I Bet My Life
「Ciao! 」
そうか、イタリア語の挨拶はチャオ、っていうのか。
とか、今はそんなことを考えている場合じゃない。この瞬間、夜のベネチア・サンタルチア駅に、爽やかな風が吹いた気がした。目の前に颯爽と現れたのは、渋いネイビーのマフラーを巻き、丸縁眼鏡をかけたスキンヘッドのお兄さん。着こなし方も所作も洗練されたオシャレイケメンな外国人に、友好的でにこやかな笑顔で、チャオ!なんて言われたわたしの心情をなんとか察してほしい。
夜だというのにこの溌剌さ、陽のエネルギーに溢れた感じ。さすがイタリアは違う。
「ちゃ、チャオ!」
初めて使う言葉だからか、目の前のイタリア男子に圧倒されてか、わたしの挨拶はぎこちない。
「乗るかい?」
彼はそんなことを気にするふうもなく、ずらっと一列に並んだタクシーのうちの先頭の一台を指差し、最初からわたしに英語で話しかけてきた。
イタリア語は分からないと判断してくれたのだ。明らかにわたしは観光客だし、ベネチアは観光の街で、彼はそんな街のタクシー運転手。
「イエス!」
わたしは自分でタクシーのドアを開け、スキンヘッドの彼に続いて後部座席に乗りこんだ。
「う〜、寒っ。...で、どこまで?」
「この場所までお願いします」
わたしはiPhoneでGoogleマップを開き、今日泊まる宿を検索して彼に見せた。わたしが今から目指すのは、カンナレージョ地区にあるホテル、ベニスラグジュアリー。
「ちょっと貸してね」
彼は美しい手でわたしのiPhoneを持ち、スライドしたりズームしたりと画面に目を凝らしている。そんな姿にも見惚れてしまう。
「ああ、ここなら、歩いて行けるよ」
「え!徒歩で?」
「そう。まずあそこの道を...」
彼は説明しかけたが、車内では分かりづらいと思ったのか、ここを出よう、と合図する。二人で外に出た。
「まず、この道をまっすぐ行って、あそこに橋が見えるでしょ?」
「あの橋?」
「そう、あの橋を渡る。それから、道なりにただまっすぐ歩けば着くよ」
「一度も曲がらないの?」
「そう、まっすぐだ」
道を説明する彼の横顔を見ながら、わたしは感動していた。土地勘のない観光客相手に、タクシーで遠回りをして料金を稼ぐ輩もいるだろうに、彼はそんなことはせず、分かりやすい英語で丁寧に道を教えてくれる。タクシー代も浮くし、とても助かる。
「ベネチアは初めて?」
「はい」
「そうか。いい旅になるといいね」
彼はまた、Ciao! と挨拶してくれる。
別れるときも、チャオでいいのだ。
「ありがとう。チャオ」
マルコポーロ空港から、ここ、ベネチア・サンタルチア駅までの交通手段は、夜行バスだった。イタリア式のバスの乗り方なんて知る由もないし、ユーロとセントでの支払いも初体験だった。バスの係員さんの話す英語はイタリア語訛りで、代金がよく聞き取れなかったので、わたしが手のひらに出した小銭を、彼がいくつかつまむという支払い方をしてしまった(彼はなんとなく信用できた)。わたしが接した初の現地人は、チケットのシステムからイタリア式バスの乗車方法を丁寧に教えてくれる、背の高く若いお兄さんだった。
大勢で飛行機を降りたけど、広いバスに、客はわたし一人だった。空港周辺も夜間はとても静かだ。バスの運転手は別の男性だったので、発車するときにさっきのお兄さんは外で手を振ってくれた。お兄さん超絶かわいいんですけど。
そのあとはベネチアの中心部に向かって、夜道を走った。
いま、わたしはカンナレージョ地区への道をホテルを目指して歩いている。
ここは運河に月の光が射しこむ音が聞こえてきそうなほどに静かだ。
日中は繁華な場所なのだろうが、今は現地の人々と何度かすれ違うだけだった。
わたしがこの夜景を独り占めしている、という贅沢な気分だった。ベネチア一の大運河・カナルグランデに沿っているこの石畳の道を歩くことができるのは、このうえない幸せだった。イタリアに来て第一発目の景色がこれ程とは。本当に、夜に着いてよかった。イタリアに来てよかった。
東京ディズニーシーは、ベネチアンゴンドラというアトラクションが存在したりとイタリアの景色に似せてつくられているところがある。確かにディズニーシーの夜景は綺麗だけれど、正直、この壮大な夜景とは比べものにならない。中世のヨーロッパにタイムスリップしたかのような景観で、現実世界じゃないみたいに美しいのに、すべてがリアルだ。ガス灯のようなあたたかい灯りが水面にキラキラと反射しているのも、ムードを演出している。静寂さえも美しい。
そして、昨日まで日本にいたのに、こうして異国の地を踏みしめている自分に、違和感を感じた。
ビョーキがここまで悪化した原因は、仕事のストレスなのか、恋愛でのストレスなのか。
わたしは、とりわけ柚樹の発する言葉、文字が怖かった。次第に彼と会うことさえストレスになっていった。柚樹はわたしに優しく接してくれたのに、わたしは彼のことを信じきれなかった。
すべての言葉が、わたしを非難する意図をもって発せられた、言葉の発信者からのメッセージに聞こえる病気。
残ったのは罪悪感と、劣等感と、疲労感と、自分は病気のせいでもう恋愛ができないのではないか、毎日を普通に過ごすことさえも困難になるのではないかという喪失感だった。
イヤホンを装着すると、すぐに鼓膜にはイマジン・ドラゴンズの『I Bet My Life』が鳴り響く。
僕は、君が望まない道を選んでしまった
君は僕に失望しただろう
世界中を旅したけれど、僕の野望は満たされなかった
僕は君のもとに帰りたかったのだろうか
たくさん嘘をついてきた
けれどこれだけは言える
僕が為すことすべての理由は、君だった
間違ってる、なんて言わないでくれ
やってしまったことを、どうか許してほしい
わたしは曲の歌詞の主人公に、自分を重ねていた。
わたしは、この旅に自分の人生をかける。