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陽よまた昇れ  作者: はみと隆
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第二章 二人だけの日常

読んで戴いている皆様、ありがとうございます。

一ヶ月ぶりの更新となりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 二〇三一年三月二四日

 七年前のその日のことを、これから先もきっと忘れることは出来ないだろう。穏やかな春の日差しが降り注ぐ午前、未だに慣れない至急品の迷彩服、左腕の腕章に示された予備自衛官の肩書き、そしてそんな光景の全てを一瞬で吹き飛ばし空と大地を飲み込んだ業火と、かけがえのない人々との出会い……。

 和春はただひたすら燃盛る破壊された街の中を走っていた。その腕の中には人形のようにぐったりと四肢を投げ出したままの意識のない一人の少女が抱えられている。

不吉としか思えない黒い爆煙と紅蓮の炎が空を一面に覆い、蠢いていた。火の粉が雨のように降り、世界の全てがオレンジに照らし出されている。破壊の限りを尽くされた街並みと、散乱する元は人間であっただろう肉塊、そしてまだ命のあるものの苦悶と苦痛の怨嗟の声が渦となって響き渡っていた。

 まるで煉獄の果てだ。

なんとしてもこの子だけは助けようという、ただその一心で街の中を走り続ける。この子を救うこと、それこそが今時分が生きている全てに思えた。だからこそ、息が上がろうと、どんなに苦しかろうと、何度足を取られようと、ただ突き動かされるままに走り続けた。

頭上、ビルの窓が爆発で吹き飛び、ガラスの破片が降り注ぐ。反対側のビルは亀裂が走り、ゆっくりと倒壊を始めていた。雨のように降り注ぐコンクリートの欠片、大きめの破片がすぐ傍を掠め落ち、衝撃に足を取られる。

焦りが胸を締め付ける。本能の奥底から沸き上がる恐怖と焦燥に駆られ、胸倉を掴まれる。涙に視界が歪む。

泣き叫べたらどんなに楽だろう。発狂してしまえたらどんなに楽だろう。ただそれを許さないのは、腕の中の少女の温もりだった。この子はまだ生きている……。涙が溢れ、高ぶった感情が喉から塊となって混みあがってくる。何度も咳き込みそうになるのを、歯を食いしばって耐える。息が出来ない。でも走るしかない。

この子の両親はこの地獄のような光景の中で黒焦げになり息絶えていた。ただ一人、両親に護られ、辛うじて命を繋ぎとめたこの幼い少女だけを彼らの腕の中から救い出し、どこに逃げればいいのかもわからないままに彼は駆け出していた。

空に渦巻いている黒煙と未だ燃盛り爆ぜる炎はキノコ雲だ。それは今、自らの爆風と炎によって生まれた上昇気流に乗って浮かび上がっている。しかし、それが落下してくるのも時間の問題だろう。あの数千度の炎が落下してきたら、そのときこそ確実に業火は濁流となって襲い掛かり、この街の全てが跡形も無く焼き払われるに違いない。

「ちょっとあんた、どこ行こうっての!」

突然肩を強く掴まれて、ハッと我に返る。振り返ると、一人の女性が息を切らして立っていた。彼女は和春の腕に抱かれて眠る少女を見て、表情を変える。

「とにかく、安全なところへ非難するの! 早くっ!」

 女性に促されるままに、一緒になって走り出す。彼女の示した先、地下鉄の駅へ続く階段の出入り口から、数人の自衛官が頭を出して声の限りに何かを叫んでいるようだった。だが、何を言っているのか判らない。無声映画のようだ。耳がおかしくなったのか? いや、無音に思えるほどの凄まじい轟音が衝撃となって空から降りてきている。時間が無い。

 間一髪のところで階段に滑り込む。地下鉄の駅の入り口の階段から、真っ暗な奈落の底へ続く階段を転がり落ちた。女の子の頭を庇い、衝撃を全身に受け止める。待っていた隊員達が急いでシャッターを下ろすのと、爆風が外を吹き抜けていくのはほぼ同時だった。

 


 二〇三八年五月二二日

 西日が窓から真横に差し込むようになり、和春は作業の手を止めて顔を上げた。すでに外は夕焼けだ。赤い色はどうしても人を郷愁に駆り立てる。同じ紅でも、七年前に見たあの紅蓮の炎と比べれば、夕陽の赤さはとても優しい。

