28 許さない
周りの住宅がギシギシと嫌な音を立てて揺らいでいる。電柱もグラつき垂れかかり気味の電線も左右に振れている。あらゆるところでアスファルトにヒビが入り、とてもじゃないがあの頃の原型などとうに崩れていた。
「まさかとは思ったが……」
アシュリアが空を仰ぐ。薄暗かった空にある天井がパキパキとひび割れそこから全体に雪崩こんでくる。
あの雪崩に呑み込まれれば恐らく誰も助からないだろう。この町全体に今からそれが押し寄せてくる。そしてそれを行ったのは、銀騎士だ。自殺行為、というよりは道ずれという方が正しいか。
「氷山の中に町を入れ込んだわけではなく、この氷山そのものを創ったのがお前達だったのだな」
神竜の力とは、ここまで多大なものなのか。三年前も、そして今回も、この氷山を維持するため常に浪費する魔力があったに違いない。それだけ使いながら、尚あの魔力量とは恐れ入る。いったいどれほどの神経を削りながら戦ってきたのだろうか。想像するだけでもゾッとする。
「これくらいしないときっと倒せないでしょ」
「なんだ、案外可愛い顔をしているではないか」
兜を外した銀騎士を見て、率直な声をつい漏らしてしまった。不味かっただろうか、騎士道を貫こうとする女性の中には可愛いなどと言われると癪に触ってしまう者も少なからず居る。なによりアシュリア自身でさえ可愛いとかもっと女性らしくすればいいのにとか散々言われてきたので少々心に引っかかりがあったりする。
だが、銀騎士はそんな素振りは見せず、少しだけ口角を上げて
「ありがと」
そう短く言い放った。
少しずつ雪崩込んでくる雪が溶岩と接触し激しい煙が立ち込める。急激に冷やされている効果が確実に表れている。そこから火成岩が姿を現すと更に勢いを増して雪が覆い被さってくる。
「やってくれたものですね」
急激に冷やされ固まる溶岩を纏っているため、次第に身動きが取れなくなっていくヴァラウィルは僅かに眉間にしわを寄せている。
確実に追い詰めることが出来たと、アシュリアは悟った。これ以上の奥の手など、あるならばとっくに出していてもおかしくは無い。むしろ早くしないとどんどん固まって最期には石膏になるという結末さえも訪れようとしている。余裕があるように見えて、実のところ策というものが尽きたのだ。
「だから相性が悪いとあれほど言っていたのに。ベランドも無茶を強いるものです」
ヴァラウィルは体の半分ももう動かせなくなっていた。だからと言って更に炎を熾したところでまた雪によってかき消されてしまう。まさに詰みの状態だった。
「ベランド卿は何を企んでいるのだ?」
ヴァラウィルに近付き、切っ先を額に突き立てたアシュリアは聞きたいことが山ほどあった。だが、もたついていては雪崩に巻き込まれてしまう。恐らく訊けるのは一つか二つがせいぜいだろう。
「報復ですかね、キャルベランに対する」
報復、つまりは復讐ということ。キャルベラン国そのものに強い恨みを抱いている、ということだろうか。
「彼はもともとステイシアの人間だったそうですよ。深くは聞いていませんが」
ステイシアから流れ出たはみ出し者。それがベランドの過去。アシュリアには勿論、誰にでもそういう話や噂が流れたことなどない。それほどに隠したい過去か、忘れたい過去なのか。先代の王が退かれたのも、ベランド卿による画策なのだろうか。
そんな風に思案する最中、ひとり銀騎士は塀に足を掛け民家の屋根に上っていた。
銀騎士は自分には関係のない話だと悟り、最後に白く消えていく町並みを眺めていた。ずっと護ってきたものが見る影もないとなると、やはり淋しく感じ心にぽっかりと穴が空いたように思えてしまう。もう自分には心しか無い筈なのに、それすら薄れてしまうようだ。
「ジヴラシオンももう限界だったんだね」
