涙カレー
まいったな……。
こーいうのは本当に困ってしまう。
抱きしめる腕はぎっちりと腰を掴み、彼女の意志とは関係なく否応にも密着せずにはいられない状況。
一方の手は徐々に下がり……スカートの中へと侵入しているし。
ちょっと……太もも撫でるのやめてもらえないですかね? というか、太ももより先に進まれるのはさすがに困るというか。嫌だというか。
ふぅ……ため息をつく。
だから飲み会なんて嫌なのよ。
しょうがないので耳元で囁く。精一杯甘ったるく。
「……田中さん……こんなところじゃ嫌……」
名前、実はうろ覚えだけど。確かそんな名前だったよね?
そこでやっと田中が私を見つめた。期待に目を輝かせて。
「あ、じゃあ白鷺さん、今から俺んちこない? ホテルでもいいけど……」
「田中さんちのお部屋、きっと素敵なんでしょうね」と意味ありげに微笑んでみる。
「あ、ここで止めてください」
家の近所のコンビニまできたところでタクシーから降りた。
お酒のせいで火照った顔に夜風が気持ちいい。
会社の飲み会というのは本当に断りずらい。何度も何度も断ってるだけにさすがに今回は断れなくて出てみたが……まさかトイレの前で待ち伏せされ、急に抱きしめられるとは思いもよらなかった。
全く。酔っているとはいえ場所は考えてほしい。
まあ場所を考えたからと言っても私にそんな気は毛頭ないのだが。
とりあえずは「二人で抜け出そう」的な雰囲気にもっていき、「田中さん先に行ってて? 私、後からお店出るから」とかなんとか言って……店の裏口からこっそりでた。
店員さんに「嫌な男を巻きたいんで裏口から出させてもらえませんか?」といったところ快く了承。
裏口から大通りまで走り抜けタクシーを拾い速攻帰ってきたというわけだ。
「まったく……予想外の出費だわ……」
「白鷺さん~。」
あら。獣っぽく音もたてずにしなやかに走ってくるあの虎獣人は高遠さん。
「あら、高遠さん。こんばんは~。コンビニですか?」
「あ、いえ……それより今日は白鷺さん遅いんですね?」
高遠さんとは何故か晩御飯を一緒に食べる仲。
――あ。
「ご、ごめんなさい! 私ったら! もしかして心配してここまで見に来てくれたんですか!?」
「ああ……どうしたのかなあ、と。」
「わぁ……本当にすみません……連絡ぐらいいれるべきでしたよね……って……」そこで気づく。
――私、高遠さんの電話番号知らない。
「……あの、連絡先教えてもらえますか?」
「ああ、そうですね。白鷺さんも教えてもらえますか?」
気に入らない。全くもってイライラする。
最初は気のせいだと思ったが……いや、気のせいだと思おうとしたが。
気のせいではない。
彼女からオスの匂いがする!
いつも通りの彼女。だが、一体彼女は他のオスと何をしていたというんだ!
もちろん! 恋人でもない俺が! それを! 言う権利はない!
イライラとしながら探りを入れてみる。
「また会社の付き合いですか?」
ちょっと言葉がとげとげしくなるのが自分でもわかるがどうしようもない。
「そうなんですよ……何度も断ってるの断りづらくて……」とため息をつく白鷺さん。
会社の付き合いでなんでオスの匂いがつくんだ! 彼女は嘘をついてるのか!?
胸がムカムカする。自分でも攻撃的になっているのがわかる。
今なにかを言えばその言葉はきっと白鷺さんを傷つけてしまうだろう。ぎゅっと拳に力をいれる。
「高遠さん、今日の晩ごはんは何ですか?」
無邪気に笑顔で問いかける白鷺さん。そんな彼女にドキドキする……いつもなら、だ。
今日は無性にイラッとくる。あり得ない、この愛らしい笑顔にだぞ?
「白鷺さん、食べてきたんでしょう? 無理しなくてもいいですよ」
「あ、いえ……そんなには食べてないんですよ。ちょっと色々ありましたし……」
色々ってなんだよ!!
って、怒鳴りそうになった。勿論、俺にそんな権利はない!
ピリピリしてるのがわかるのか、俺の顔色を伺うような白鷺さんにイラッとする。
アンタは俺の顔色を伺う必要なんてないだろ!