 集中し過ぎてずり落ちたままの眼鏡のフレームにそっと手を当て元の位置に戻す。傍の工具箱に道具を仕舞うと、彼は立ち上がり、大きく背筋を伸ばした。

 そっと袖を捲って時計を確認した。古ぼけたハミルトンのクロノグラフ、すでに傷だらけで文字盤のガラスには大きなヒビが走っていた。時刻は午後六時半少し前、もうこんな時間かと一人嘆息する。そろそろあの不良娘を起こした方がいいかもしれない。

 和春は太陽電池パネルの再生作業の手を止めて、無駄に広く殺風景な部屋を出た。廊下を進み、階段を降りる。途中から、急造の防空壕のようなコンクリートの地下室になる。そんな地下室の一角、取ってつけたようなぞんざいな木の扉をノックする。返事はない。仕方なくノブに手をかけると、何の抵抗も無く開いた。薄暗い部屋の中に、スースーと人の寝息だけが規則正しく響いている。

 部屋の電気をつけると、その部屋の惨状が目に入った。乱雑に散らかった部屋の中には整備途中の拳銃に弾丸、脱ぎ散らかした防護服に迷彩ジャケット、それとは対象的に古ぼけたぬいぐるみが並び、もう十年以上前の読み古されたファッション誌や少女向けコミック誌が散らばり、電気をつけっ放しのタブレットPCの光が明々と灯っていた。あれほど電気は大切にしろと言っているのに。

 そして、簡易ベッドの上で毛布に包まり幸せそうな穏やかな寝顔を見せている少女に、和春が色々な意味で困ったように頭をかく。

 安眠を貪るまだあどけない少女、整った小ぶりな顔立ちに澄ました顎のライン、形の綺麗な鼻筋に静かに寝息を立てる艶やかな口元、長い睫、まだどこか幼さを残しつつ日々成長を続ける少女は確実に大人になろうとしている。そして屈強な人間でさえ発狂しかねない現状と経験を経てなお歪むことなく真っ直ぐに成長している溌剌さがその寝顔から見て取れる。普段は活発で明るい少女も、寝ている間だけは静かでいてくれるから助かる。出会った当初はそれこそ人形のように大人しかったが、どうしてこんなお転婆に育ったのか。和春は表情を緩めると、そっと屈み込み、彼女の寝乱れた髪を慈しむ様に撫ぜた。そして頬を撫ぜ、柔らかさと暖かさを実感する。

まったく、図体ばかりは大きく……ならなかったなぁとそこでちょっと思い嘆息する。一昔前の同年代の女の子の平均身長からは程遠いほど小柄で、痩せ過ぎとは言わないまでも無駄な脂肪の無い体は細く軽い。スレンダーと言えば聞こえはいいが、要するに貧弱。ただ、発育不足と揶揄するどころか同情さえ禁じえないその容姿を、彼女がひそかに気にしていることも彼は知っている。だが、そればかりは彼にもどうしようもない。慢性的な食糧難からくる栄養不足は彼にもどうしようもないのだ。

もう一度頭を撫ぜると、掌に僅かにピクリと動く感触があった。

和春はため息一つ、立ち上がって背を伸ばし腰に手を当て眠る少女を睥睨し嘆息する。そして、おもむろに少女が包まっている毛布に手をかけた。

「コラ、アキ! いつまで寝てるつもりだ! そろそろ起きろ!」

 ちゃんと怒っている風を演じて毛布を引っぺがす。だが、その毛布が凄い勢いで引っ張り返された。ベッドを見下ろすと、Tシャツにショーツ姿のアキが毛布を引っつかんで必死の抵抗を見せている。小さい頃から見慣れている義妹の下着姿に今更興味も無いと言えば嘘になるかもしれない妙な後ろめたさを感じつつ、だがそんなのはただの気の迷いだと自分に言い聞かせて、複雑な兄貴の心境など素知らぬ顔でイタズラ好きな子猫のようなどこか楽しげな表情で毛布の引っ張り合いをしているアキを見る。

「……アキ……起きてただろ?」

「……ううん、寝てるよ?」

 言葉とは裏腹にいたずらがばれた子供のように笑い今更取り繕うように可愛い娘ぶる少女に、ため息一つ。そしてさっき頭を撫ぜていたことを思い出して少し恥ずかしくなった。照れ隠しに軽く拳を脳天にお見舞いする。

