23 嫌われの守護
ジヴラシオンは姿かたちこそ竜そのものだが、さすがに神と呼ばれるだけあって人間の言語は知っているようだ。だが、口から発しているわけでもないのに声が聞こえてくると言うのは腹話術でも見ているかのような違和感しかない。
「久しぶりも何もこっちは記憶ってのが混濁してるのよね」
セネカは自分の知らない自分を知られているということに拭いようのない気持ち悪さを表情に醸し出しつつ受け答えをする。ヴォルガーナという名前が真名というのなら、セネカ・ロージャとして生きてきた自分よりその前のヴォルガーナとしての自分がいったいどういう存在でどんな性格をしていたのか。それに転生、と言ったジヴラシオンの言葉がどうにも引っ掛かる。竜としての姿が本来の姿ではないのか、人間に『化けた』ではなく『転生』という言葉を選んだあたり、カラクリがありそうだ。
『そうかぁ、どうりであの頃とイメージがだいぶ変わったなって思ってたんだ。うん、断然そっちの方がいいよ、僕も人間に転生すれば良かったなぁ』
腕を組んでひたすらに頷くジヴラシオンの姿はどうにもシュールすぎてリキヤは顔が引き攣る。
何故だろうか、もう少し偉そうなイメージがあったというか……古風な話し方とかしそうだなぁ、みたいな気がしていたのに威厳も何もない。異形な存在なのに妙に親近感が沸いてくるというか、ギャップがありまくるというか、とにかくリキヤの中にある竜の確固たる勇ましさは瞬く間に崩れ去っていた。
「えっと、神竜ジヴラシオン! ……さん! 俺たちは別にここを荒らそうとかそんなことは思ってないんです」
リキヤは声を張り上げてこちらに敵意がないことをアピールする。
『あーダメダメ。そんな堅っ苦しい感じはナシにしてくれない? なんか気持ち悪いんだよね、崇めても無いのに形だけみたいなのとか。無理無理』
ジヴラシオンは顔を横に振りながら右手をひらひらと左右に揺らす。なんというかいちいちオーバーリアクション過ぎるのは別に責めないが、動くたびに突風が起こり少し迷惑だ。
「じゃあ、俺はこの場所に見覚えがある。だけど俺の認識が正しければこの世界には本来あってはいけないものなんじゃないのか? この場所はいったい何なんだ?」
リキヤの問いかけにジヴラシオンは鋭い目つきを更に細く睨みを利かせた。そのギョロリとした目玉はまるで獲物を見ているかのようにも思える。堪らずリキヤは息を呑む。
『へぇ、君はこちらへ飛ばされた側なんだ。そりゃ驚いた……、はてはてどっかで見た記憶があるけれど…………うーん流石に思い出せないかな』
その瞬間、明らかに空気が変わったことを悟った。うまく言葉に出来ないリキヤはとにかく身構えた。その空気を感じ取ったのはセネカも同じで気持ちの悪い汗が噴き出す。今までは幾らか友好的な感じを取れた。だけど、ジヴラシオンの中の魔力が何故か突如として熾された。明らかに何らかの動きを見せてくることは確実だ。
『悪いけれど、それは教えられないね。記憶を失くしたヴォルガーナならいざ知らず君なんかに教えて何のメリットがあるのさ。それに僕は今、理から外れている身だからね。あの子を悲しませる者は全員殺すのさ』
ジヴラシオンは口を大きく開き、冷気を放つ。
リキヤは瞬時にセネカの手をとりその場から思いっきり上空へ飛ぶ。先ほどまでリキヤたちが居た道路の上は完璧に真っ白な霧情に包まれ氷雪された地面が一瞬にして出来上がっていた。
ゾクリ。
セネカを抱き留め下を見るリキヤ、その存在をジヴラシオンはしっかり視認していた。口から残りの冷気を漏れさせながらも鋭い眼光は確かに上空で安全を確保したかに見えたリキヤたちをしっかりと捉えていた。それなのに手を出しては来ない。ただただリキヤを見て口の端を吊り上げているだけのジヴラシオン。その表情からは「いつでも殺せる」という強いメッセージ性があるようにも見えて恐怖した。
