6 ロージャ姉妹の悲劇「交渉決裂」
雪に足を取られ、人ひとりの体重を支えきれなくなったアシュリアは膝を着いた。銀騎士の体重は決して重いわけでは無い。だが、ただでさえ鎧を纏っている上にアシュリア本人もまた身を護るための武装をしている。体力がごっそり持っていかれることは確実だった。
「咄嗟のことで判断を誤ったか」
こうしている間にもディアの命が危険に晒されている。それにあの巨体に追いつかれるのも時間の問題だ。
「…………」
唯一の切り札となったのがこの銀騎士だ。何かに頼るというのは性分ではないが、四の五の言っている場合ではない。
「とりあえず抵抗されると厄介だな……」
アシュリアは銀騎士の手を掴み電流を全身に巡らせた。恐らくこれにより痛みで目が覚めるだろうが、痺れでしばらくは動けない筈だ。
「――――かはっ、げほ、ごほ」
脳を活性化させるほどの刺激を与えた結果、全身に血流を巡らせた銀騎士はえづきながらも目を覚ました。
「っ! 体が動かない……っ?」
「少々手荒にさせてもらった。どうせ抵抗するだろうと思ったからな」
銀騎士は澱む視界が完全に回復したとき、自分は捕虜にされているのだとようやく気付いた。
「あなた強いね。私とあまり歳が離れているようにも見えないけど」
抵抗するも怒気を含めるでもなく、単純に先の戦闘での感想だけを述べた。アシュリアは少し疑念を抱いた。
「自分が置かれている状況が分かっているのか?」
潔いと言えばそれまでだが、アシュリアには生憎時間が惜しい。ほとんど全力を出し切ったからとはいえ相手はドラゴン。いつ追いつかれるか想像もつかない今の状態で言えばほとんど賭けに近い行為にアシュリアは出ている。
「分かってる。結果あなたは私より強い、それだけで自分の立場は理解してるつもり。あなたの判断は正しかったよ。ジヴラシオンは私という存在に頭が上がらないから、人質にする点では最適だろうね」
「なら話は早い、今すぐあのドラゴンに妹を吐き出せと言うんだ」
アシュリアの言葉に銀騎士は黙ったままうつむいている。兜を被っているせいで表情は伺えない。妙な不気味さと苛立ちを覚える。
「うまいこと考えたね、確かに皮膚が硬質なジヴラシオンを確実に仕留めようというなら体の中から傷を付けるのが手っ取り早いと思う。立場上あれなんだけど一つ訊ねるね、あなたの妹さんの加護属性は?」
「……雷だ」
白々しい、分かっている癖にそれでも聞こうとするのか……。
念のための確認でさえアシュリアには苛立ちを誘発させるものにしかならない。
「残念だけど、妹さんが生きている確率は低いと考えた方がいいかもしれない。信じるかどうかはあなた次第だけどジヴラシオンは……あのドラゴンは間違いなくあなた達が神竜と呼ぶ類の生き物なの。魔力の素と言ってもいいかもしれない。純粋な魔力を扱えない人間は魔力濃度が濃い場所に行けばどうなるか分かっているでしょ?」
「途方もない頭痛と吐き気……」
それより先は口にできない。いや、したくなかったのかもしれない。もしディアがその先の状況に陥っていたとしたら? あまり考えたくは無かった。
魔力とは時に空気中に含む量をはるかに凌駕する場合がある。それはガスと同じでどこかから吹き出すようにそれは現れる。回避する方法は一つ。その瘴気が濃い場所から一刻も早く立ち去ることだ。
普通の人はそこに立ち入った時点でその症状に見舞われる為、脱出すること自体は簡単だ。しかし、ディアのいる場所には逃げ場がない。
そして、いつまでもその空間から逃げられなかった場合。最悪死に至る可能性もある。ある者は精神が耐え切れずショック死をする、ある者は体内に違う属性の力が交わり肉体が耐え切れず飛散する、万が一助かったとしても後遺症が残る人だっていないわけではない。
「もし妹さんを助けられたとして、あなたはどんな状態の彼女も受け入れられる? それだけの覚悟がある?」
ディアは血の繋がった私の妹だ。もちろんセネカのことも同じように大切だが、私は自分より強くたくましかったディアに憧れた。怖くて挑まなかったこともディアと一緒ならなんだって出来た。そのおかげで自信がついて、ようやく姉らしく振る舞うことが出来た。私はちゃんとお姉ちゃんとして見られたかった。そんな私が私で居られるのは他でもないディアが居たからで、これからもかけがえのない存在なのは変わらない。だからもちろん答えは――――。