「いった~! ……カズ兄、痛いよ……」

 頭を押えてベッドの上で悶えるアキに、和春は背を向けて扉に向かう。

「目が醒めただろ? いいから、さっさと起きて来い。もう夕方だ。僕はご飯の用意するから」

「ご馳走?」

「そんな贅沢できるわけ無いだろ? お前もさっさと顔洗ってきな。ああ、それと屋上に干してある洗濯物取り込んできて……それと」

 扉に手をかけ、振り返る。

「お前、もうちょっと部屋どうにかしろよ……」

「えぇ……何か問題ある?」

「問題って……お前はこれが問題無いように見えるのか?」

「いいじゃん、幸姉だってやってたし」

「……あの人を基準にしちゃいけません……」

 口を尖らして拗ねるアキに、もう呆れた声しか出なかった。確かに幸はこういう人だったと思うが、それがいいというわけでもない。あと、下着姿で胡坐かいて頭をかくのは年頃の少女としてはどうかと思うのだが、もうそこまで言う気力はなかった。

 和春はアキの部屋を出ると、階段を上りつつ、少ない食材で今日の食事を何にするか考えていた。

 彼が出て行った扉を、アキは少し恨めしげな目で見つめていた。しかし、彼の足音が遠ざかるのを聞いて、ため息とともにベッドから立ち上がる。

「カズ兄、最近冷たいんじゃないかな、もう!」

 小さい頃はもうちょっと優しかった気がすると、叩かれた頭を撫ぜて一人不満を漏らす。しかし、それも束の間、次第にアキの顔に笑みが広がり、照れくさそうに「えへへへ……」と笑い出す。だが、とりあえず着替えだ。さっさとTシャツに半パンというラフな格好に着替えを済ます。サンダルをひっかけ、鏡を覗き込んで寝癖のたった髪を櫛でとかす。


――アキちゃん、髪綺麗なんだからちゃんと手入れしなきゃダメだよ。


そう言ったのは幸だった。彼女がまだ生きていた頃はよく髪を梳いてもらっていた。彼女の優しい手の温もり、髪を通る櫛の感覚は今でも強く染み付いている。戦闘や力仕事ばかりの日々で荒れた手をしていたが、それでも元が綺麗な人で、手先も白くすらりと美しい形をしていて、アキはそんな彼女の手が大好きだった。そして彼女が冗談交じりに色々な話を聞かせてくれながら髪を整えてくれたわずかな時間がアキにとってはかけがいの無い幸せな時間だった。まぁその後すぐに脱線して髪だけでなく格好まで着せ替え人形にされては部隊のみんなにからかわれたもんだが。そのときの写真は恥ずかしさに消して欲しいと騒いだが、みんないなくなった今では逆に捨てることが許されない大切な宝物となってしまった。

身支度を整えると、傍の棚に目を向ける。そこに並ぶ写真立て、アキはその一枚一枚に声をかけていった。

「おはよう、幸姉……奥田隊長……本田さん……林のおじさん……」

 一人一人の名前を呼んでいく。かつてともに過ごし、色々なことを彼女に教え、そして託して死んでいった仲間たち……アキにとっては大切な仲間であると同時に、家族だった。

 いつもの挨拶を終えると、アキは部屋を出た。地下室を出て、廊下を走る。規則正しく並んだ同じ広さの部屋、室内には乱雑に並んだ勉強机がそのままの姿で埃を被っている。扉の上につけられた表札にはクラスが書かれていた。階段を駆け上がる。古ぼけた張り紙には『廊下を走るな』という注意書きとともに生徒会の署名が入っていた。四階から更に上、屋上の扉を開く。その途端、まぶしいばかりの夕焼けが目に飛び込んできた。空は一面茜色だ。

「うっわぁ……綺麗な空」

 アキが感嘆の声を上げ、風にはためく洗濯物の間を抜けて屋上の手すりに駆け寄る。視界に飛び込んでくるのは夕陽に照らし出された街並み……いや、街と呼ぶにはあまりにも凄惨な光景かもしれない。視界をさえぎるものもほとんど無い広い荒野、そこにあるのは無残にも破壊された家々……すでに住む者も無く、夕暮れにも関わらず家庭の温もり溢れる光が灯ることもない、夜の闇に沈むのを待つだけの世界だ。

