四話 第七皇女 シャインティア・アスティーナ
少女との命のやり取りの時に居た場所は、気を失った場所と殆ど変わらなかった。
小川の水が流れる方へ行くことにする。
ここで判断を間違えたら確実に死ぬ、と思える程に、現場は切羽詰まっている。
急がないといけないけど、何も残っていない草原に、後ろ髪を引かれてしまう。
せめて骨の欠片でも残っていないかと思って振り返ってみるが、残っているはずもなくーー
「紙?」
ひらひらと風にたなびく紙があった。
それを拾い上げ内容を見るとさっきの地図と異世界語が羅列された書き置きだった。
「……期待させるなよ」
どうやら、無礼を詫びた文だったらしい。
謝罪の言葉と、地球に置き換えると常識に毛が生えた程度の基礎知識が書いてあった。
名前と、綺麗な言葉遣い、整った文字から見て、その国の王女や王の娘とかの地位の人だろう。
無礼だとわかってるなら、三ヶ月くらい自宅警備の仕事くれてもいいのにね。
「……これ書いてくれた人と結婚しよ。えっと……やっぱり下流には街があるのか」
大雑把に描かれたこの辺を指すであろう地図には、召喚された場所から、山を超えて、すぐ近くにある小川を下流に進め、と矢印で示してあった。
なんだかんだ言って、方角は合っていたみたいだ。
実筆のサインが入っているため、何かに使えるかもしれない。俺はよく分からない言語に埋められた紙を、懐のポッケに仕舞う。
ーーなんで文字が読めているのか。
いや、読めている、というのは多少の齟齬が生まれる。どちらかというと、理解できるのだ。文字の意味が。文法がおかしい時があるが、それは自力で日本語に変換するしかないようだ。
そしてなぜ、か。恐らく、エールか召喚の時に組み込まれた何かなんだろう。テンプレ的な考えで間違えはないはず。
今頃になって理解できるようになったのは、恐らく異世界になれてきたからだろう。
推測に落とし所を見つけたので、俺は川を下った。
★
五分ほど歩くと、木造り、石造り、煉瓦造りといった、地球では一つ前の時代くらいに重宝されていた気がする技術で作られた家々が並んでいた。
石畳の道に馬車のような乗り物、自転車がごった返し、馬車が入れないような路地には小店が立ち並んでいて、そこには、人が行き交っている。
どこに行っても人がいるため、軽い接触が多く、傷口に当たる度に苦痛に顔を歪める羽目になる。
「早く診てもらわないと」
田舎育ちだったため、昂ぶるのもあるのだが今回は止む得ず諦める。
どんな原理かわからないが文字が理解できるため、背伸びしてあたりの看板に目を凝らす。
しかし、赤十字や、注射をモチーフにした看板も、それ以外の医療に関係がありそうなものすらない。
仕方ない、人に訊いてみることにしよう。
まずは、あの温厚そうな、ドレスコードを着た女の人だ。
「すいません。この怪我治したいんですけど、病院ってどこにありますか?」
赤黒くなったジャケットの右肩の部分を指差して尋ねる。
「ああ、それならこの先ーーキャァァァ!!」
振り向きざま、にこやかだった顔が傷を見た途端に青ざめ、女性は悲鳴をあげて逃げ出す。
「なっ!?ちょっと!」
引きとめようと伸ばした手は、女性に届くことはない。
「……君、そこの屯所まで来てもらえるかな?」
なぜなら、お堅い制服に身を包んだ大人の人に、手首を掴まれたからだ。
事情聴取で無実が分かるだろうし、病院の場所も訊けるからいいか。
むしろ都合がいい状況だ。俺は手を引かれ、小さな小屋のような所に連行されたーー
「待って!」
はずだったのだが、高く澄んだ声に呼び止められる。
「……なんだね?」
「その人は私の連れよ、返してくれる?」
「ちょっ」
ブロンドの髪をかきあげて威圧的に大人の人ーー警官に告げる。