先ほどからジヴラシオンの魔力を感知することが出来ない。そうでなくてもただでさえ契約を交わしている為、リンクは繋がっている筈なのにまるでそれが外れたようにウンともスンとも反応してくれない。
「私はここまでみたいだよ」
銀騎士の後方で少し魔力のざわつきがあった。
振り返るとアシュリアが両腕を顔の前に翳しながら、後方へ吹き飛んでいた。黒い煙を散らしながら。
そこから先はまるでスローモーションのように私の身体は勝手に動いていた。
ヴァラウィルが血に塗れた左手を庇うようにして右手で最大限の魔力を溜めている。火成岩のせいで動けなかったヴァラウィルは自身の左手でひたすらに身体を覆っていたソレを殴り壊したのだ。なんの躊躇も無く、左手は当然のように再生できないほど形を保っておらず。少し身を乗り出せればあとは火球を放ってアシュリアを遠ざけ、その瞬間に飛び出す。
誰も見抜くことはできなかった。ヴァラウィルという男の執着心は異常を喫しているということに。
全てを無にしないばかりのありったけの炎弾を放つ。銀騎士はその炎弾をアシュリアの倒れ込む雪の隙間から魔力を熾し、雪の壁を創り上げた。だが、ヴァラウィルはそんな邪魔立てが入ることは織り込み済みだと言わんばかりに次の行動へ移っていた。
「っ!?」
黒獣へと姿を変えたヴァラウィルは使い物にならない左前脚の激痛などものともせずアシュリアめがけて駆け出していた。銀騎士はその姿を知らなかった故に驚きはしたものの。何故か表情には余裕があった。
私が最期でよかった。
アシュリアへ飛び掛かる黒獣。肝心のアシュリアは身体が限界を超えていたせいかいう事を聞いてくれない。
ここで終わりか。両親は自殺、ディアに力は戻らず屋敷は燃えてセネカも未だ行方不明。挙句ベランド卿に騙されていた私の人生はいったい、何だったのだろうか。散々ではないか。力などいくらあっても、無駄じゃないか。
苦渋に涙を浮かべたアシュリアを見て、躊躇したのは何故か黒獣と化したヴァラウィルだった。僅かに眼が見開かれた。
動きが鈍ったおかげで銀騎士はその間に入ることが出来た。
「ぐっ! うぅぅ」
銀騎士は肩口を強く、尖った牙で噛まれていた。何故か黒獣はそれ以上でもそれ以下でもない食いつきのまま固まっていた。
「お前は何故、そうまでして……」
アシュリアが涙を浮かべながら震える声で訊ねる。
「ふふ、案外そういう顔が出来るとこ、可愛いね……ぐっ!」
さっきの仕返しと言わんばかりに笑みを浮かべていた銀騎士も、さすがに痛みには己を騙すことはできない。
「ふーっ、ふーっ!」
息を荒立てる黒獣は何故か今まで以上に取り乱していた。それがどうしてなのかはアシュリアにも銀騎士にも分からない。肩の骨は恐らく噛み砕かれていることだろう、それでも銀騎士は臆しない。命が尽きていいとも考えていた。
「おい」
この上なく低い声が聞こえた。痛みで視界がぼやけている銀騎士にはそこに誰かが居ることだけは分かる。黒獣を後ろから掴み力を籠める。
噛みつく力が弱まると、銀騎士と黒獣を引き離し地面へと叩き付けた。
「雹華に何してくれてんだ!!」
誰よりも望んでいた相手、生きる糧と言っても過言ではないそんな存在が目の前にあった。好きな女の子がボロボロになってまで、そこに立っていた。
髪の毛は黒から白に変色してしまっていてもリキヤには、里山力哉には分かってしまう。堪らなく愛おしい存在が、ここにいるんだと、それだけで報われてしまいそうになるほどリキヤの心は軽くなっていた。
けれど余韻に浸っている余裕はない。
竜崎雹華をこんな目に遭わせた奴を、アシュリア・ロージャを泣かせた奴を俺は。
「俺たちはッ!」『僕たちはッ!』『あたしたちはッ!』
「『『許さない!!』』」