その荒野の少し先、世界を二分しているのが荒川。左手に破壊された橋を見ることが出来る。その向こう、沈む夕陽の方角に見える建造物の小さな影がかつての東京の入り口、赤羽の街だ。

 今彼女が立っている場所は、荒川を挟んで東京の対岸、川越にある半壊して廃棄された学校の屋上だった。アキが立つ場所から数歩もしない校舎の一画には、巡航ミサイルの直撃を受けて二階まで吹き飛ばされた空爆跡があり、校舎を大きく抉っていた。周辺にも亀裂が走っておりその被害の大きさを物語っている。夕陽を受けた洗濯物が風に棚引く穏やかな日常の風景の真横に、破壊と殺戮の非日常が文字通りぽっかりと口をあけていた。

 穏やかな夕暮れ時の風を感じながら、しばらく夕刻に沈み行く街を眺め倦怠感に身を任せる。手すりに寄りかかるようにして、ただただ世界の美しさに見入ってしまう。どれだけ街が破壊されようと、そこに住む人間がいなくなろうと、世界にとって、それは瑣末なことでしかないのだろう。今日も一日が過ぎ、夜が来る。そうして地球は回り続けるのだ。

 昔はこの街はどんな姿だったのか、こういうときアキは考えずにはいられなかった。夕暮れ時、家々には明かりが灯り始め、街灯が瞬き、人々があの川の向こうから帰ってくるのだろう。この学校でも今の自分と同じ年頃の少年少女が放課後の部活動に励み、足元の校庭からも元気な声が聞こえてきていたに違いない。


――でも、私は知らないんだよね……


アキは一人屋上の欄干に寄りかかりながら視線を俯かせる。平和な世界を彼女はもう覚えていない。平和な風景を実際に見たことも無い。父がいて、母がいた事は覚えている。三人で暮らした日々も、遊びに行った思い出も、買い物に出かけた記憶も欠片は確かに心にある。でも、幼い頃の記憶は不鮮明で、その後の人生で何度も筆を走らせたように黒く、厚く塗りつぶされていく。今ではもう、両親の顔を思い出そうとしても思い出せない。楽しかった記憶も、ただそんな事実があったというだけで、それに付随する感情はすでになくなっていた。その代わりに出てくるのは、一緒に苦労を分かち合った仲間たちとの日々、そしていつも傍にいてくれる大切な人の面影ばかりだ。

風が徐々に冷たくなってくる。さすがにTシャツに半パンでは冷えてきたのか、アキは小さく体を震わせた。どこからともなく柔らかないい匂いが漂ってきて、アキの鼻をくすぐった。ほっとするほどやわらかく暖かな香り……この鮮やか過ぎる夕焼けとともに、とても懐かしく、まだ知らないはずの郷愁を感じる香り……かつてどの家でもこれくらいの時間になったら漂ってきていたに違いない家庭の香りだ。

「おーい、アキ、夕飯できたよ」

 屋上の出入り口から、和春が顔をのぞかせた。そして、欄干に寄りかかって惚けているアキに向け嘆息する。

「なんだ、まだやってなかったのか」

「あははは、ごめんカズ兄。あまりにも空が綺麗だったから」

 振り返り、誤魔化すようにどこか物悲しげに笑うアキに、和春も怒る気にはならなかった、どこかあきらめたような、やれやれといった風に穏やかな笑みを浮かべる。

「確かに、今日は綺麗な空だよなぁ」

 腰に手を当て、空を仰ぎ見る。そんな彼の傍にアキが駆け寄り並ぶ。しばらく二人で空を眺めるが、少し身震いしたアキに気付き、和春が傍に干してあったバスタオルを取って彼女の肩にかけた。

「ほら、そんな格好してるから冷えたんだよ。さっさと片付けてご飯にしよう」

「了解!」

 二人で手早く洗濯物を取り込み、籠を抱えて屋上を後にする。先に降りていく和春の後をアキが小走りに追い並ぶ。そんな彼女の瞳は和春にだけ向けられている。その背後では、すでに住む者もいない街が夜の帳に覆われ、漆黒の海に静かに沈んでいった。



