Bomb Digga Woo
残金たった10セントで、イタリアから日本に帰ってきた。日本は寒いな。
いまだにわたしはグロッキーだ。広い成田空港を半死状態で歩いて、京成電鉄に乗りこみ、日本人はグレーとか黒とか服装が暗い色ばっかりで地味だなーとか思ったり(自分もグレーのコートなのは棚に上げて)、船橋で乗り換えて総武線に何とか乗りこんだ。
けれど自宅の最寄駅である小岩駅までたどり着いたところで、とうとうわたしは力尽きた。ベンチで丸まってなるべく楽な体勢を取っていると、「具合が悪いんですか?」と女性のJR職員に声をかけられた。
「はい」と言うと、駅の事務所内にベッドが設置されているらしく、そこで休まれますか?と聞かれる。身体がだるすぎるし、もう休むしかない。
しかし、具合が悪いから事務所のベッドに横になったはずが、今まで空港や飛行機で寝てきた場所とは比べものにならない寝心地の良さに爆睡してしまった。しばらくして、もうさすがにいいですよね?あなたグースカ寝てるだけですよね?的な感じで男性職員が声をかけてきた。
たっぷり二時間くらい眠っただろう。体調もさっきよりはマシになった気がしたので、おいとますることになった(なかば追い出された気がしなくもない)。
小岩駅から出ている、なぜか懐かしいと感じるバスに揺られていると、感慨が湧いてきた。この街は、わたしの街だ。人と車と自転車でごった返している商店街も、安くて美味しいアイスが買える100ローも、狭いのに地元民の集まるツタヤも、ネパール人のやってるカレー屋さんも、24時間やってるカラオケ店も、金髪店員のいるドラッグストアも、すべてこの街の一部だ。
最寄のバス停で降りて三分歩くと、借りてから二年が経とうとしている我がアパートが建っている。ーーあれ、今朝は見慣れた車が、アパートの駐車場に止まっている......。
その鮮烈な赤の車体の前で呆然と立ち止まっていると、運転座席でスマホをいじっていた彼が、わたしに気づいた。
「......スズ」
「キミちゃん!」
キミちゃんが車から出てきて、なぜか腕を広げて待ってくれている。
わたしは迷わずそのなかに飛びこんだ。
「ふふ。今日休みだから来たよ」
「そっかあ......キミちゃん、会いたかったよお......」
「この前会ってから一週間しか経ってないじゃない。......心配した。行動力はんぱないね、スズは」
「心配させてごめんね。ーーあ、わたしクサいかも......。二日間もシャワー浴びてなくて......」
少し離れようとすると、強く引き止められてまた抱きしめられた。
「そんなこと今はどうでもいいでしょ?」
こういうところはすごく男らしいのだ、キミちゃんは。
「また会えてうれしいよ〜キミちゃん〜」
「それじゃあなんだかもう会わないつもりだったみたいじゃない?」
「ほんとはね、そういうつもりだったの。病気の症状がピークだったんだ」
「......スズはほんとバカね」
キミちゃんの声は珍しくか細かった。
「ーー調子は確かにいいときとわるいときとあるわよ。でも、そんな悲しいこと言わないでよ......」
そんなふうに言われて、悲しそうなキミちゃんには申し訳ないが素直に嬉しがってしまった。
だけど、いつもキミちゃんに支えられている側だから、こういうとき何を言えばいいのか、わたしはわからない。
「キミちゃん、あのね......」
「なに?」
言え。言ってしまえ。
「......わたし、キミちゃんが好き」
これはもう、わたしの口ぐせだ。
「だから知ってるって。ほんとにわたしのこと好きね」
だけど今度はね、今までの意味の「好き」じゃないんだよ。
キミちゃんにそう言えたらなあ。
「......だって好きなんだもん」
「お前は子どもか。」
言葉とは裏腹に、ポンポン、と優しくたたかれる後頭部。
このぬくもりを独り占めしたい、けれど。
わたしはキミちゃんにすでに好きな男の人がいることを、知っているから。
異性は恋愛対象外なのも、知っているから。
ーーわたしはキミちゃんから離れた。
「ねえ、キミちゃん一家にお土産があるの」
「尋太と芽依にも!?ありがとー!いまは二人お母さんに預かってもらってるのよ」
「じゃあシャワー浴びたらキミちゃん家行っていい?尋太と芽依にも会いたい」
「いいわよ〜。二人とも喜ぶわ」
「キミちゃん家でわたし爆睡しちゃうかもだけどね」
わたしたちは二人でアパートに入り、シャワーを浴びてからキミちゃんの車で鞘田家へ向かった。尋太と芽依を迎えに行くと、「スズ、おかえりぃ〜!」と二人が元気に出迎えてくれた。
日本を出る前よりは心が楽になったけれど、統合失調症は治らない。自分が頭の中で考えたことを他人に知られ、彼らの言葉や仕草に隠されたメッセージでわたしの思考をほのめかされている気がするのも、変わらない。わたしがしたことは、現実から逃げただけだ。仕事も恋人も捨てて。
これからも、自分が何をするかは自分が決める。これからも、この厄介な病気と共に生きていく。快方に向かっていくのを祈りながら。
尋太と芽依と仮面ライダーごっこをしてしばらく遊んだあと、お昼寝タイムとなり、わたしはキミちゃん一家に加わって川の字で横になった。
そして、不思議でハッピーな夢を見た。
四月の爽やかな春風が、窓から吹きこむ。カーテンが陽光を浴びながら揺れているから、それが分かる。やさしいひだまりの207号室の居室には、この前亡くなったはずのおばあちゃんが眠りに落ちている。すうすうと寝息を立てている彼女の傍らには、少女がいる。ハチミツ色の髪の、透きとおった肌をした少女が、おばあちゃんの頬に触れて、唄を口ずさんでいる。
わたしはちょっとだけ狂ってる
あなたもちょっとだけ狂ってる
わたしを殴ってもいいよ、わたしを噛んでもいいよ、わたしを殺してやりたいと言ってもいいよ、
わたしはあなたのやることなら、ぜんぶ受けとめるよ
だってわたしはちょっとだけ狂ってるから