目を合わせている時間がまるで止まってしまったかのように長く感じた。だが、先に動き出しのはリキヤだった。
帯電させた金属バットをジヴラシオンに向かって投げおろした。片方の手にいつまでも持っているわけにはいかず、持って戦うのは不可能で勝ち目がないということが分かってしまった。こちらの動きが捉えられようと、それに通ずるだけの動きがジヴラシオンに出来るかまでは分からない。もし行動そのものが遅ければまだまだ戦いにはなるだろう。そう自分に諭そうとした。
だが、金属バットが当たりそうになった次の瞬間ジヴラシオンがその場から姿を消し、光の差す氷山が曇りでもしたのか、辺り一面が暗くなる。
宙を舞うリキヤとセネカの後方に覆い被さる姿に、目を見開いた。
『数年前に味わった速さを捉えられない僕だと思っているあたり、もう負けなんだよね』
振り下ろされた腕がリキヤとセネカを地面に叩き付けんばかりに二人をはじき出す。
「っ」
声も出せない勢いで直下に叩き付けられそうになる寸前、右手を横に伸ばしたリキヤはそちらの方へ瞬時に引き寄せられる。掴んだのはジヴラシオンに当てる筈だった金属バットが民家の屋根につき刺さっていたものだ。木端微塵になる一歩手前で磁石のように引き寄せあい、どうにか勢いを殺したリキヤはセネカを胸に抱き留めたまま屋根の上に倒れる。
空には滞空し続けるジヴラシオンの姿がはっきりと目に映り、安堵の息を漏らす。すぐにまた責められていたらどうなっていたか。どうやら向こうもこの一手で片付けられると踏んでいたのだろう。呆気にとられていた。
『雷ってのは随分と厄介な属性なもんだねぇ。おまけに人ってのはそれを展開させる知恵を考えるから油断できないもんだ』
『ま、だから滅びるんだけどね』
翼を折りたたんだジヴラシオンは民家も立ち並ぶ住宅街ともいえるこの場に向かって滑空。
「逃げろ!!」
臆することなく跳躍したリキヤの離れていく背中を見て、思考がどうやっても追いつかないセネカ。どうしてあんな相手に立ち向かえるのか。どうしてその小さい背中に何もかもを背負おうとするのか。理解できない、分かってあげられない。失うのが怖い、私を受け入れてくれたあの人が消えてしまう。
『へぇ、逃げないんだ』
ジヴラシオンは勢い増して空気を切り裂きにくる。一度あれを喰らえば、いくら神竜の魔力を纏っているリキヤであろうとひとたまりも無い筈だ。所詮は人でしかないリキヤと神の名が付く竜とのぶつかりあいで、人の勝利はきっと希薄だから。
「だめ……」
立ち向かってはいけない。そのセネカの声は既にリキヤに対して届かない距離にあり、何を言ってももう手遅れだ。
「だめ!!」
セネカの叫びがリキヤの頭の中で響き渡り纏っていた力がたちまち消失していくのが分かった。
空に向かっていたリキヤがしばらく空中で止まり、魔力を抜かれたリキヤは全身に力が入らず風と重力に身を任せ次第に落ちていく。
『なーんだ、人間の方は魔力が全くないじゃないか』
ジヴラシオンは腕を曲げ、空中にいたリキヤを地面へ弾き飛ばした。体内に魔力が残っていないリキヤは太刀打ちできず、一瞬の痛みを覚えそして地面が割れるほどに叩き付けられた。
「あ――――」
まただ。やらないと決めていた魔力を吸い上げる行為を、自分はまたやってしまったのだ。その愚行をまたやってしまったと、気付いた時にはジヴラシオンが目前まで迫っていた。
「あああああああああああああっ!!」
リキヤを自らの手で殺めたも同然ではないか、とセネカは溢れ出る涙の行き場もなくそしてジヴラシオンが自分の命を奪いに来ていることも、もうどうでもよかった。