夕食後、後片付けも終わり、すっかり夜の帳が降りた頃からがアキと和春にとっての日常だった。外に明かりが漏れないように細心の注意を払い、地下に掘った洞窟の中で息を顰め二人身を寄せ合って過ごす。いくら荒川が自然の防壁となり、戦況が都内で膠着している状態とはいえ、いつ侵攻の手が及ぶかわからない。それに関してはここを拠点に定めてから一年の間に何重もの警戒ラインを設置したがそれでも警戒に超したことは無い。

金属と金属が触れ合う音、キーボードを規則正しく叩く音だけが絶妙なハーモニーとなって室内で共鳴する。

和春の目の前には昨夜不良娘とともに夜遊びに出歩いていた機械人形が、整備のために装甲を全て剥がされた状態で床に膝まずいている。整備中の壱華からは大量のケーブルが無造作に床に置かれた複数のデスクトップPCへと繋がっていた。

そして和春の背中に背中を預ける形で床に座ったアキが、ノートPCをつまらなさそうに叩いていた。整備の邪魔になるから離れて欲しいと和春は思うのだが、彼自身もアキの体温を背中越しに感じていないと落ち着かないことがわかっているので、もうあえて何も言わない。お互い、離れてしまうとそのままフッと夜の闇に消えてしまうのではないかという恐怖感がある。二人きりになってからは、そういう悪夢を見て目を覚ますことも少なくない。

「カズ兄、プログラムのデバッグ終わったよ。そっちは?」

「ちょっと待って……お前昨日何やらせたんだ? 随分あちこちにストレスが溜まってるぞ……っと、やっと取れた」

 和春が壱華のフレームから腕を引き抜く。その手には電子回路の基盤が握られていた。ほとんどの回路を内包した三×三cm角の汎用ICと簡単な周辺回路を配置しただけの基盤だ。分散制御用のローカルモジュールの一つだ。それを光にかざし、破損が無いかどうか確認する。緑色のガラエポ積層基盤が薄暗い明かりを受けて少し鈍い光を返す。特に外見上は破損は無い様に見えるがチップの中まではわからない。念のため新品に置き換え、外した部品はルーチンチェックに回す事にする。

「何って、何もしてないよ。ただの散歩。カズ兄こそ、壱華に荷物運ばせたり力仕事させたり洗濯物干させたりしてんじゃん」

「……なんで知ってるんだよ」

「ログ残ってた」

 和春が「むぅ」と小さく唸る。それでも手を止めずに壱華の整備を進めていく生真面目な兄に、アキが背後を振り返った。その途端、和春が僅かに腰を浮かせたために力の均衡が崩れてアキがごろんと床に転がってしまう。

「うわっと! ちょっとカズ兄! 急に動かないでよ!」

「ああ、ごめんごめん……アキ、それ取って」

 和春の求めに、アキがあきらめて示された制御基盤を手にとって和春に渡す。それを受け取ると、和春は手際良く壱華のフレームに取り付けていく。

 流石は元理工系大学生といったところか。和春は戦時招集されるまで都内の大学の理工系学部に通っていた大学生だった。もともと機械に興味があっただけの学生だったが、それがこんなところで発揮されるというのも因果な話だ。

ハーネスのコネクタを繋げば、回路は大丈夫なはずだ。戦場での運用と整備性の向上を考えると、部品交換の簡便さは重要なファクターだ。そのために、壱華の整備部品はそれぞれモジュール単位で届けられ、それを組み合わせるだけで基本は完成する。いわゆる自作PCと大差ない。ただ違うのは、それが自ら動き、なおかつ時には戦わなくてはいけないということだろう。そのためにTTDはこれまで日本や欧米が培ってきたロボット技術の粋が集められている。

「よしっ……と、あとは回路を構成しなおして、作ってくれたプログラム入れ直せばOKだな」

 和春が一息つき、デスクトップのキーボードを引き寄せる。そんな彼の背中に甘えるようにのしかかり、背後からアキがモニターを覗き込んだ。

「アキ、邪魔だよ」

「いいじゃん、別に! とりあえず、動きがもっと自然になるようにパラメータ調整しなおしてみたんだけど、どうかな? それと、バランサとセンサのミドルウェア変更して反応速度上げてみたんだけど」

