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メッセージ  作者: 柿崎スズ
11/20

ウツクシキモノ

何もしないでのんびりする時間って、いいなあ。


わたしはブラーノ島の地元民に紛れ、岸辺で日向ぼっこをしている。苔むした地面に腰をおろし、両足は投げ出して海の上だ。


目の前に広がる、波のない穏やかな海。一艘の船。向こう岸は遠い。


紙袋から、先ほどもらったネックレスを取り出してみる。三本の紫の糸紐と、一本の金色の糸紐と、紫のレースに、大粒のしずく型の透明なペンダントヘッド。手作り感満載でとてもかわいい。さっそく付けてみた。


何もすることがないと、ついつい考え事をしてしまう。今はこんなにのんびりとした時間を過ごしているが、日本では仕事に恋愛に忙しい毎日だった。


突然その毎日に耐えきれなくなったのは、ある夜のことだった。


夜勤で疲れきり、二時間の仮眠を休憩室で取っているときだった。暗闇の中で薄くて固いマットに横たわるが、夜間一睡もしないご利用者の対応やらなんやらで興奮状態の脳はなかなか寝つけない。




大学時代までは、自分が思い描いていた通りの人生だった。目指していた国立の大学に受かり、上京して、好きなことを学んで、憧れの会社でバイトして。


けれど、端的に言えば就活で転んだ。無難に事務がしたくて、様々な業種の事務職に応募するもすべて不採用、介護事務にも手をのばしたが不採用、どこを応募しても不採用ではないかと絶望し、介護なら受かるだろう、もう就活疲れたわ、という理由で特養に履歴書を送ったら面接たった一回で合格通知をもらってしまった。そのため介護の予備知識は、『介護は3K、つまりキツい・汚い・給料安い』。これだけ。


一旦は治った病気が再発し、それからの毎日は、記憶が曖昧になるほど混乱し、苦しかった。他人に頭のなかを読み取られている気がして。24時間、自分のことを監視されている気がして。わたしの秘密が暴かれている気がして。




きっかけは些細なことだったが、日々のなかで溜まっていたものが、その夜に溢れてしまったんだと思う。


施設のマットの上で、本気で「死にたい」と思った。死に方と場所は自分で選ぼうと思った。ずっと行きたかったのに行けていない外国を最後に訪れたい。水の都で溺死してやろう、と自暴自棄になった馬鹿なわたしは本気で考えた。


今なら、すぐにそれができる。足の下は、深い海だ。





でも。だけど。



芽依に着せたい洋服が見つかったし、妹にピアスを買ったし、手作りネックレスをもらったし、ホテル以外にイタリアに泊まる家ができたし、ロシアの綺麗な夕焼けが心に焼きついちゃったし、まだまだ美味しいもの食べたいし、イタリアの美しい景色をまだまだ見たい。


東京とモスクワとベネチアの空港職員、パイロット、客室乗務員のお姉さん、タクシー運転手のお兄さん、バスの係員のお兄さん、ホテルの管理人、ドミトリーの女の子、ゴンドリエ、ウェイトレスさん、土産物店の人たち、ベネチアの街の人たち。


たくさんの人の力と優しさで、ここまで来れたのだ。




障害をもつわたしにとっては生きづらい世の中だけど、誰かがそばにいてくれたのなら。




無性に、キミちゃんに会いたくなった。声が聞きたくなった。


国際電話は高額だろう。でも、いまかけずにはいられなくなった。


わたしはキミちゃんだらけの通話履歴から、通話ボタンを押した。


国際電話に切り替わる。


「もしもし、スズ?」


キミちゃんの、ひとを安心させる声。


「キミちゃん」


「スズ!あんたあたしのライン既読スルーしたでしょ!電話も出ないしさあ」


「ご、ごめん」


「心配したんだから!今まで毎日のように電話してたのに出ないし、仕事休んでるし...」


「ほんとにごめんね」


「ねえ、何かあったの?スズの家に行こうかと思ったんだから」


「うーんと、あのね......その......」


「言いにくいこと?......なら、無理しなくていいんだよ」


言うのには勇気がいるけど、キミちゃんには伝えたい。


「あのね、キミちゃんに相談したいことがあって」


「相談したいこと?おねえちゃんに言ってみな」


「仕事を休んだのは、ちょっと、つらいことがあって...」


「そうなんだ」


「わたし、その、医者にかかってて。心の病気なんだけど、それで悩んでて...」


「...そうだったんだ」


「言いにくいんだけど、えっと......」


言ってしまえ。ずっと人に相談したくて、悩みを聞いてほしくて、だけど言えなかったことを。


「どうしても、人に頭の中を読まれてる気がして、つらくて。普通の人間の状態じゃいられないの。〝統合失調症〟なんだって」


「......」


沈黙が流れた。


「......ごめん、驚くよね。てか、引くよね...」


頭の中を読まれてるなんて、自意識過剰だ。だけど、わたしはその恐怖に取り憑かれている。自分が情けなくて、恥ずかしい。キミちゃんも、言葉には出さないかもしれないけど、内心ドン引きしているだろう。