いつも温厚な高遠さんが……怒っている……。
私に心当たりはないのだが、明らかに私に怒っている……。
実のところ私はよく他人をイラつかせるようで。
学生時代もいつの間にか女子に嫌われていたり。男子からはチラチラ見られたりはするもののなんか妙な距離をとられたり。
そんなこんなで人間関係がとても苦手だ。だが。高遠さんとは上手くいってると思っていた……。
てくてくと高遠さんと歩く……無言で。
いつもなら心地よい高遠さんとの時間がこんなにも息苦しく感じる。
私のアパートに近づいてきたので勇気をだして話しかけた。
「……あ、の! 今日はもう遅くなっちゃったし、このまま帰りますね……」
どうにか笑顔を作ろうとするも上手くいってるのかどうかわからない。
「飯喰いにくるんじゃないんですか? 色々あって? 食べれなかったんでしょう?」
でも……と言葉を口にする前に高遠さんに腕をつかまられ引っ張られる。
私のアパートを通り過ぎ高遠さんの家の前まで。
鍵を開け、扉を大きく開き「どうぞ」と促される。
漂うカレーの匂い。帰るに帰れない雰囲気とカレーの匂いにつられ、いつものようにお邪魔しますと呟き上がり込む。
しかし。こんなにも怒っている高遠さんはどうしていつものように私に晩御飯を御馳走してくれるのだろうか……?
いつものように椅子をひいてくれる。
いつものように目の前に料理をだしてくれる。
今日はカレーとサラダとコンソメスープ。
いつもと違うのはずーっと無言なだけ。
「……いただきます……」
ピリピリとした空気の中、カレーを一口パクリ。私のうちの味とは違うカレー……でもやっぱり高遠さんの作る料理は美味しい。
「カレー、美味しいです」と、引きつってしまった笑顔を高遠さんにむけるも高遠さんは私の顔なんて見ていない。
「カレーは誰が作っても美味しく作れるようにできてるんです」そっぽ向いて冷たく答える高遠さんはいつもとは別人のよう。
目の前が歪んでくるのがわかる。
「やっぱり、私、かえります、ね……」
立ち上がり玄関に向かう私の腕を高遠さんに掴まれてしまった。
「どうしてです? まだ食べ終わってないじゃないですか?」
「……」
「本当は口に合わなかったんですね?」
「……」
「……白鷺さん?」
掴まれた腕をぐいっと引っ張られたせいで、高遠さんの正面に向きを変えさせられてしまった。
「えっ!? 白鷺さんなんで泣いてるんですか!?」
「泣いてません……」明らかな鼻声、涙が目からボロボロとこぼれ落ちる。
「泣いてるじゃないですか!?」とオロオロとする高遠さん。
「泣いてませんし、帰るので離してくださいっ!」
「こんな状態でこんな時間に一人で帰せるわけないでしょう!? ……ていうか……」
フーッとため息をつく高遠さん。
「俺のせいですよね、すみません。ちょっと……感じ悪かったですね、俺」
そういって頭をポンポンッと叩いてくれた高遠さんはいつも通りの優しい高遠さんだった。
――なんで――
「……なんで怒ってるんですか~! 理由を教えてくださいよぅ~!」
いつもの優しい高遠さんに安心して大泣きしてしまった私。
オロオロする高遠さんをみて、ますます安心して涙が止まらなくなる。
理由……ってもね……。
大泣きしている白鷺さんを前に、俺は大変困った状況に立たされている。
言えるわけがない、言う権利もない。
アンタが他のオスと一緒にいるのが嫌だ。他のオスに体を触らせないでくれ。他のオスの匂いなんてつけてこないでくれ! 俺のそばにいてくれ!……なんてどうして言えるだろうか。
まあとりあえずは。
白鷺さんを引き寄せてギュッと抱きしめた。
「た……か、とおさん?」不思議そうに見つめる白鷺さんの頭を優しく撫でる。
下心を隠し、慰めるフリ。
安心して俺の胸に頭を預ける白鷺さんに俺は喜んでいいのか悲しむべきなのか。
彼女が安心するのは俺に心を許してくれるから、彼女が俺に安心するのは俺を意識してないから。
会ったこともないライバルの匂いを俺の匂いで消し、決心する。
俺は彼女を。白鷺さんを誰にも渡したくない。渡さない、と。
カレーの隠し味にチョコとかコーヒーとか言われてますが、まあカレーはその箱に書いてある通りに作れば普通に美味しいですよね。とは言え、家庭によってそれぞれカレーの味が違うというのもカレーの奥深いところ。