Better In Time
赤、黄、ピンク、青、緑、オレンジ。ビビッドな色をしたカラフルな家々が建ち並んでいる、まるでおとぎ話の世界に迷いこんだような、可愛らしい田舎町。
本島を離れて、わたしはブラーノ島にやってきた。ホテルの管理人から、ブラーノ島行きのヴァポレットが出る場所までの道のりを、ベネチアの地図を指差しながら丁寧に教えてもらい、Fondamente Nove駅からヴァポレットに約四十分乗り、ブラーノ島に着いた。
このちいさな島にはとてものんびりとした空気が流れていることが感じ取れる。本島の学校から遠足で来ているらしい子どもたちに混じって、島を散策する。おしゃれなパステルパープルの家が気に入ったので写真を撮ったり(壁も屋根もドアも郵便ポストも紫という徹底ぶりだ)、近寄って撫でても逃げようとしない、日向ぼっこちゅうの猫とのんびり戯れたり(足に体をすり寄せてきてすごく可愛い)、島民と思われる、わたしのストライクゾーンに入ってきた可愛いおばあちゃんに話しかけてみたりした(彼女はイタリア語しか分からなかったので、残念なことにあまり会話はできなかった)。
レストランや土産物屋や果物屋などの店々もカラフルだ。ブラーノ島の名産品であるレース刺繍の店がたくさんあり、そのうちのひとつに入ってみることにした。
とても繊細な白のレースはとても美しい。店内の品々を見回していると、子ども用のワンピースが目に止まった。レース刺繍が施された、白や生成りや淡いピンク、水色のちっちゃなワンピースはすごく可愛らしく、清楚な感じがした。
これを、芽依に着せたい。絶対可愛い。
芽依は、キミちゃんの二才になったばかりの娘だ。キミちゃんには、離婚した前の奥さんとの二人の子どもがいて、今は三人で一緒に暮らしている。キミちゃんが奥さんと別れたのは、ひどいとき奥さんが二人の子どもに暴力を振るうことがあったからと、好きな男性ができたからだ。
キミちゃんの家に泊まりにいくと、尋太と芽依が「スズ、待ってたよー!」と玄関で出迎えてくれる。すごくやんちゃで元気な二人の遊び相手は疲れるし危険だ(とりわけ布団のうえで遊ぶと揉みくちゃにされ、手が顔にぶつかったり足技を繰り出されたりする)。だけど、二人はわたしに懐いてくれ、可愛さには勝てない。
芽依には何色が似合うだろう、と脳内でこのワンピースを着た芽依をイメージしてみる。
「それ、可愛いでしょう。わたしの自信作よ」
レジの前にいる女性が言った。赤いコートに水玉のストールを巻き、眼鏡をかけ、ブラウンの髪を短く切った四十代後半くらいのかっこいい女性だ。
「手作りなんですか?」
「そうよ。......どの色にするか迷っているの?」
わたしのほうに歩いてきた。
「はい。二才の女の子なんですけど...」
「二才くらいなら、これか、これか...。水色も可愛いけど、サイズが大きめだから、もう少しお姉さん向けね」
彼女は手早くワンピースを選んでいき、淡いピンクとグリーンと、白が残った。
「うーん、どうしよう...」
色だけでなく、レースのデザインもそれぞれ違うので、考慮に入れなくては。
店内を見ると、レース刺繍はすべて白だ。白のワンピースは肩口にフリルがついていて、首元と胸元と裾に刺繍があしらわれていた。スカート部分の裾は、大きくギザギザになっており、美しいレースのおかげでまるで花弁のようだ。
「...白にします」
「いいチョイスね」
ワンピース以外にも、ベネチアングラスのピアスを自分と妹用に買った。ひとつ8ユーロだったが、三つで12ユーロに女性がまけてくれた。
「ワンピース、50ユーロにまけてもらえませんか?」
レジを打つ、女性の息子と思われる若者に聞いてみる。海外の店ではまけてもらうのが基本ということで、図々しく値段交渉する。
「だめだめ。ピアスはまけたし、ハンドメイドだから、これ以上は無理だ」