「当然だ、姉だからな」
自分より強い妹が敗けたからなんだというのだ。怖気づいたらそこで相手に呑み込まれてしまうだろ。悩むな、焦るな。やることは一つだ。
「あのドラゴンにとってお前がどんなに大切な存在なのかは知らん。だが、私は妹が自分の命より大事だ。だから私はお前を利用する」
「その気持ちは大切にしたほうがいい、いつだって傍にいた人が突然いなくなることだってあるんだから」
落ち着きを取り戻したアシュリアに銀騎士はまるで自身の体験を語る様な口調で呟いた。
「ほら、馴れ合いはおしまい。悪いけど起こしてくれる? まだ痺れがとれないし……、恐らくもうすぐジヴラシオンがここへめがけて飛んでくるだろうから」
その時だった。
視界には何も入らなかった。いや、入りきることを許さずただ目の前には白い雪が意思を持っているかのように覆い被さってきた。
「何が起きたっ!?」
アシュリアは雪に呑まれる前に銀騎士を掴んで後方数十メートルも跳躍した。
音を感じる暇も無かった。目の前の出来事に対して条件反射が働いたと言ってもいい。これほどの規模で大地を震撼させる正体などとっくに知っていた。
『ね? 逃げてもこうしてすぐに見つかるんだよ』
大きな翼を折りたたみ三本の鋭い爪を弾かせるように掌を開いたり閉じたりしているジヴラシオン。
「一度でも引き離せたことが無駄に終わらない事を祈ろう。お互い大切な人質だろうから慎重にいかないとな?」
アシュリアは銀騎士を自分の下へ引き寄せ腰元に携えていたナイフを手に取る。銀騎士の兜を少しだけ上へずらし、首元が確認できたところでその鋭利な切っ先をすんでのところで止める。
『何度言ったらわかってくれる? そんな行動には意味がないって言ってるじゃないか』
「ジヴラシオン、お願い。この人の妹を解放してあげて……っ」
沈黙を貫いていた銀騎士がここで口を開いた。懇願に近いその口調は嘘偽りのないことを物語っていてその一言にさすがのジヴラシオンも動きが止まる。
『君は優し過ぎる。この子たちはいずれ僕らの前に立ちはだかるよ? 神の宿命に捕らわれている君たちには抗うことは出来ないだろうね』
「何を訳の分からない事を……」
アシュリアは眉根を寄せた。そして誰も気付いては居ないだろうが、同じく銀騎士もまた怪訝な表情を浮かべていた。僅かに兜から霞みがかった息が漏れる。
『残念だけど、妹さんの息はもうないよ。さっき魔力反応が完全に消失したからね』
「なっ……に?」
アシュリアの思考が停止した。それは何かに対する諦めであり、そして報復を考えたのもその一瞬だった。右手に携えたナイフが手の振動で震え、抑えるのと同時に思いっきり力を加えようとした。
「ジヴラシオンっ!!」
銀騎士は力いっぱいに叫んだ。交渉を成立させた筈のお互いの立場が無くなってしまえば自分は人質として意味を為さない。手に余る命は相手への恨みを増幅させながら散らせる行為に及ぶ。こうなってはどうしようもない。例え銀騎士がアシュリアに呼びかけたところで今の彼女には何の訴えも届きはしないだろう。
そう、唯一届く相手はただ一人。
「がぁぁぁあああああああああっっ!!!!」
アシュリア、銀騎士、ジヴラシオンがその声に戦慄を覚えた。
「嘘でしょ? まさか生きているなんて……ありえないっ」
全身汗だくのディアが肉壁に阻まれた体内で消え失せた筈の魔力を熾した。剣を足元の肉面に刺し、自身の持つすべての魔力を注ぎ込んだ。
『な、なんだこの魔力量は……っ!? 制圧できない、ぞ!』
「弾けて、広域電分解」
アシュリアたちにも視認できる程のまばゆい光がジヴラシオンの口や目、鼻から漏れているのが分かった。そしてその光が納まった数秒後――――。
何も起こらないと思った瞬間、ジヴラシオンの体が体内から爆発するように肉片や骨が弾け散った。
「くっ……、すまない」
アシュリアは銀騎士にとってあまり見せてもよい光景ではないと判断し、銀騎士の首元に左手をあて、電流を迸らせた。
先ほどまで白い景色だったものが一瞬にして真っ赤な惨状へと変化した。生臭さを感じさせる血の臭いが周辺に散布された。胃の中に溜まったものが暴れだすかのように吐き気が襲う。
誰よりもそれに耐えられなかったのは銀騎士だった。




