恋はいつのまにか
私はとぼとぼと歩いていた。すると、後ろから声をかけられる。
「吉野ちゃん?」
私が振り向くと、そこには穂積のお父さんの早良深積さんがいた。深積小父さんは世界的に有名な指揮者だ。世界中を飛び回っている。
「小父さん。こんばんは。」
私はぺこりと礼をして挨拶をする。穂積はどちらかというと母親似で深積小父さんにはあまり似ていない。
「こんばんは。今、帰りかな?」
「...はい。そうなんです。小父さん、日本に帰ってたんですね。」
私は穂積のことを言うわけにもいかないので、学校帰りということにした。
「7月上旬はこっちにいるよ。ほら、七夕があるだろう。」
深積小父さんは優しく微笑む。顔は似ていないが、よく笑うところは穂積に似ている。もう七夕か。七夕はいつも、私の家族と穂積の家族でパーティをしている。早良さん一家が引っ越してきたのが、七夕なのだ。その記念に七夕はパーティをする。バーベキューをしたり、流し素麺をしたり、ちらし寿司だったり年によって違うが。
「あー。もうそんな季節なんですね。」
「吉野ちゃんは、彦星様は見つかった?」
深積小父さんはからかうように言う。深積小父さんも知っているのだろう。素敵な恋をしたがってる私のことを。
「いやあ、まだですね。」
私は苦笑して答える。
「吉野ちゃんの彦星様はどんな人なんだろうねえ。吉野ちゃん、恋なんていつのまにかしてたりするもんだよ。一生懸命生きてたらいつのまにか誰かに恋してるんだ。僕はそうだった。」
深積小父さんは少しうっとりという。恐らく奥さんの杏里小母さんのことを言っているのだろう。深積小父さんは奥さんととても仲が良いから。私の周りは幸せな恋をしてる人が多い気がする。私の両親とか、私の叔母とか、私の祖父母とか。だから、私は素敵な恋に憧れたのだけれど。
私が家に帰って居間に入ると、そこにはお母さんとうんざりした顔の飛鳥がいた。
「あら、お帰りなさい。吉野さん。待っていたのよ。」
お母さんは朗らかに微笑んで言う。
「ただいま。私、ちょっと疲れたから部屋にいるね。」
私が居間を出ようとする。正直、今は一人になりたかったのだ。
「お待ちなさいな。吉野さんに大切なお話があるの。」
私はしぶしぶ飛鳥の隣に座る。お母さんは私に何かを差し出した。それはお見合い写真だった。
「なんです、これ。」
「お見合い写真よ。ほら、吉野さんいつも素敵な恋がしたいって言ってるでしょう?でも、吉野さんは女子校育ちだし、男性の知り合いっていないだろうから、お見合いしかないかなって。私とお父さんもお見合いだったのよ。ね、会ってみない?すぐに結婚てわけじゃないの。」
「お断りします。申し訳ないんだけど、今は恋とか考えられないし。」
私は自分の正直な気持ちを言う。今は素敵な恋よりも穂積のことで頭がいっぱいなのだ。お母さんと飛鳥は顔を見合わせて驚いたような表情を浮かべる。
私は部屋に戻ると、ベッドに寝転がる。穂積は昔からにこにこと愛想のいい奴だった。私は穂積の絵の描いてる姿を見るのが好きで、よく隣に座って見ていた。穂積は魔法使いみたいに見たものをより魅力あるように描く。
『吉野。吉野が側にいてくれると、筆が進むんだ。ずっと側にいてよ。』
私たちが高校の頃だろうかそう言われた。今思うと、あれは告白に近かったのかもしれない。
『うん。だって穂積は大切な幼馴染みだもの。ずっとずっと一緒ね。』
私の答えは能天気なものだ。そのくせ恋をしたがる人間なのだから、そりゃ穂積も腹が立つってもんだろう。
「吉野。入るぞ。」
部屋の扉が開き、入ってきたのは飛鳥だ。
「飛鳥。どしたの。」
「お前さ、穂積となんかあっただろ。穂積がお前にキスしてお前が激怒したってことしか聞いてないんだけど、まだなんかあったのか。」
私はそれを聞いて目を見開く。そして納得した。飛鳥は私の双子の兄だが、穂積の幼馴染みで、親友なのだ。親友に相談したというのも頷ける。
「うーん、あったというかなんというか...」
私は飛鳥に全部話した。謝られたこと、告白されたこと、距離を置こうと言われたこと。飛鳥は難しい顔をする。
「俺はさ、吉野と穂積、どっちの気持ちもわかるよ。お前は夢見がちだけど、お前が夢見がちに育ったのは教育環境もあるしな。父さんも母さんも五條ちゃんも夢見がちに育って欲しかったんだから。素敵な恋をしたがる女の子に。女子校に入れて、素晴らしい良いお嫁さんになれるようにした。それは悪いことじゃないと思うよ。みんな、お前の幸せのためにしたんだから。」
「それに私もそれを望んでるもの。私の夢は素敵な恋をして、良いお嫁さんになって未来の旦那様を支えることだよ。穂積のことがあっても変わらないけど。でもね、穂積から離れるのは嫌なの。」
私は自分がどんなに傲慢で我儘を言っているのかよくわかっていた。飛鳥は呆れたように私を見ている。
「馬鹿だなあ。あと、甘ちゃんめ。それが叶う方法教えてやろうか?これは言うのはやめようと思ったんだけどな。...穂積を素敵な恋のお相手にしたらいい。」
飛鳥は厳しい顔で言う。私が何かを言う前に飛鳥が口を開く。
「お前が穂積を恋愛対象に見れないのは、知ってるよ。穂積も知ってる。穂積はだからお前を諦めるために女とっかえひっかえしてたんだしな。あの最後の女覚えてるか?お前にそっくりだった。女子校育ちで夢見がちで、家族に甘やかされて愛されて大事に育ってきた子。なあ、どう思った?あの女見て穂積になんて言ったんだ。」
飛鳥は問い詰めるように言う。そんなに厳しい言葉ではないが、私にはがつんときた。穂積の最後の彼女。私が穂積を縛ってると言った人。私は今まで穂積の彼女に嫌悪感を抱いたことはない。ただ、真面目に向き合わない穂積とよく付き合えるとは思ったが、でも、あの最後の彼女。彼女だけは別だ。彼女は何故だか私は好きにはなれなかった。穂積には言わなかった。彼女に苦手意識を抱いていること。でも、穂積は聞いたのだ。彼女のことどう思う?と。
『悪い子じゃないんじゃない?いつもの穂積の彼女とはタイプが違うなとは思ったけど。』
『ああ。そうだね。うん、やっぱりそう思うんだ。』
穂積はなんだか様子がおかしかったが、私は何も言わなかった。
「穂積はなんで私なんか好きなの。今聞いてたらそんな要素ないんですけど。」
私はため息まじりに言う。飛鳥は私と同じようにため息をつく。
「そこはまああいつも芸術家なんだろうな。」
飛鳥はよくわからない答えを言う。私は小首を傾げる。飛鳥は私の頭をぽんぽん叩いて部屋を出て行った。私は飛鳥が出て行ってから、一つのアルバムを取り出す。そこにはポストカードが入れられている。穂積が書いたものばかりだ。穂積は私の誕生日やクリスマス、七夕にはいつもポストカードをくれた。私はそれを大切にアルバムにしまった。
私が穂積から離れたくないというか離れるつもりがないのはなんでだろう。多分、大切な家族同然の幼馴染み。それもあるが、それだけではない。穂積はいつも優しく微笑んでそばにいてくれた。それを離すのが惜しいのだろうか。