「エミュの結果は?」

「リアルタイムシーケンスでマイナス0.073」

「プロパティの負荷値は?」

「2.35だけど?」

「ちょっとサーボに負荷掛け過ぎのような気もするけど……まぁ試してみるしかないだろうな。結局は相対的なバランスがものをいうから……データは?」

「はいこれ」

 和春が差し出した手に、アキがメモリチップを渡す。受け取ると、それを別のデスクトップのポートに差し込んだ。ライタソフトを呼び出し、各分散制御回路のICチップにプログラムを書き込む。接続された基盤についている状態監視用のLEDが一斉に瞬き始める。

オールグリーン、書き込み完了とともに壱華の予備電源を入れる。壱華のセンサヘッドにLEDの淡い明りが灯り、点滅した。繋がれたモニターにBIOSの起動画面が現れ、起動シーケンスが始まる。

その途端、デスクトップの画面にブロック型をしたモジュールが認識された。全身のサーボモータに含まれる分散制御モジュールを示すブロックだ。GUI表示で3Dのキューブ状のモジュールが空間に見立てた画面にぽつぽつと泡のように浮き上がってはゆらりゆらりと浮かび上がりながらゆっくり回転している。

現場での部品交換を迅速に行うために、分散制御チップにはコンピュータの周辺機器のような自動認識機能が内蔵されている。コンピュータにおけるUSB機器のようなものだ。ただ、制御信号にタイムラグがあると制御に遅れが発生して、複雑な協調系として動作する人型ロボットでは致命的となる。そのタイムラグを克服するため、よりロスとタイムラグの少ないロボット用通信方式が採用されている。

伝送速度を最短にするために、通信情報量は限りなくそぎ落としている。なので別に作業内容をGUIで示す必要も無いのだが、これはアキがプログラムの練習用に作り出したものだ。GUIが凝れば凝るほどメモリとCPUを浪費するので、作業時間に影響するのだが、視覚的にわかるというのはやはり理解にいい。

 和春は全ての回路が正常に認識していることを確認して、プログラムのスタートボタンを押した。その瞬間、ブロック同士の間を凄まじい速度で線が駆け巡る。分散制御モジュールを構成するミドルウェア、そのミドルウェア同士をソフト的に結合しシステムを構築するのが狙いだ。モジュールが数個なら手作業でも良いのだが、各関節、各機能ごとに百数十に細分化されている壱華ではとても人の手では調整することが難しい。そのため、自動構築プログラムを組んでいた。情報蓄積、自己進化型構築シミュレーションにより、どんなモジュールを繋いでも最適解を見つけ出せるように工夫している。もっとも、最初はとても機能するようなものではなかったのだが、和春とアキの二人で何度も修正して最近ようやくまともに機能するようになってきた。スタートボタンを押してしまえばあとはデバッグと構築を繰り返して最適化してくれる。

 一仕事終えて、和春は大きく伸びをした。

「作業終了っと! あ~疲れた……」

「お疲れ」

 和春の言葉に、アキが後ろから抱き着いて頭を撫ぜる。そんな彼女にされるがまま、和春があくびしながら「まったくだよ」とぼやいた。

「だいたい、昨日はただ単に偵察だけだったはずだろ? 何をどうやったら戦闘になるんだよ?」

 和春の呆れたような、非難するような言葉に、アキの表情が固まる。

「え? 昨日はただの偵察だけだよ?」

 あからさまに目を泳がせるアキに、和春が目を細める。

「嘘付け」

「なんでわかるのさ?」

「ログ残ってた」

 和春の言葉に、今度はアキが「むぅ」と小さく唸る。

「だってだって、仕方ないじゃん? 気付かれちゃったんだもん。それに、あいつら敵なんだよ? 仇なんだよ? いいじゃん、ちゃんと痕跡残さないように全員殺したんだし」

 唇を尖らして不機嫌になるアキに、和春は困ったように頬をかき、表情を曇らせる。

「アキ、殺すなんて言葉簡単に使っちゃだめだ……僕らの任務はこの街に残って敵の動向を探ることで、奴らを殲滅することじゃない」

「でも、敵なんだよ?」

「敵でもだ。何でもかんでも殺せば済むって話じゃない。時にはジッと観察して奴らが何を考えているのか探る必要もあるんだ。そのための偵察じゃないか」

「でもさでもさ……」

「それに、あまりこの手を使い過ぎるとだめなんだよ。敵も馬鹿じゃない、プロテクトを強化されたらまた一からハッキングのプログラムを作り直さなきゃいけなくなるじゃないか」

