8 残酷な夢に合わせた現実
目覚めると、そこには力哉が最も望み、見慣れた光景があった。
フカフカの枕、ほどよい反発のあるベッド。あまり綺麗とも汚いとも言えない床の散らかり具合、ここはまごう事なく力哉が日常生活を送っている部屋そのものだった。
「あれ、そうか」
全部夢だったのか。そうとう疲れていたんだろうな、俺。
寝すぎたせいか、怠くなった体をやっとの思いで起こしながら力哉は部屋を出る。何事も無かったかのようにいつもの日常が始まる。
随分と長い夢を見てしまった、それも人に話せば笑われること間違いなしの。夢であったと安心しながらも、どこか遣る瀬無い気持ちになりそうだった力哉は額に手を当ててみる。
こうしていても仕方がない。完全に目が覚めてしまった。祝日なのでわざわざ下へ降りることも無いのだが、今日は雹華の家へ行く約束をしていたので重い腰をどうにか持ち上げる。
階下、リビングに行くと既に父親は仕事に行ったのだろう。母が部屋の掃除をしていた――、昨日の後始末だろう。
「あら、おはよう力哉。昨日はよく寝れた?」
昨日見た顔とは打って変わった穏やかな表情で力哉を部屋へと迎える。夫婦が揃わなければ、力哉にとっては優しい親なのだ。母も、父も。
いつもは抵抗をしない力哉だった。それは力哉の性格がとりわけ大人しいからではない。いつかは家族の仲が良くなってくれると、昔のように戻ってくれると、そう信じていたからこそ今までは口を挟んでは来なかった。だが、
「寝れるわけ――――ないじゃないか」
それは酷く冷淡な口調だったと自分でも驚いた。しかしどういうわけだろうか、心の中では驚いているのに、身体がいう事を聞かない様だ。
「毎晩毎晩、近所の迷惑も顧みずに喧嘩ばかり…………おかげで近所の人には蔑んだ目で見られ、学校ではろくに相手にされない。昨日は最悪な夢まで見た」
あれ? どんな夢だったっけ……さっきまでは覚えていたはずなんだけど。
今まで見た事のない表情を母はしていた。それでも口を紡ごうとはしない、むしろ言葉は無限に溢れてきそうだ。
「母さんのことも、父さんのことも好きだった。だから何も言わなかったけど、我慢の限界だ。これまで言ってなかったけど、俺いつかこの家を出て行くつもりだから」
母は床に膝をついた。それもそのはず、今まで親に反抗してくるような素振りは一切見せて来なかったのだ。言われた事はちゃんとこなしてきた。それは両親が好きだったから、期待に応えればいずれは元の仲のいい家族に戻れると思っていたから。信じて期待していたから。
だけど、
「俺が出て行ったあとに離婚でもなんでもすればいい。アンタたちのせいで人生が狂っていくのはもう勘弁だから」
そう言って力哉はリビングから出て行く、二階の自分の部屋に戻るのも良かっただろうが、そうはせず徐に玄関から外へ出る、もうこの家で力哉の居場所が無くなったかのように感じてしまっていたからだ。
「雹華」
そう、唯一今の自分を受け入れてくれる存在。短く彼女の名を口にした。何故かは分からないが、今なら告白することが出来るかもしれない、そう考えていた。
祝日なので、外に出ると人気が少ない通りでも、若干数は通行人が居る。すれ違いざまに近所の人に挨拶をする。
「……こんにちは」
「やだ、里山さんのとこの息子さんよ」「いつも怒鳴り声ばかりで怖いのよね」
「……っ」
悔しさに顔を歪ませながら装備していた剣で先ほど挨拶した近所の人を右斜めに一閃、すると真っ赤な血飛沫が力哉の身体を染めていく。その姿を見て、隣に居たもう一人が「ひっ」と短く悲鳴を上げた。
「はぁ……はぁ……。今度は失敗しなかった……!」
次いで持っていた槍で隣の女性を刺した。傷口から弾けるように噴出する鮮血に満足感を覚えた。
「魔法だって、打ち消せる」
持っていた武器を貫かれた死体ごと捨てて、フラフラと歩き出す。
「あれ? 魔法ってなんだ……まあいいか」
そして雹華の家までたどり着き、インターホンを押す。
「最近、行方不明者とか多くねえか?」
「そうだねー、景気も良くないし」
唯一、力哉の家の事情を知っている幼馴染みの竜崎雹華。力哉が抱えている悩みを誰よりも理解していて、それに親身になって考えてくれる数少ない親友だった。
「ねぇ……リッキーは、本当にこの町から出て行っちゃうの?」
「わかんねぇけど、あの家は絶対に出て行くよ」
テレビを見ながら他愛もない話をしているのが、何より力哉にとって幸せだった。そこでテレビの画面を見て力哉が表情を曇らせる。
「あれ? こいつどっかで見たことあるな……」
「友達?」
そこには最近相次いでいる行方不明者の名前のリストがあった。捜索願もあるからか、丁寧に顔写真まで公開しており写真の横に名前が張り出されていく。
そんな中、一つだけ目を見張るものがあった。
「アキラ……か。いや、やっぱり勘違いだった」
「そうだよね。知り合いだったら余計に悲しいもんね」
何を話していたっけ。そうだ、俺がこの町を出て行く話だった。
「なあ、雹華」
「んー?」
「俺と一緒に暮らしてくれないか?」
この一言を言うのにはかなりの勇気が要った筈だ。なのに、そんなに緊張しないで、それどころか何の躊躇いもなく言葉が出てきた。返事を聞くのが怖い、とかそんな不安要素はいったい何処へ消え去ったのだろうか。
俺は逸らしていた視線を再び雹華へと戻す。
「え――――」
そこに居た雹華は、確かに生きていた……さっきまで他愛のない会話をしていて、たった今力哉が告白をしたはずだった。なのに、
雹華は倒れていた。一面が緑の、草が生い茂っている平原で。全身を矢で貫かれて、身体は既に冷たくなっていた。
遠くでヒュンという風を切る数多の音がした。見ると弓部隊が雨粒のような矢を放っていた。
力哉は倒れ込むように転がっていた死体を自分の位置と入れ替えた。容赦ない矢先が死体を串刺しにする。
「あ……ああっ」
何故、身体が反射的に動いてしまったのだろうか。
その死体は紛れもない、力哉の想い人雹華そのものだった。どうしてこんな愚かな事をしてしまったのか。力哉の頭の中は錯乱状態にあった。
身体が焼ける様に熱い、視界が霞む。頭が痛い、四肢がもげるようだった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」