「じゃあ55ユーロ!」
「ノー!」
大らかなお母さんと違って、息子はケチだな(訂正。しっかり者だな)。
仕方がない、芽依のプリティさには代えられない。
60ユーロ支払ってワンピースを受け取った。センスのいい素敵な店だったなあ。
「あの、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」
このワンピースを作った人だよ、と渡したときにキミちゃんに見せたかった。
「写真?いいわよ。撮りましょう」
ちゃっかり息子も写り込み、記念の一枚が撮れた。
リストランテ選びには迷ったが、白いテーブルクロスが目を引く店にすることにした。通りにとびだすかたちでテーブルが並んでいる。
眩しくあたたかい日差しの下、本場のマルゲリータピザを食してみる。チーズがとろとろで、トマトの酸味がすごく美味しいが、サイズが大きすぎる。食べきれずふた切れ残すと、店員に嫌そうな顔をされた。
はち切れそうな腹で通りを歩き、目を引いたある一軒の土産物屋に入った。展示されている品々すべて手作りのにおいがするキュートな店だ。ブラーノ島の風景が絵の具で描かれた木箱などがあり、学校の展覧会のようで可愛らしい。ピンクに緑、または紫にオレンジなど、色の組み合わせのセンスが好みの感じだった。手に取って見ていると、エプロンをつけた、おそらく製作者が声をかけてきた。
「誰かに?」
「はい。友だちの子どもにあげたいんです。男の子なんですけど......」
「男の子なら、緑や青がおすすめだよ」
尋太にも何か買いたかったが、木箱はどこかしっくりこなかった。
店内の壁に掛かっている、台形の木板にカラフルな家がペイントされている作品に目を移す。フェルトでこまごまと作られた洗濯物が飾られていてかわいい。これは自分用に欲しいかも。ブラーノ島を訪れた記念になるだろう。
「これはこの島のティピカルな風景を切り取ったものなんだ」
「かわいいですね」
どれも可愛い。どうしよう。
「......ところで、君はどこから来たの?」
「日本です」
「日本か!僕は京都を訪れてみたいと思ってるんだ」
「そうなんですね...」
うーん、赤い家か紫かで迷うなあ。
「............。」
店内に沈黙が流れる。なんだか気まずい。どっちかの色で迷ってる、って英語でどう言えば伝わるだろう。
「気に入ったものはある?」
「うーん.......」
「......。いま、何を考えてるの?」
わたしは男性を見た。探るような目で見られている。
〝What do you think?〟
相手に伝えるべきことがあったら、はっきりと言葉にして伝えたほうがいいという当たり前のことを、わたしは忘れていた。言わなきゃ相手は分からないことも。顔色を伺ったりすることもときには求められるけれど、好意的な態度や、冷たい態度に振り回されるより、言葉ではっきりと示されたほうが、分かりやすくてわたしはいい。
わたしが頭の中で考えていることなんて、言葉で伝えなきゃ誰も分からない。
「コレかコレで......」
「......迷ってる?」
「そう!」
「うーん、どっちもオススメだけど......」
そういえば、すごく可愛いパープルの家があって写真を撮った。
わたしは紫を選んで、レジでお金を払った。
「ぜひ京都に来てください。来るなら春か秋がいいですよ」
「じゃあ、今年の秋にでも行ってみようかな」
彼はそう言うとレジの周りに飾られていたひとつのアクセサリーを取った。
「これは僕からのプレゼントだよ」
紫色のネックレスだ。木板と一緒に紙袋に入れてくれた。
「グラツィエ(ありがとう)」
店を出る。店の中からお兄さんが手を振ってくれたので振り返した。
統合失調症は治ったと思ったら再発したりと、完全に克服することの難しい病気かもしれない。けれど、日本にいたときよりも、気持ちが安らかだった。