「でも……」

 アキがそっと和春の背から離れる。彼女の声のトーンの変化に、和春は内心しまったと思った。

「カズ兄はみんなの仇は討ちたくないの?」

 上目遣いに言うアキの言葉に、和春はグッと言葉を詰まらせ何も答えられなかった。その目は卑怯だ。一瞬、嫌な沈黙が降りる。後に残るのはPCのファンの音だけだ。

和春自身も仇は討ちたいと思う。でも、誰を殺せばいいのか? それすらももうわからなかった。前は憎しみもあったし憤りも感じたが、それも長く続けば諦めとなる。今となっては第八小隊はアキと自分の二人しかいない。敵は沢山。そして、逃げることも補充が来る事も叶わない……そんな状況で出来ることなんてたかが知れている。それに、今の彼には敵を倒す以上に大切なことがあった。

「そりゃ、できるものならしたいさ……」

 どうにか、その言葉だけ搾り出す。この子の思いも理解できる。

「でも、それより何より、危険なことはしちゃだめだ……いいね?」

 和春が諭すようにそう言って、彼女の頭を撫ぜる。

「また子供扱いする……あたしだって……」

拗ねながらアキは何かを言いかけ、その言葉を飲み込んだ。そして、黙って和春に抱きついて胸に顔をうずめる。そんな彼女に、大人になったと少し思う反面、申し訳なく思う。和春にとって、何よりアキに人を殺させたくないのだ。だが、それを言うわけにはいかない。すでに二人ともその手で人を殺しているし、そうしなければ生きていけない世界にいる。人殺しになってほしくない、それはただのエゴだ。……そう戦争なのだ。だから今の和春の思いは矛盾している。でも、だからといってただ殺せばいいということとも違う。

「まぁやってしまったもんは仕方ないな。次からは気をつけてよ?」

「……うん、わかった」

「素直でよろしい。ま、あとは言ったことを守ってくれればありがたいんだけどね」

 和春の言葉に、アキが頬を膨らませる。

「守るもん!」

「はいはい」

 答えながら、笑う。やっといつもの調子に戻ってくれたとホッとする。

「何笑ってんのさ! ちゃんと守るよ!」

 クスクスと笑う和春に、アキは子ども扱いされているようでちょっと腹が立った。まったく、いったい誰のために一生懸命だと思っているのだろう? 彼女の言う「守る」とは「約束を守る」ではなく「護る」の意味だというのに。このいつまでも優しい義兄を護れるのはもう自分しかいないのだ。

 二人の楽しげな声に誘われるように、モジュール接続の完了した壱華が起動し、首を二人に向ける。光学カメラが焦点を合わせようと動いた。無機質なレンズが捕らえたのは、二人の血の繋がらない兄妹の仲の良い姿だった。

 デスクトップのモニターの中ではそれぞれのモジュールのキュービクルとリンクの線の束が結合し、人の形となって浮かび上がっていた。

 


 二〇三一年三月二四日

 爆炎の衝撃に揺れる駅の構内で、和春はただ体を小さく縮ませ、腕の中の大切な宝物を護ろうとただそれだけに必死だった。

 どれだけ時が過ぎただろう。不意に肩を叩かれ、和春はハッと目を見開いた。マグライトの明りに照らされているのがわかる。

「君、大丈夫か?」

 声をかけてきたのは自分より年上、おそらく三〇代後半の男性だった。こんな状況だというのに落ち着いた声をしている。どうにか体を起こして床に座り込む。駅に降りる階段を転がり落ちたために、体中が痛かった。しかし、自分のことより優先すべきことがあった。

「そうだ! あの、この子を……! ずっと意識が無いんです! 両親も亡くなってしまって! それで! それで……えっと……」

「ああ、わかっている。わかっているから、少し落ち着け……南雲、頼めるか?」

 名を呼ばれて、先程の女性が駆け寄ってくる。彼女は覗き込むようにして和春の腕の中に眠る少女を調べると、和春を見て笑みを見せた。その満面の笑みは少し無理をしていて、内心の不安を押し殺して、それでも相手を安心させようという笑顔だった。

