EGG
インディラ・ガンディー国際空港に到着すると、ヨーロッパからアジアに帰ってきたことを実感した。空港内に並ぶお土産屋には、仏陀のグッズやお線香などエスニックな香りのする雑貨が並んでおり、日本とは確かに違うがヨーロッパよりは近いところに来た、という感覚がした。雑貨屋を見ているとアジアングッズが欲しくなったが、なぜかクレジットカードが使えなくなっており(あとで磁気の問題だと判明した)、ルピーももちろん無いため水さえも買えない状態だ。
インディラ・ガンディー国際空港は、ヨーロッパの空港に引けを取らず広くて綺麗だ。人通りが多い場所だったが、ソファの一群がそこにしか無かったので、少しソファに横になって爆睡した。わたしの他にもそのソファで寝ている人はおり、ソファの前を通りゆくインド人たちは爆睡している人を気にもとめない。二日間シャワーを浴びていない汚い身体で、防犯のためリュックをしょったまま眠りに落ちた。
搭乗時間の二時間前くらいに搭乗ゲートに行った。のどが渇けばゲートの近くに設置されているウォータークーラーで水を飲んだり、手を繋いで歩くインドのお父さんと男の子の仲良し親子を眺めたり、音楽を聴いていた。
シャッフルしてなんとなしに聴いていると、いまのわたしの胸に響く歌詞が流れてきた。曲は木村カエラの『EGG』だ。
私しか出来ない あなたを守るのは
寄り添う力に変えてくの
私しか気づけない あなたからのサイン
どんな時だって側にいるよ
この歌詞のなかの「あなた」というのは、いまのわたしにとってはつまり自分自身のことだった。
自分を守れるのは、自分しかいない。
自分を幸せにできるのは、自分しかいない。
自分を愛せるのは、自分しかいない。
「自分を好きになりな。だって、わたしがわたしを愛さないで、誰がわたしを愛してくれる?」というキミちゃんの言葉が思い出される。わたしは自分のことを第三者的な視点から見ることができるようになっていた。
この旅で得たものは、そういう新たな種類の自立心だった。
日本にいたときは、悪意ある言葉たちの海に溺れていた。正確に言うと、わたしが勝手に「悪意がある」と判断した言葉たちの海に。再び海面に浮上して息をするために、わたしは国外逃亡の道を選んだ。生きるために、逃げることを選んだ。周りの人のことなんかいっさい考えず、すべて自分のためだけにしたことだ。
生まれたばかりの未熟で、壊れやすくもろい自立心で、海外をノープランのまま一人旅するには大変なこともたくさんあった。でも、たくさんのひとに出会って助けてもらって、ここまで来れたのだ。
いまは、ただはやく日本に帰りたい。キミちゃん、妹、お母さんにはやく会いたい。日本を出てから一週間しか経っていないのに、もう長いことみんなに会っていない気がした。日本にいられなくなって飛び出してきて、いまだに日本語が怖いけれど、キミちゃんに会いたくて仕方なかった。この強い気持ちだけで日本でこれから生きていけるかは分からない。けれどはやくみんなに会ってこれまでの旅の話がしたいし、それに何より疲れたし、はやく我が家の風呂に入って身体を清潔にし、我が家のふかふか布団でぐっすりと眠りたいのだ。
けれど、日本行きの飛行機の搭乗時間は一時間半ほど遅延した(今度こそ英語のアナウンスが聞き取れた。わたし成長した!)。そのあいだ、わたしはこの旅最後にして最大のピンチに見舞われていた。
頭が割れるように痛い。吐き気がひどいのに、吐けない。それにひどい腹痛も。
わたしはトイレの個室に一時間半もこもって自分の体調と戦っていた。
原因はおそらく、一日中何も食べなかったところに急に慣れないスパイシーな機内食を胃に入れたことと、一日不眠だったことだろう。
とにかく吐きたくて仕方ないのに、吐けなかった。この腹痛はまるで腹のなかで内臓が暴れ狂っているみたいだった。頭のなかでビルの爆破が起こっているみたいにガンガンと痛みが続き、症状は悪化する一方だ。
果たしてこの状態で飛行機に乗れるだろうか。恥ずかしながら便座のうえでグロッキー状態だった。ものすごく汚いのにトイレの床で横になりたくなる勢いだった。トイレの個室で倒れているところを発見されるのではないかと思った。
ここからの記憶は曖昧だ。
具合は回復しなかったが、死ぬ思いでトイレの個室から出て、死ぬ思いで飛行機を待ち、死ぬ思いで搭乗したことだけは覚えている。だってこの飛行機を逃してしまったらまた空港泊だ。はやく日本に帰りたい一心なのに。
搭乗するとき職員からストップがかからないよう平静を装うが、あまりできていなかったと思う。
機内はインド人もいるが日本人が圧倒的に多かった。わたしの周りに突然あふれる日本語。ストレスはすごく大きいが(歯ぎしりしてしのいでいる)、それよりも具合が悪すぎてパニックになる余裕もなかった。
今までのフライトとは違い、機内は満員だった。飛行機のエコノミーシートってこんなに不快だったんだ、と気づいた。ぎゅうぎゅうに人が飛行機に押し込められている感じだ。
フライト中、なぜか隣のターバンを巻いたインド人男性に手を握られることがあったが、振り払う元気もなくそのままにしていた。わたしはインド人にはモテるのかもしれないーー。
具合の悪いときは音楽さえも効果がない(精神が弱ってるときはあんなに響いてくるのに)。ひどい頭痛に腹痛に吐き気のトリプルパンチのせいで半分死んだ状態で、2016年3月22日の朝8時ごろ、わたしは再び日本に帰ってきた。
イタリアで生きることも、死ぬこともなく。