沈没船の見る夢
私はかつて、軍艦だった。第二次世界大戦期に生まれ、戦禍を被り不幸にも敵にやられてしまい、沈没した。
――が、私はまだその時生きていた。確かに沈没はしたが、まだ船としては生きていたのである。そうして私はいつからか、こうして意思を持つようになった。
おそらく、私の生まれた極東の言葉では付喪神という奴だろうと思う。人の性質を得た器物。だが、それもこの深い海の底じゃ無駄なことかもしれない。私はここから上の世界を知らないのだから。
仮に人の姿になっても呼吸はできるが、浮上はできない。船になった時にできないことは人間体になってもできないのだ。だからこそ、私は普段は船として生活している。こっちの方が気楽だし、何よりいいことづくめだからだ。
それは、私の体の中に多くの魚たちが訪れるということだ。彼らは私の中に暮らしている。沈没船に魚たちが巣を作るのは珍しい話ではない。
私は案外、それが気に入っている。
かつて私は命を奪う兵器として生まれた。軍艦とはそういうものだ。
けれど今、私の中で命が育まれている。それはどれだけ素敵なことだろうか。
私はかつて奪ってきた命以上に今あるこの命たちを守りたいと思う。私のこの船としての体はそれにうってつけだ。力のない魚たちはここに避難してくる。だからこそ、私はずっとここにいるのだ。
確かに、外の世界にも興味はある。だが、私がここからいなくなってしまってはそこに住んでいる魚たちはどうなる?
決まっている。危険な環境に放り込まれ、力のない者たちから死んでいくだろう。それは、私にとって最も避けたいことだ。
……私はやはり、ここに留まることにした。少なくとも、ここにいる魚たちが全員安全に暮らせるとわかった後で、外に行くとしよう。
確かに私は人殺しの兵器として生み出された。が、今の私は違う。多くの生き物たちの安全な住処となり、同時に命を育むゆりかごでもあるのだから――。