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羽音

作者: ParticleCoffee
掲載日:2016/06/03

 クーラーの効いた居間でソファーに寝転がっていると、大きな蚊が飛んできた。

 カラダの大きさはこぶし大。

 しっぽにある血のフクロは二百ミリ缶サイズに膨れ上がっている。

 吸い上げた血液により、黒と赤とで不気味な縞模様になっていた。

 蚊は一度満腹まで血を吸えば二度は吸わない、と聞いたことがある。

 もし本当だとしたら、この蚊はボクを刺すことはないはずだ。

 だが、確実にボクヘ向かってきている。

 おもちゃのモーター程度の重く低い羽音を立て、左右へゆらつきこちらへゆっくりと近寄ってくる。

 手近にあった新聞をたたんでハリセンのようなものを作る。

 届くところまできたときに、叩き落としてやるつもりだ。

 待ち構えるボクのすぐ近くに蚊が来た。

 新聞ハリセンを振り上げた瞬間、蚊を叩き潰したあとのことが脳裏に浮かぶ。

 感触やそこに残るもの、飛散するものをリアルに想像してしまい、背筋に寒気が走った。 ――だめだ、できない。

 ボクはハリセンをゆるめ、それをふって『来るな来るな』と蚊を遠ざけた。

 蚊は、方向を変えて、居間と一続きになっている台所へと飛んでいく。

 そちらには食器を洗う母がいる。

 母は羽音にすぐに気がつき手をとめた。

 飛んでくる蚊を見て、新聞をふっていたボクを見て、眉にしわを寄せる。

 洗い物を中断しゴム手袋をはずす。

 そして、蚊に向けてゆっくりと左手首を差し出した。

 蚊が不快な羽音とともに母の手首へと向かっていく。

 腕にとまる――直前、左腕を引き、右腕に持っていたフライパンを振り下ろす。

 びちゃっ、

 と、フライパンでつぶされ勢いのままシンクへたたきつけられる。

 熟れた果物がはじけるような重たい破裂音を立て、真っ赤に飛び散った。

 母は、赤く染まったシンクを水で流し、フライパンと返り血をタオルでぬぐった。

 ゴム手袋をはめなおしながら母は深いため息をつく。

「あんた、蚊もまともにたたけないのかい」

 母の眉間に先ほどよりも深いしわが刻まれている。

 ふたたび深くため息をつき、

「お父さんが知ったらどう思うか、情けない。……あぁ情けない」

 耳障りな母の小言を無視して、ボクはソファーに寝転がった。

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