「大丈夫、ちょっと意識を失ってるだけで命に別状はありません。よく護ったね」

 そういって、和春の手にそっと手を重ねて、一本一本指を広げていく。そこでようやく和春は指が硬直してしまっていることに気が付いた。彼女が眠る少女を優しく抱き上げる。重みから開放された腕が震えることを抑えられなかった。

「……そうですか……良かった……良かった……」

 安心して、気が抜けると同時に倒れかける。床に膝をつき、自らの身体を抱きしめる。目から涙が溢れて止まらなかった。

「ああ、よくやった……。大変なことになったが、これからもっと大変になるんだ……気をしっかり持て。俺たちがそんなことでどうする? 気をしっかり持つんだ」

 男の優しい言葉と、肩にかけられた手から伝わる力強さに、和春はただ頷くしかなかった。

「俺は、奥田陽一二等陸尉。彼女は南雲幸陸曹だ」

「僕……は……滝川和春……陸士です。予備役で……招集されて……」

 涙でむせ返りながらも、どうにか声を絞り出す。

「そうか……でも、予備役でもその制服を着ている以上は自衛官の端くれだ。俺達には、君があの子を護り通したように、まだ生きている人々を護る責任があるんだ……」

「護る責任……ですか?」

「そうだ」

 奥田と名乗ったその男は静かに、しかししっかりと頷いて見せた。そして立ち上がる。

「外はあの有様だ。とりあえず生き残っている人間をかき集めて、それから退路を探す。滝川君、どうだ、一緒に来ないか?」

「僕は……」

 言い淀み、そして考える。選択肢は無い。

「僕も……連れて行ってください……お願いします、僕も一緒に!」

 彼の答えに、奥田は力強い笑みを浮かべた。

「君みたいな人間なら歓迎だ」

 奥田に助け起こされる。服についた埃を払うと、傍に先程の女性がやってくる。彼女は少女を和春に抱きかかえさせると肩を叩いた。

「仲間が増えてくれて助かるわ、こっちもさっきの爆発で散り散りだったから。ああ、私のことは幸でいいよ。私も予備役で招集組なんだ。あ、でもさっきの診断は間違ってないと思うから。これでも一応この間まで看護士やってたしね」

 そう言って彼女、幸は煤まみれの顔で朗らかに笑った。こんな状況でどうしてこうも明るく笑えるのだろうと和春は思った。でも、惹かれずにはいられなかった。それはまるで真夏の太陽の下に咲く向日葵のような笑顔だったから。そんな和春の想いなど気付かず、幸はまだ深い眠りにある少女の頭を撫ぜて言葉を続けた。

「それと、この子の名前、明菜ちゃんって言うみたい。首にかけてた迷子札に名前があったの。一之瀬明菜って」

「そっか……明菜か……」

 和春がぎこちない強張った笑みを浮かべる。そんな彼の頬を、幸が思いっきりつねった。

「何情け無い顔してんの! しっかりしなさいよ、お兄ちゃん!」

「お兄ちゃん!?」

「そうよ、無事に安全な場所に送り届けるまで、あなたがこの子のお兄ちゃん! ちゃんと護ってあげてね」

「そんな! ……でもどうしたら!?」

 困惑する和春に、幸が頬をつねる指に力を入れる。とても痛いがそんな泣き言も言えない状況だった。

「とにかくどうにかするのよ。この子を護れるのは、私たちだけなんだから」

 彼女の真剣な言葉、真っ直ぐな眼差しに、和春も頷くしかなかった。

「よし、行こうか」

 奥田に促され、彼について歩き出す。その先に数名の隊員達が彼らが来るのを待っているのがわかった。



それが、後に紅蓮の月曜日と呼ばれる惨劇、そして滝川和春と一之瀬明菜、南雲幸、そして奥田を隊長とする第八小隊との出会いであり、けして先の見えない過酷な戦いの日々の始まりだった。











一ヶ月ぶりの投稿となります。


目標は月一連載、目標は全8章構成なのですが、まだ全然出来ておりません。

やはりブランクはいかんともしがたく……


2031年の開戦時の混乱と、7年後の2038年の荒廃した街での日常の対比で進む近未来SF戦記です。


目指したのは不条理な戦場で二人で逞しく行き抜く青年と少女の信頼の物語です。

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