あたしはここで終わるんだ。
静かに眼を閉じた。それでも溢れ出る涙は枯れようとしてくれない。
こんな感覚を昔、味わったことがある。
「何を泣いておられるのですか」
眼を開けると、顔に傷のある渋みのある顔をした兵士が眼前に立って泣きじゃくるあたしの顔をそぐわない心配そうな顔をして覗き込む。
「泣いてない」
一応は強がってみる。
「兵士如きに慰められたら余計に悲しくなるわよ」
この男、確かトウドウとか言ったか。時折屋敷へ来てはお姉ちゃんたちと難しい話をしてお姉ちゃんたちもまた招集の為にキャルベラン城へ出向いてしまったりと、こいつが来ると最悪な状況しか訪れない。
「こらこら、あんまりトウドウをいじめないの」
ディアお姉ちゃんが困った顔をしながらあたしの事を咎める。
「ごめん、なさい」
トウドウという男を見ていれば嫌でも分かってしまう事だけど、コイツはディアお姉ちゃんに好意を寄せている。時々そういう態度や顔に出てしまう部分を見せつけられてはイライラが溜まる一方だった。お姉ちゃんもお姉ちゃんだ。過去にも言い寄る男は何人も居たのに告白されるその瞬間まで全然気付かないで、男側の方が逆に不憫に思えるほど鈍感すぎる。アシュリアお姉ちゃんもディアお姉ちゃんほどではないにしろ、こちらも少し鈍感さが際立つ。そもそも恋愛などにうつつを抜かす暇など無い、とぶった切りにする辺りはまだ対抗意識は働いているだろうけど、ディアお姉ちゃんのそれは魔性すぎた。
「とーどー、あそぼー」
近所の子どもにやたらと好かれやすいトウドウ。ゴツい見た目にやはりそぐわない。初めて見る子どもはだいたいトウドウの顔を見て泣きわめき、毛嫌いするのだけどそこから挽回するのだからトウドウの子どもをあやす能力だけは賞賛に値するだろう。
「亜人のくせに」
その当時は、兵士の格好をしている者は異端であるという風評があった。この世界に連れて来られて使い捨ての駒からワンステップ這い上がった者たちがなれる兵士という存在は、まだ国中には広まってはいなかった。
「セネカ様も外へ出てみてはいかがですか」
二階のテラスから優雅に外を眺めていた矢先に下から声がして覗き込む。屋敷の庭で近所の子どもたちとトウドウが遊んでいるという何ともおかしな光景が見えるが、その中に混ざって遊ぶ自分の姿を想像すると自然と口がへの字になってしまう。
「あたしはいいわよ」
姉の力が消失してから経過観察か何か知らないが、より一層屋敷に顔を出すようになったトウドウ。アシュリアお姉ちゃんはディアお姉ちゃんを越えようと以前よりも頻繁に戦場へ赴いてしまう。聞いたところによるとトウドウも近いうちに昇格するという噂を聞いた。
「せにかちゃんもあそぼーよー」
「うっさい! あたしの名前をちゃんと言える様になってから出直しなさい!」
テラスから声を散らすも、子どもたちは怯むことなく笑っている。ふん、腹立たしい。
舌を出して手すりから離れ室内に戻り手を二回叩く。すると部屋の扉を三回ノックする音と共に少しだけ開かれる。
「お呼びでしょうかお嬢様」
「ルティ、今すぐあいつらを追い出し…………」
途中で言葉を失ったセネカを見たルティは少し表情を曇らせながら、
「如何なさいましたか?」
一度テラスの方を見ると外から子どもたちの楽しそうな声が聞こえてくる。
なんか、あたし一人だけバカみたいね。
セネカはため息交じりにソファに座ってカップのミルクティーを飲み干して、
「淹れて頂戴」
「かしこまりました」
その時だけ異様に笑顔だったルティにはあえて口出しはせず、「ふん」と後味の悪そうなセネカの声がそっと部屋に染み込んだ。