「......ごめんね、スズ」


「...なんでキミちゃんが謝るの?」


「ごめん、全然気がつかなかったよ。スズが、そんなに苦しんでるなんて......。そんなふうにはまったく見えなかったわ。...いつからなの?」


「今年の1月くらいから、再発して。...ごめんね、言わなくて」


「そんなに前から!なんでもっと早く言ってくれなかったの?スズのおねえちゃんなのに」


「ごめん。引かれるかと思って......」


「別に引きやしないわよ。そんな人、この世の中にいっぱいいるのよ。むしろそういう人だらけね。それで悩んでるのは、スズだけじゃないわ」


わたしみたいな人がいっぱいいる?そんなまさか。


「ほんと?」


「ほんと。わたしの元奥さんもね、鬱だったの。親戚の仲良い子に強迫性障害の子もいるし、うちの家族も変な人ばっかりだし。世の中、普通じゃない人だらけよ。スズみたいな人はいっぱいいるの」


わたしだけじゃない。


そんなふうに言われたのは、初めてだった。母親には、統合失調症が判明したときに泣かれてしまって、「頭の中なんか読まれてるわけないじゃない。病気がそう思わせてるのよ。今の状態は、普通じゃないの。...大丈夫、いつか絶対に良くなるから、頑張ろうね」と言われるばかりで、今の自分を否定されている気がしていた。


「わたしみたいに、普通じゃない異常な人ばっかりなの?」


「そうよ。あたしも〝異常〟だし?」


「ふーん。そうなんだ」


だめだ。なぜか涙が流れる。




「悩んでるから連絡してこなかったんだ。〝お姉ちゃん〟に何も言えなくて。......バカだねえ、スズは」


「うるさいなー」


「もっとあたしを頼ってよ」


そう言われると、心強くて嬉しくて、胸がいっぱいになる。


「...キミちゃん、好きだよ」


「知ってる。言われるの二回目だもん」


一回目は、わたしとキミちゃんが、入浴業務で一緒になったときのことだった。


わたしは、ある職員から無視されていて、運悪くその職員と、彼女が従えるグループのいるフロアで仕事することになり、案の定孤立した。入社したばかりの頃で、誰かに教えてもらわないとできない業務をすることになったが、教えてくださいと言うと、その職員から目も合わせずに「別のフロアに行けば?」と言われた。他の職員も、彼女に倣ってわたしを無視した。けれど、上司からそのフロアで仕事するように言われていたので、戻れなかった。どうすることもできず立ち尽くしているところに、キミちゃんがやって来た(そのときはまだ「鞘田さん」と呼んでいた)。孤立しているなかで「仕事を教えてほしい」と勇気を出して言うと、キミちゃんは「仕方がないなー」と言いながら丁寧に教えてくれ、寝たきりのご利用者に一緒にお茶を飲ませた。キミちゃんは見た目が派手だし、美形で近寄りがたかったが、すごくすごく優しい人なんだと気付いた。


それで、入浴業務で一緒になったとき、「鞘田さん、好きです」と言ったら、キミちゃんは仕事での口調を崩して「あたし、ゲイなのよぉ」と衝撃の告白をした。


「懐かしいね」


「そうね。あたしのことほんとに好きなのねぇ」


そのあと、日本を出てイタリアを旅していることを伝えると、更に呆れられた。


「仕事休んで国外逃亡したわけね」


つまりそういうことかもしれない。


「...いつ、日本に帰ってくるの?」


「まだ決めてないんだ。でも、もうちょっとイタリアにいたいと思って」


けれど、ベニスラグジュアリーでの宿泊は今日で最後だ。


別の街に行くタイミングかもしれない。


「そう。じゃあ、めいっぱい楽しんでらっしゃい。お土産待ってるわね」


「うん。楽しみにしてて」


それからも取るに足らないことをたくさん話して、電話を切った。




目の前に広がるのは、雲ひとつない冬晴れの空と、波ひとつない穏やかな海。


iPhoneで、大好きなAIのアルバムをかける。どの曲も好きだが今はとくに『ウツクシキモノ』が胸に響いた。




明日、別の街に旅立とう。








(後日談をすると、帰国後のわたしのもとには二万円越えの通話料請求がきた(通信料は別途だ)。LINE電話は国外でも無料だということを知らなかったことを、激しく後悔した)

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