水もしたたるなんとやら
毛皮から水滴が滴り落ちる。
筋肉質な体、無駄な脂肪がない。
なんて美しいのだろう。
私、今、凄く欲情している……。
喉が凄く乾く。
乾いた唇を舌で舐めて濡らす。
心臓が誰かにキュッと掴まれているように苦しい。
高遠さんの血管の浮いた太い腕が私に伸びてくる。
なんてセクシーなのかしら。
高遠さんの苦し気なかすれた声が聞こえる。
何を言ってるのかすら理解できない。
この人に見とれている私、何も考えられない。
あれ?
パチリと目を開く。
気づけばベッドの中に一人。
乱れた様子のない衣服に布団。
あーれーえ?
コトコト……遠くでなつかしい音がする。
遠い昔、母親が台所でご飯の用意をしてる音を思い出した。
暗い部屋、あたりをじっと見つめる。
窓から差し込む光がまだ夜ではないと告げている。
この部屋、見たことないな……
ただ、ベッドからは高遠さんの匂いがした。
ほっとする優しい匂い。高遠さんの部屋に違いない。
それだけでドキドキとする。
主のいない部屋をジロジロと見回す罪悪感とそれを上回る好奇心。
もう少しだけここにいたい。
枕を抱きしめ高遠さんの匂いを確かめる……ちょっとこれ、変態っぽい、よね?
ガチャリ。
突然の光、扉が開く音。
「あ、白鷺さん起きましたか。大丈夫です? もう少し寝ててもいいですよ?」
顔に血がのぼってくるのがわかる。
見たよね、絶対、見てるよね? 枕の匂いかいでるところ!
ちがうよ、嗅いでないよ? ちょっと枕の抱き心地が良かったから抱いてただけだよ?
脳内の言い訳。
でも、高遠さんが何もいわずにいてくれるので、私もなかった事にしてしまおう。
「だ、大丈夫です。もう起きられます」勢いよくベッドから降りようとした私を心配して支えようとする高遠さん。
「そんな急に起き上がるとまた倒れますよ」
倒れる?
私、倒れたの? そういえば私、どうしてベッドで寝ているのだっけ?
「あの? 私なんで寝てたんでしょうか……?」
「ん、と。 白鷺さん、鼻血出して倒れちゃったんですよね……」
耳をふさぎたくなるような衝撃の事実を高遠さんが言いにくそうに教えてくれる。
倒れた、はともかく。
よりによって鼻血だして倒れるって……なんか、凄く、ヤダ!
そしてドアから差し込む光のおかげで時計が見えた。
時計の長針は三を指している。短針はというと……十。
あんなに朝早くに来たというのにもう四時が近い!
鼻血をだして倒れた事が情けなくて。
折角のお休みを……特別な日になるはずだった折角の日曜日を数時間も無駄にすごしてしまった悔しくて。
そしてなによりも高遠さんへの罪悪感で胸がいっぱいになる。
「すみません……」
高遠さんは頭を優しくポンポンと叩いて唇に優しいキスをしてくれた。
触れるだけの、優しいキス。
「今、晩御飯の下ごしらえ中なんで、適当にゆっくりしててくださいね」
にっこりと微笑むと部屋の電気をつけて台所へと歩いて行った。
明かりの下、高遠さんの部屋をゆっくり見渡す。
ベッド、高遠さんの大きな体が横たわる為の重厚なつくりの大きなベッド。
やはり大きく重厚な机……几帳面に整理されて無駄な物を置いていない。
私の部屋にこんな大きな机があったらすぐ物が溢れてぐちゃぐちゃになっちゃうな。
本棚。シンプルで大きな本棚には本がいっぱい並んでいる。
読書家なのね。タイトルはなんだか難しそうな物ばかり。
アルバムとかないのかな……残念ながらなさそう。
もう一度高遠さんのベッドに横たわる。
本当なら……高遠さんと一緒に横たわっていたはずなのに、と思い顔を赤らめる。
ダメだ。ゆっくりしてて、なんて言われたけどやっぱり高遠さんの傍にいたい。
見ていたいし触れたい。
なんで。どうして。私、こんなふしだらになっちゃったんだろう。
台所に向かい、高遠さんの背中にそっと抱き着く。
「わあっ! ……だめですよ、白鷺さん。料理中は火も扱うし包丁も扱うから危ないです」
優しく引き離されてしまった。
しょうがないので高遠さんのゆらゆら揺れる尻尾を見つめる。
……触れたい。でも確かに料理中は危ないよね。高遠さんがケガしちゃうの、嫌だ。
耳もピコピコと楽し気に動いている。
よっぽどお料理が好きなのね。
でも、私ももっと構ってほしい。高遠さんの作るお料理は美味しいけど、私、今、すごく。
あなたが食べたい。
……なんてね! なんてね!!
熱くなる顔を手のひらで仰ぎ冷まそうとするも効果は全くない。
そうだ、違う事を考えよう。
高遠さんの腰のラインがセクシーだとか、お尻が引き締まってて素敵だとか
あああああ、だからそーじゃなくて。
とんっ。
目の前には温かいココア。
「どうぞ」
目を細めて微笑む高遠さん。
――ああ。この顔、凄く好き……。
「……高遠さん、私……あなたが食べたい……」
思ってた事が口をついてでる。
じっと高遠さんの目を見つめる。食べたいの、凄く。
困ったような、照れたような高遠さん。
「俺も、です。俺も白鷺さんが食べたい。でもそれは……食後に、って事で」
えーっ! 肩透かし。
どうぞ私を食べてください、そんな気持ちでいっぱいだったのに。
私がこんなにいっぱいいっぱいだと言うのに、高遠さんはまた料理の続きに戻った。
ずるい。あんなに余裕いっぱいでずるい。
「高遠さん……」
「はい?」首だけ振り返る高遠さん。
「触りたいです……」
「何にですか?」
「高遠さんのお尻尾……」
「あとでね」目を細めるとまた料理に集中しはじめる。
「高遠さん……」
「はい?」今度は振り向かずに包丁で何かを切っている高遠さん。
「触りたいです……」
「はいはい、あとでね」
「高遠さんのお尻……」
ブホッっと盛大にせき込むと一呼吸して。
「あとでね……」
高遠さんの尻尾、ぴんっと伸びて倍ぐらいに膨らんでいる。
これは一体どーいう感情の時に起こるものなのか。
料理に集中する高遠さん、もっと私に構ってください。私をみてください。
「高遠さん……」
「はいはい」
「大好きです……」
ピタリと動きを止める高遠さん。
私に近づき、目をのぞき込む。
美しい獣の瞳が優しく私を見つめている。
「俺も、です。大好きです。……愛してます」
愛なんて言葉、陳腐で嘘くさくて好きじゃない。
でも、高遠さんの言葉は陳腐でも嘘くさくもなく、私の心に温かくするりと流れ込んできた。
うれしい。とても。飛び跳ねたいぐらいに嬉しい。
「高遠さん……」
「はい」
「お鍋、ふきこぼれそうです……」
うおっ! と短く叫びお鍋の火を弱める。
お鍋なんかより、私を構ってくださいよー、と思ってたりもするけど。
お料理する高遠さんもセクシーで見てて飽きないので仕方がない。
さてさて。私は『愛』を信じて静かに待ちますか、なんて、ね。
回避回避ィィィィ!(何)
読んでくれてる人がいるようで嬉しい。そして恥ずかしい。
心から感謝をこめて。