何をどう間違えたらそうなる。
少女の言葉を否定する言葉が溢れかけるが、二人の掛け合いに揉み消される。
「彼には犯罪の疑いがある。君の一存でそれを取り消す事はできない」
至極真っ当な意見だ、これでは付け入る隙はないだろう。
放っておいてくれ、と願いつつも二人のやり取りに耳を傾ける。
「いいえ、それこそ無理ね。彼は放置してると、出血多量で死ぬわ」
真剣な目で俺を見て、事実であろうことを告げた。
俺としては、確かに死ぬと思うけど、もう少し保つと思う。
その言葉に察しの良い警官は、驚愕の表情を見せる。
「まさか、傷の件で質問しただけでは……」
回答を求めてくる警官に、俺は苦笑を浮かべる。
「まあ、そうなんですけどね。身元を証明するものがないんで、直談判の方が説得力があると思った次第です」
「そうなのか、それは悪い事をした」
頭を下げて謝罪をする警官。
少女は満足気に鼻を鳴らし、俺の右手を掴む。
「……へ?」
「さて、それじゃあ行くわよ」
「ちょっと待ってよ、お前の目的はなんなんだよ!?」
人間不信に陥りかけている俺の心は、素性を明かさない目の前の少女を信頼する事ができない。
俺の問い掛けに、少女は不敵に笑う。どうやら訊かれる事を想定してたようだ。
「そうね、あれだけの事があったんだもの」
俺と少女の目が合う。
吸い込まれるような、黄金色の目。
その双眸に見つめられると、本能的に目を逸らしてしまいそうになる。
それほど少女の目は澄んでいて、そして恐ろしい。
「私は、ユウガ・アキミヤ。あなたに興味が湧いたの」
笑みを崩さずに告げる少女。サラリと呼ばれた名前。一見違和感がないように見えるけど、矛盾が生じている。
|俺はこの世界で名前を教えていないんだ。
脳裏に様々な疑問が浮かびは消え、それが重なっていくにつれて不安が高まる。
「何者だよお前……!!」
謎が多すぎる現状。名前が知られている事から、俺が異世界召喚で来た者だとバレているかもしれない。
なんにせよ、脅されたら詰むこの状況。
けど、意外にも彼女は迷う事なく、名を名乗った。
「私はアスティーナ国第七皇女、シャインティア・アスティーナ!」
少女は、国の重要人物だった。
記憶を想起し、残酷な仕打ちを与えた連中と少女を重ね合わせ、頭一つ分小さい少女を睨みつけるが、少女の顔から笑みは消えない。それどころか悲哀の情すら帯びているように見える。
「お前、分かって接触してきたのか」
「ええ、そうよ。だから」
言い切る前に彼女は手を引っ張る。
引っ張られた手の先にある肩が痛んで、力が入らない。だから抵抗できずに少女の方向へ引き寄せられる。
また、命を狙われるのか。
せめてもの逃避に目を固く瞑り、痛みに備える。
「受け容れて」
しかし、待っていたのは優しい抱擁だった。
ーーさっきも、魅力的な言葉に蹴落とされた。
「お前も騙すんだろ!?」
左手で少女を突き飛ばそうとするが、上手く手が動かない。
「大丈夫よ。もう、警戒しなくていいのよ」
それどころか、甘い言葉をかけてくる。
信用できるはずがない。見ず知らずの少女の意図が読めない。
疑念が次々に湧くが、なんでか意識が遠のいていく。
「おやすみ。起きたら、ちゃんと話すわ」
少女に凭れかかるように倒れ込む俺を、少女はしっかりと受け止めてくれる。そして優しい母性的な声が耳をくすぐる。左耳でしか聞けないのが残念でならない。
遂に身体に限界がきたんだろうか。
疑いの思いは相変わらずだが、もう意識は深いところへと消えつつあった。
「っ……なんで……」
最後に何か問いかけようとしたけど、それは途中までしか紡げなかった。
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