。夕飯を食べさせる。寝る前に下の世話をする。7時頃になったら部屋で寝かせる(個室で寝かせてあげたいけど、二人か四人部屋だ)。夜のあいだも下の世話をして、朝になれば起こす。これが弱って死ぬまでひたすらに繰り返される。
なかには火事場の馬鹿力で暴れて職員を殴る人がいる。3分おきにトイレに行かせないと気が済まない人もいる。少し気に食わないことがあるたびに職員を非難する人、ひどい暴言を吐く人、トイレで女性職員の胸を鷲掴みにする人、尻を揉む人、飲ませた飲み物を顔にわざと吐きかけてくる人。
はじめのうちは仕事に慣れるので精一杯だった。それに病気が原因であまり外に出れない生活から脱出したばかりだったので、わたしは喜怒哀楽を表に出すことがうまくできず、感情が埋もれていたんだと思う。キミちゃんに「この仕事してて楽しいの?」と聞かれたこともあった。もちろん全然楽しくなかったし、仕事は楽しむとかそういうものじゃなく、生活のためにしなくちゃいけないからするものだと思っていた。腰痛は辛いし(一度歩けないほど痛くなった)、人の身体に触れるから気を使うし、それなのに安月給でつらかったが、生活のために働いていた。
それがだんだん変わってきたのは、仕事に慣れ、狂気の世界に慣れ、キミちゃんと親しくなりはじめたときだ。
毎日毎日、ご利用者の言動に振り回されるのは変わらないけれど、その言動を笑ったり、愛しく思うことができるようになった。
ご利用者の繰り出すボケの数々は「ご長寿早押しクイズ」のごとくぶっ飛んでいて面白い。キミちゃんと笑い話や悩みを共有できて、いつも話のタネはまったく尽きることがない。
ずっと何から何まで手助けしていれば、わたしだけじゃなくご利用者のほうも情が移る。おばあちゃんたちから「あんたはほんとにかわいいねえ」と頬をなでられたり、休み明けで出勤するとご利用者が「今日はあんたが来てくれた」と笑顔を見せてくれたり、宿直のとき「わたしも今晩はここに泊まるよ」とおばあちゃんに言うと「じゃあ今日はあんたを抱いて寝る」と宣言されたり。「ここのジジババにとってはスズはかわいい孫なんだろうね」とキミちゃんに言われたときも嬉しかった。
キミちゃんは、とりわけ大変な業務を任されることが多いのに、仕事には「ジジババに会いに行ってる」というスタンスで、ご利用者を思いやる心遣いがすごい。ご利用者もキミちゃんを信頼する。わたしはキミちゃんのような仕事のやり方を目指していた。
けれど、恋人をきっかけに、病気が再発してしまった。
日本での生活をすべて放り出して、今わたしはベネチアで美しい寺院と青い空を眺め、観光客と地元民に紛れてただただぼけーっとしている。
わたしにはこういう時間が必要だ。日常に疲れたら、非日常に身を投じることもたまには許されると思いたい。